それ二千回聞いた

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高校に入ってから二千回聞かれた質問がある。 「どっちかと付き合ってんの?」だ。   俺は毎回こう返している。 「どっちとも付き合ってない」 大概の人間は「そうなんだ」で引き下がる。 引き下がってくれる。 面倒な人間だと「じゃあどっちが好きなの?」と追い質してくる。 「どっちも好きじゃない」と言うとほとんどの人間は「何で?」と聞いてくる。 好きじゃないことに理由なんかないし、好きじゃないわけではない。 ただ世間一般で言うところの恋愛感情ではないだけで、俺達は互い、違う、俺達三人は確かに思い合っている。 それは揺るぎない事実だ。 これは俺と幼馴染女子二人の三角関係を描いたラブコメディです。 とは都合よくならない。 「どっちとも付き合ってない」 今日も今日とて俺はこれを繰り返す。 二年生になりクラス替えがあったため恐らく二千一回目の「どっちかと付き合ってんの?」が隣の席から来た。 こうなってくると俺に全く興味はないけれど、俺と話す機会があれば聞かなきゃ悪いみたいに思われているのかもしれない。 そんなことはないのでどうかそうっとしておいて欲しい。 担任が入って来たので俺は目の前の席に座る男の後頭部を見つめる。 彼は我が高最高のイケメンである塚本君である。 去年は違うクラスだったので塚本君をこんな距離で見るのは初めてだが、美形というものは頭の形まで綺麗にできているようで妙に感心している自分がいることに気づくが、こういう人間というものは称賛されることに慣れ切っているので、今更同性からかっこいいねと言われても「でしょ?」と返してくれるかもしれないと思っているとプリントが回ってきて、最強のイケメンの面貌を拝むこととなる。 すげぇな、後ろ姿でも美形であることを匂わせていたと言うのに、実際真正面から顔を拝見させていただくと、想像以上のものが来るとは。 ホームルームが終わると塚本が振り返り「中村っていつも一緒にいる女子と付き合ってんの?」と聞いて来た。 これほどの美形でも俺に会ったらそれを聞かねばならないと思っているのか。 まあ、俺に興味を持たれてるとは俺は一度たりとも思ったことはない、俺がいつも一緒にいる女子に興味があるのだ、皆。 「いや、付き合ってない」 「何かいつも一緒にいるイメージ有る」 「家近所だから。幼稚園入る前から一緒」 「疎遠になったりしなかったんだ」 「ああ、何かずっと一緒」 「遊びに行ったりすんの?」 「出かけたりはしないけど、オンラインゲームでは一緒に戦う」 「仲いんだな」 「まあ、いいのかな」 「どっちも友達ってことか?」 「まあ、友達かな」 「そっか」 終わり? あれ、この流れなら、どっちとも付き合ってないんだ、じゃあ俺が付き合ってもいいよなって、イケメンムーブかましてくるんじゃないの? 漫画の読み過ぎか。 どうやら現実世界ではそんなこと言う奴はいないらしい。 この話を帰り道件の幼馴染女子二人にすると「当たり前でしょ」と呆れられた。 「それどう考えてもかませのセリフだし。必ず一人出てくるよね。イケメンなのに大した見せ場もなく退場シーンすら用意してもらえず、何かいたよねキャラになってる、大概金髪の人」 「金髪さんに失礼だろ。そんなに金髪率高いか?」 「じゃあ俺が貰ってもいいんだなキャラは負けフラグどころか、かませにすらなれない、だからと言って色物になるには面白くなさ過ぎて、もう何でコイツ出したのって言われる最終的にはいらんかったなアイツって言われるキャラ」 「そこまでの爪痕残せなくない?」 「奈緒が一番酷いこと言ってるわ」 「えー、アリスちゃんの方が酷いよー」 俺の隣を歩くのが河合アリス、その横が小林奈緒。 俺達は身長順に並んで歩いている。 見たことはないが後ろから見たら俺がそこそこデカいのと奈緒が小柄なので、上手いこと三人で段々々と階段になっているはずだ。 