別に蓮くんのことは好きじゃないよ

1/8

5人が本棚に入れています
本棚に追加
/69ページ

別に蓮くんのことは好きじゃないよ

午後8時。 あたりは暗くなり始めている。 夏の夜の寿命は短い。 波が緩やかに音を立てる防波堤に座りながら、速水(れん)は釣り糸を垂らしていた。 部活が終わり疲れ切っている体でも、彼は釣りを求めてしまう。 幼少期からのライフワークだからだ。 「今日は釣れないねぇ、お魚さん不機嫌なのかな?」 蓮がぼやいて、遠くに見える船の明かりを見つめた。 離島であるここ「桐生島」では漁業が盛んだ。 多くの男たちは船に乗り、魚を獲って生計を立てている。 今は漁に向けての準備を色々とやっているのだろう。 「蓮くん」 蓮は声をかけられて振り向いた。 暗くて一瞬顔が識別できなかったが、すぐに蓮は笑顔を見せた。 後ろに立っていたのはクラスメイトの高坂夏澄(かすみ)だった。 「夏澄ちゃん、どうしたの?」 「別に。散歩」 「そうなんだ」 「うん」 夜の涼しい風に時間を任せる2人は、それ以上何も言わずに前だけを向いていた。 糸は引かない、鄙びた田舎の無音だけが虚しく彼らを包んでいる。 「釣れる?」 「いや全然だよ、今日は釣れない日」 「ふーん、楽しいの?」 「まあね」 「釣れないのに楽しいの?ずっと座ってるだけでしょ?」 「けっこう楽しいよ。釣れなくても……こういうゆっくりした時間好きなんだよね」 「ふーん」 また無言の時間が流れる。 保育園から中学1年生まで同じクラスで過ごしてきた2人だが、心の通い合った親友とは言い難かった。 男と女という関係もあるだろうが、いまいち互いが互いの距離を掴みかねている。 夏澄はしゃがみ込み、蓮の横顔を覗き込んだ。 蓮も彼女と視線を合わす、化粧など微塵もしていないすっぴんでも彼女の顔立ちは比較的整っていた。 「どうしたの?」 「ううん、別に」 「釣りに興味ある?」 「ないよ、手が魚臭くなっちゃうし」 「洗えばいいよ」 「それでも嫌なの」 「魚釣りは楽しいのに」 「……大丈夫だった?」 「何が?」 夏澄は蓮の左頬に触ろうとしたが、直前でやめた。 手持ちぶたさのように指遊びをする。 「……パパに殴られたでしょ?」 「まあね、ビンタだけど。でももう慣れたよ」 「慣れることなんてないんだよ?」 蓮は今日の部活のことを思い出す。 「桐生島中学校男子バレー部」。 中学生になると学校に在学生が少ないことが理由で強制的に入部させられる部だ。 運動の苦手な蓮はミスをすることも多く、コーチである夏澄の父に毎日のように殴られていた。 「雄大さんのビンタは痛いよ」 「ごめんね」 「君が謝ることじゃないよ」 「ほんと野蛮だよね田舎って……生徒殴ったりしたら普通問題になるよ」 「でも雄大さんは先生じゃなくてコーチだ」 「コーチだからって許されないよ、それに……先生だって殴ってる」 代々桐生島は男女共にバレー部は強かった。 それゆえバレーにかけては島民一同強いこだわりと誇りを持っている。 ひと昔前なら暴力など当たり前で、それが正しい指導方法だったのだろうが今は時代が違う。 体罰など免職や警察沙汰にも繋がる。 しかしこの島ではいまだ指導者による暴力が肯定されている。 厳しい指導によって部が強くなると信じているのだ。 だから体罰は問題にならないし、当たり前のことだという認識である。 「坂田先生のこと?」 「うん、それにウチの女バレの本村先生も」 夏澄は屈んでいた体勢を崩し、地面に尻をつけた。 防波堤から足を投げ出して、ほんの少しだけ蓮との距離を詰める。
/69ページ

最初のコメントを投稿しよう!

5人が本棚に入れています
本棚に追加