「塚本ってスーパーイケメンなのに、彼女いないんでしょ?」 「そうらしいよね」 「実はもてないんかね」 「そうかもね。高嶺の花過ぎて声かけられないじゃない?」 「で、男にいってしまうと」 「何でだよ、どういう流れでそうなったんだよ」 「だって、一組の高瀬さん振られたらしいし」 「マジで?高瀬さんってめっちゃ美人じゃん」 「男だね」 「違うだろ、女が好きじゃなかったら男が好きって発想やめれー」 「女子好きじゃないって宣言したの?」 「してねぇわ。違うし。ひょっとしたら他校とか年上とかいろんな可能性有るだろ」 「ない」 「ないわけないだろ。勝手に決めつけんな」 「まあでもあんたよく聞かれるよねー。まああんたに聞くしかないんだけどね。私と奈緒はほとんど聞かれないし。ほら私達美少女だから。話しかけづらいのよね」 「去年は結構聞かれたけどね」 「アリスが話しかけづらいんだろ。こう話しかけんなオーラいっつも出してんじゃん」 「だって話したくないもん。つーか誰と誰が付き合ってようがどうでもよくない?」 「じゃあ塚本のこともほっといてやれよ。女子の間でそんな噂になってんの?」 「塚本君あんまり女の子と話さないらしいからね。高瀬さんはバスケ部のマネージャーでお似合いって言われてたし余計じゃない」 「可哀想に」 「お、庇護欲かき立てるタイプのイケメンなわけ?」 「嫌、普通に可哀想だろ。綺麗な子を振ると男が好きだと言われ、恐らく美人な彼女が出来れば嫉まれ」 「美男美女なら誰も文句なんかつけないよ。寧ろ明らかに釣り合ってないのと付き合うとぎーぎー言われるんじゃないの。身分不相応って」 「まあ綺麗な二人にくっついて欲しいんだろなぁ、世間は」 「そ、そういうもんよ。しかし、頭の形綺麗って、何それ。あんた馬鹿じゃないの」 「だってホントにそうだって。アリスは後ろから見たことないからそういうんだよ。こう何ていうか骨格レベルでイケメン。あれだ、白骨死体になってもイケメン」 「それ言われてもあんまり嬉しくないから塚本君には言わない方がいいよ」 「言うか。まああれだよ、後ろ姿もイケメンなんだよ。こう後頭部から伝わってくる」 「何回後頭部言うのよ。まあいいけど」 「じゃあまた明日ね。バイバイ」 奈緒が玄関を開けて家に入り、その隣の隣がアリスの家だが今日は俺の家に寄って帰るのでそのまま数歩一緒に歩く。 俺達の家は同じ町内の同じ班で所謂向こう三軒両隣。 スープが冷めない距離どころか面倒なのでもう家で食ってけよな距離、違うな、もう面倒だから取りに来いな距離、これも違う。 持って帰れな距離、違う。 材料は買っといたから作ってけな距離? まあ兎に角近い。 で、今日アリスは俺の作った三日目のカレーを食べにくる。 アリスの家は去年からお父さんが福岡に単身赴任となり、お兄さんは就職して家を出て行き、アリスの家はお母さんとアリスの二人になった。 となるとフルタイムで働いているアリスのお母さんはご飯の用意が面倒なわけで、アリスが食べて帰ると言うと「やったー。じゃあお母さんも何か買って帰るね。アリスちゃん大好き♥」となる。 俺の家は両親が離婚しているので父親と姉の三人暮らしだが、父は仕事で夜遅いし、社会人の姉は友達と外食することも多いので、割と頻繁にアリスが家で食べることが最近ちょくちょくある。 「美味しい。あんたのカレーホント美味しい。何というか複雑な味。ただのカレールーじゃこうならないよ。ホントこれ世界一美味しいって」 「世界一かはわからないけど俺もこれは、何て言うか天才の作ったカレーだろって思う。めちゃめちゃうめぇ」 「私明日からこのカレー以外食べられないからって言われてもいい。ホント美味しい。究極のカレー。ただのスーパーで買ったじゃがいもをこんなに美味しくできるのはあんただけだよ」 「美味いな。昨日より断然美味いし、確かにこれはあれだ。もうこれ以上のカレー俺作れるかな。不安になってきた」 「確かに。もうあれだ。極めちゃったよ。もうどこいっていいかわかんなくなっちゃったよね。あんたは強くなりすぎた」 「な。どうしよ、俺。でもなんか違う。美味いんだけど違う。俺が求めてるカレーにまだたどり着いてない。美味いけど違う」 「これで充分だって。あんた凝りすぎ。奈緒にも食べさせてあげたい。奈緒んち今日カツ丼だって。いいなー。ちょっとだけもらってカツカレーしたい」 「いいな。俺もちょっとでいい。三切れでいいからカツ食いたい」 「随分遠慮しいじゃん。だからさ、美味しいもの食べるたんびにさ、ああ、奈緒と食べたいなって、奈緒と一緒に暮らしたいなって思うわけよ」 「暮せばいいじゃん」 「だからさ、ずっと言ってるように、あんたと奈緒が結婚して三人で暮そう。この家で」 「俺の父ちゃんと姉ちゃんどうするよ」 「一緒に暮らすのはいいんだ?一歩前進」 「違えよ」 「で、奈緒とあんたの子供を三人で育てるの」 「奈緒の人権無視か」 「何言ってんのよ。奈緒はあんたのこと好きなんだから、何も問題ないでしょ。あんただって奈緒のこと好きでしょ?」 「好きだけど、そういうんじゃないじゃん。俺ら」 「何が不満なの?奈緒だよ。はちゃめちゃ可愛いでしょ。色白で小柄で、優しくって、穏やかで、可愛くって、何でも許してくれて、私に言わせたら奈緒は究極の生命体だよ。人類が持てる可愛さの見本。勝てる人間いるの?奈緒以上に可愛い女の子この地球上にいる?反論は認めない」 「俺じゃ奈緒が可哀想だろ。あんな可愛いのにこんなモブ顔と」 「料理のできるモブだからいいんじゃないの」 「料理できるって言うけど、そんなできないって。煮込むようなものと炒め物くらいしか、あとハンバーグとグラタンとナポリタンも自信あるわ俺」 両親が離婚して小四の時から姉と二人飯の用意をしてきた。 最初は二人とも米のとぎ方すら知らなかったし、水加減がどうも上手くいかなくて、やたらと柔らかいご飯か硬いご飯になったし、味噌汁も薄かったし、魚を焼くと後片付けが面倒なので鮭フレークや鯖缶ばかり食べていたりもした。 揚げ物が食べたかったけど、油の処理がどうしていいかわからなかったので、たまに奈緒のとこのおばちゃんやアリスのとこのおばちゃんがコロッケや春巻きや唐揚げを持ってきてくれると嬉しくてたまらなかった。 でも苦じゃなかった。 男を作って出て行った身勝手な母親に対して意地のようなものがあったのかもしれない。 あんたがいなくなったって俺達の生活は変わらないんだって言うつまらない感情が恐らく今より子供だった俺にはあった。 父は見るからにしょぼくれたが、気丈に振る舞っていた姿がまた哀れを誘い、俺も姉も何も言えなかったし、せめて父に美味いものを食べさせてやりたくなったし、母が捨てて行ったショボ親父を俺と姉で絶対に幸せにして父にいい人生だったと思わせてやるからなと誓っていた。 父と母に何があったかは知らないが父はずっと優しい人だったし、どう振り返っても俺達家族を愛してくれていたし、俺の知っている限り父に落ち度などなかった。 だが俺の料理の腕もすっかり上がり切った今思うのは、あの人は不倫をしていても、毎朝早く起きて朝ごはんを用意し、洗濯ものを干してパートに行き、家に帰れば毎日俺達のために食事の用意をしていたという事実で、記憶が薄れてきたからだろうか、もう最近では母に対して何も思わなくなった。 元気にしていればいいと思うし、何処にいるか知らないけどまあ長生きしてくれと思う。 二度と会いたくはないが。 まあ俺のことはどうでもいい。 「煮込むのと炒めるのが出来たらいいでしょ。私も奈緒も何にもできないよ。家庭科の授業でしか包丁握ったことないし」 「それは別にいいと思うけど。あ、あれだ、そうめん茹でれんじゃん。あとユーフォ―も」 「それ誰でもできるでしょ。だから美味しいもの私と奈緒に食べさせてよ。そしたら一生傍にいてあげるから。私と奈緒が。嬉しいでしょ?こんな美少女に囲まれて一生暮らせるんだよ。泣いて喜びなさいよ」 「いやー。ない。無理」 「何でよ?奈緒嫌い?」 「それはない。奈緒は優しいし、すっげーいいこだよ。好きに決まってるじゃん」 「じゃあいいじゃん。三人で子供育てよ。うーんと和風な名前つけよ」 「和風って?」 「菖蒲とか椿とか桔梗とか」 「女の子限定?男だったら?」 「健。けんちゃん。決まりね」 「決まりじゃねぇわ。ないって」 「何でよ?何が不満?」 「別に結婚しなくても三人で住むなり近所に住むなり何とでもできるだろ」 「お父さんに孫の顔見せたくない?」 「何でそこだけ常識的な事言うんだよ」 「奈緒をさ、あんたにならあげてもいいって思うの。寧ろあんた以外なら怒り狂ってどうにかなりそう」 「こぇえよ。奈緒が好きな人が出来たのとか言って来たらどうなっちゃうわけ?」 「どうなるんだろ。怖い。自分でもわかんない。絶対無理。受け入れられない」 「すっげ―イケメンでいい奴でも?」 「そんな人間はいない」 「いや、いるだろ。奈緒の隣にいても遜色ない美形で、心も綺麗な人間」 「そんなもんいない。絶対いない」 「頑なすぎるだろ」 「あんたがテンション下げること言うからでしょ。何かテンション上げること言って。もしくは何か食べさせて」 「パルムとガツンとみかんならあるけど」 「弱い。いつでも買えるじゃない」 「じゃあ、あれだ。四十になって三人とも独身だったら考えよう」 「遅すぎるでしょ」 「遅くねえって、俺の母ちゃん出てったの四十の時だし。最後の決断の年なんじゃねぇの」 「ごめん」 「謝るとこじゃねえけど」 母親が出てったことで俺と姉と父の三人の語彙から不倫という日本で割りと頻繁に使われる単語が消えた。 因みに離婚も消えたし、間男も使えなくなった。 まあこれらは元々そう使うものでもないので別に良い。 捨てた、捨てといて、も俺の中で暫く勝手に使用禁止にしていた。 「奈緒が好きになる男ってどういう人だろうね」 「男限定にしなくていいんじゃねぇの。女の人かも」 「それだと子供が生まれないでしょ。奈緒にはお母さんになって普通の幸せを掴んで欲しい」 「何で結婚出産が普通の幸せなんだよ」 「世間一般ではそうでしょ?」 「世間のために生きてるわけじゃないからどうでもよくないか?」 「奈緒の子なら私愛せる気がする」 「そ、そうか」 「寧ろ奈緒の子以外愛せる気がしない。私自分は大嫌いだし」 「いつもそう言うよな。何でそんなに自分が嫌いなわけ?俺みたいな人間でも自分割と好きどころか、大好きで大事にしてやらねばって思うのに」 「顔からして嫌い。何か綺麗だけど冷たそうでしょ。心がないからなんだよ、きっと」 「どこがだよ。アリス程感情有りまくりな人間いないだろ。感情が人型なったみたいに強いじゃん」 「奈緒の顔が世界で一番好き。というか奈緒が世界で一番好き。やっぱり三人で住もう。この家で」 「俺の姉ちゃんと親父どこいったよ。もし暮すならマンションで隣同士とか」 「家庭が持ちたいの。奈緒の家庭が」 「奈緒の人権は」 「奈緒はあんたのこと好きだからいいの」 「いいわけないだろ。ないって」 「このままずっとこうしていられたらいいのにね。もう時間経たなくていいよ」 「そんなわけにいかないだろ。時間止まったら奈緒の子を抱っこできねぇんじゃねぇの?」 「お、朗報?」 「いや、ねぇけど。まあ四十」 「だから遅いって、まあもういいや。今日はこのへんにしておく」 アリスはパルムを食べ紅茶を飲んで帰っていった。 そして数日後近所のスーパーで夕食の買い物をしている俺の背を叩く者有り。 「しのちゃん」 俺の忍という名を世界一可愛く言うのはこの地球上で奈緒だけだ。 俺の顔を覗き込む奈緒の顔は今日も可愛いと言う言葉じゃもうはみ出すくらいに可愛い。 天使と言うものを実写化したらこうなるんだろう。 俺もアリスに似てきたのかな。 そう、奈緒はどうしたって可愛い。 でも恋愛感情ではない、俺みたいなものが恋愛なんて言うのはおこがましすぎるがどうしたってそうなんだ。 「奈緒何買いにきた?」 「牛乳。朝の分がなくって。お祖母ちゃん朝絶対牛乳飲むから」 「おおー。そっか」 「しのちゃん、今日は鶏肉ですかいね?」 「何語?今日は手羽先とごぼうを煮る」 「超美味しそう。いいなー。家はね今日は鯖の味噌煮だって」 「いいじゃん。俺も鯖は味噌煮が一番好き」 「私は竜田揚げがいい」 「揚げ物は油の処理が未だに嫌だわ」 「しのちゃんは偉いね」 「所帯じみすぎてもう家庭持ってんのかってなる」 奈緒が揺れる枝葉の様に笑う。 アリスはこの笑顔が好きなんだろうなと思う。 確かにこの移り行く表情をいつも一番身近で見れたらさぞ幸せだろうと思う。 奈緒を奥さんにできたらそれはそれは幸福の極み、というか幸福の達人、免許皆伝であり、俺みたいな何も持っていない人間がもらい受けるには栄誉が極まりすぎて今後の人生に何も望めなくなってしまうだろう。 俺の人生に奈緒とアリス以上に美しい少女達と出逢うことなど間違いなくないだろう。 それは認める。 でも違う。 「しのちゃん、まだお買い物かかるよね?お菓子見てくるね」 「ああ」 スーパーに来るとついつい売り場を一周して何かないか探してしまう。 新しいジュース、缶コーヒー、ヨーグルト、菓子パン、プリン、饅頭、季節の果物、買い物をし出した頃、いつも姉と父がテンションが上がるようなものはないかと探していた、その習慣が抜けない。 これは姉もそうなのか、新商品が出ると俺と親父の分も買ってきてくれる。 俺達家族は食べることで繋がっている。 家族という共通体験というのはどこもそうなのかもしれない。 食い物だったり、一緒に見たテレビ、絵本、漫画、旅先での景色。 あんなこと言った、こんなこと言った、それらボロボロとした砕けたクッキーみたいなそれらが、家族の思い出なんだろうと思う。 あー、俺は本当に老け込んでしまっている。 言ってることお爺ちゃんじゃん。 お爺ちゃんのそれじゃん。 これはいけない、俺もそうだ、若者らしく恋をせねば。 でもどうやって? レジで精算を済ませ、奈緒と一緒にスーパーを出る。 奈緒が持つピンク色のエコバックが可愛い。 でも多分それは奈緒が持ってるから可愛いのだろう。 奈緒が持つことに寄って奈緒が着ることに寄ってこの世の全てが力を発揮するんだ。 おいおい、俺アリスに似すぎだろう。 まあ仕方ないのか。 俺の狭い世界には女子は姉ちゃんとアリスと奈緒しか本格的には存在しない。 これは本格的にダメなやつだ。 俺もアイドルとか推さないと。 誰か俺に推しをくれ。 「アリスちゃんがしのちゃん四十になったら一緒に暮らそうって言ってたって言ってたけど大丈夫なの?」 「あー。奈緒は三人で住むのはいいんか?」 「うん。私はいいよ。でも結婚するなら私としのちゃんよりアリスちゃんとしのちゃんだと思うけどなー」 そう、これだ。 根本的な原因はここにある。 二人とも俺を押し付け合っているのだ。 俺は二人にとって居心地のいい人間であり確保はしておきたいが、別段どうしても自分が欲しい系男子ではないのだ。 俺は本当の所百合に挟まれている男なのだ。 世間では未だにその概念が浸透していないため、俺と付き合っているなんていう貧困な発想になるのだ。 考えて見てほしい。 こんな美少女達が俺なんかを相手にするわけないだろ。 嫌、もう相手にしないで欲しい。 だってアリスはどう考えても俺より奈緒が好きだし、奈緒はどう考えても俺よりアリスが好き。 二人は相思相愛だし、互いを誰よりも大切に思っている。 そこに俺は入り込めないのだ。 だって男だから、どうしたって男だから。 俺は一生百合に挟まれた男。 でもそれでいいじゃない。 自然の摂理を曲げるな。 「アリスが俺とかないって」 「アリスちゃんはしのちゃんが好きだよ」 「それはそうだろうけど、それは家族的なもんだろ」 「家族になるならそれでいいんじゃないの?」 「俺はこう、あれだ。もっと何かあるはずって思う」 「何かって?」 「心震わすような感動というか」 「ロマンチストさんだ」 「奈緒は何かないのか?」 「うーん。私もわかんないんだよね。しのちゃんのこと大好きだけど、それは恋人同士になりたいそれなのかって」 「そう、それだ。それそれ」 「しのちゃん私にときめく?」 「うーん。難しい。可愛いって思ってるけど。三秒に一回くらい思ってるけど」 「それは多いよ。三十分に一回でいいよ」 「アリスもさ超綺麗だなって思うんだよな。特に横顔。感心するくらい上手くできてるなって。鼻がさ、綺麗な線なんだよな」 「そうなんだよね。アリスちゃんって綺麗なの。単純に綺麗なんだよ。ね、しのちゃん、アリスちゃんにはときめく?」 「いや、ない。すまんけどない」 「でも三人でいるの私凄く好き。一生一緒にいたいって思ってるよ。だからさ、いっそのこと、しのちゃんが誰か他の人と結婚して、私とアリスちゃんと暮らすってのは?しのちゃんが通い婚するの。平安貴族みたいに」 「は?俺の奥さん可哀想すぎるだろ。奈緒の発想が怖い」 「だめ?」 「そんな可愛いらしく両手を合わせて首コテンとしても駄目」 「でも私達って、微妙だよね。だってしのちゃんに彼女が出来たとしても結婚したとしても、私とアリスちゃんの方がずっとしのちゃんのこと知ってるもん」 「それはそうなるんだろうなぁ」 「私達三人とも女の子だったら良かったのかもね」 「そしたら俺は百合に挟まれる男じゃなくなるわけだ」 「あ、今思いついたけど、私しのちゃんの背中にはときめくことあるよ。しのちゃんって子供の頃からずっと頭一つ大きかったよね。だからかな。 しのちゃんの後ろ姿見ると飛びつきたいなって思うもん」 「正面から見たらたいしたことねぇもんな」 「そんなことないよ」 「俺も今唐突に思い出したんだけどさ、手羽先さ、これごぼうと煮るんだけど、これさ、どうしても母親の味にならないんだよな。醤油とみりんと酒と唐辛子で煮てたと思うんだけどなんか違うんだよな。あれがさ時々どうしても食べたくなるんだよ。でもできねぇの。カレーもそうなんだよ。美味いんだけど、どうしたってあの味にならないんだよ」 「おばさんお料理上手だったもんね。ロールキャベツ凄く美味しかったよ。 あとポテトサラダ。林檎が入ってるの」 「あー、あれもな。あれか、これが胃袋掴まれるってやつなんだな。恐ろしい。俺今手羽先のごぼう煮のレシピだけ教えてくれねぇかなって思うんだよ。 そしたら今までの全て水に流せる気がする」 奈緒は何も言わず笑ってピースした。 とてつもなく可愛い才能を発揮する奈緒という生き物。 今この瞬間を知っているのはこの広い地球で俺だけなのが勿体ないと思う。 せめてアリスと共有したい。 俺だけ見たんじゃ申し訳ない。 奈緒は魅力の塊だ。 好きにならない方がおかしい。 「ねえしのちゃん。四十じゃなくて三十になって三人とも独身だったら三人でお家借りて一緒に住まない?」 「その可能性滅茶苦茶高いだろ。今日本の生涯未婚率どんだけあると思ってんだよ。絶対なる。あと今後俺が道を踏み外して三十になった時あの時の約束を果たしてくれって、顔中毛むくじゃらの頭禿げ上がった姿で黒いリュック背負って現れたらどうすんの?通報だよ」 「通報だ」 奈緒が笑う。 笑うたびに星が流れたように感じる。 これが恋というものならどれだけか良かっただろうと思う。 残念ながらそうはならない。 俺達は余りにも近すぎた。 幼稚園、小学校、スポ少、中学、部活、高校、オンラインゲームと離れることなく来てしまった。 親友のなっちゃん(米田夏輝)だって小学校からずっと一緒で何だって話してきたけど、母親の話ができるのはアリスと奈緒だけだった。 「空赤いね」 「ああ」 「あの雲、鰯のフライみたいじゃない?」 「あー」 二人で少し立ち止まって青と赤の境界線が溶けた空を見ていた。 そして俺は考えた。 手羽先とごぼうを煮ながら考えた。 煮込み料理は考え事とソシャゲに最適だ。 そう、俺は考えた。 このままいくと俺は百合に挟まれた男の哀れな末路にたどり着くこととなる。 これを全力回避せねばなるまい。 百合に挟まれた男を待ち受けるのは非業の死だ。 二人が結ばれるために男は死なねばならんのだ。 俺は生きていきたい。 俺に見合った平凡すぎるありふれた幸福らしきものを手にしたい。 多くは望まないが、取りあえず毎日美味いものを食い、暖かな風呂に入り、ふかふかの蒲団で眠る。 そんな人生。 なんとかしなければならない。 方法は二つ。 一つ目は俺が彼女を作る。 二つ目はアリスか奈緒に彼氏を作る。 一つ目のハードルの高さよ。 俺はアリスと奈緒と卓球部女子以外とまともに話したことがないので、これは難しい。 マッチングアプリ、もう響きが恐ろしい。 金巻き上げられる未来しか思いつかない。 一つ目は却下。 二つ目は想像が出来ない。 余程のイケメンを用意せねばなるまいと思うが、俺の友人関係は卓球部男子にほぼ限定されている。 団栗の背比べであり、女子卓球部のアリスと奈緒は人数少ないから皆知っている、つまり今更。 早急になんとかせねば俺に悲惨な運命が待ち受けるに違いない。 妄想は煮物のお供。 母もそうだったのかもしれない。 まあ不倫相手のオッサンのことを考えていたかもしれんが、まあそれはいい。 少し煮詰めすぎて濃くなってしまった手羽先とごぼう煮を父と姉と三人で食べた。 父も姉も美味しい、ご飯に合うと言ってくれたけど、二人はあの母の味を思い出していたに違いない。 共通体験とは恐ろしいほど重い。 美味い物の業の深さよ。 去られた方はいつまでもこうなんだけど、去った方はどうなんだろう。 きっとこういう家庭が世界中に溢れているのだ。 俺は今後も手羽先とごぼうを煮て、カレーを煮込む、多分一生。 まあそんなことよりイケメン急募だ。 容貌が整っていることに越したことはないが、やはり人間は中身だ、人柄だ。 思いやりがあって、嘘つきでないこと、それが望ましい。 いるか? この地球上にいるだろうけど、二人いるか? アリスと奈緒が出逢える範囲でいるか? もし一人しかいなくてアリスと奈緒が取りあったら? それは百合に挟まれた男ではなくて、三角関係のもつれになるのか? 想像もつかないけど。 というより、それこそ余計なお世話だよな。 もう流れに身を任せよう。 そう思って眠りについた翌日、朝練を済ませ、教室に入り、塚本の後頭部を見て閃いた。 これじゃないか。 イケメンにはイケメンの友達がいるものだ。 でも何て言えばいい? 百合に挟まれた男の悲劇を回避したいので何とかして下され。 言えるか。 そもそも百合に挟まれた男の概念そんなに浸透してないだろ。 速やかに却下。 まあ男女の組み合わせが圧倒的に普通だと思われているからだろうけど、何で男女が一緒にいたら付き合ってるとか特別だってことになるんだよ。 男女七歳にして席を同じゅうせずってか。 いつの時代の話だ、いい加減アップデートしろ。 俺からしたらアリスと奈緒の組み合わせが世界で一番しっくりくる。 絆以上に凝り固まった何かだ。 両手に花とかねぇわ。 何で俺が中心なんだよ。 それこそ男尊女卑の男女差別なんだよ。 取りあわれるのが男だっていう概念が。 これは二次元の世界で圧倒的にそうなんだが、女子が取りあう男はいつだって自己投影しやすいようにしょぼいもんだ。 これをいい加減改めて、ラブコメの主人公はマッチョなイケメン、ゴリラメンタルにしよう。 今すぐしよう。 それにしても世の中の人と人というのはどうやって出逢うのか? 恋はどう始まるのか? 珍しく部活のない土曜日。 アリスの家で三人でお好み焼きを作った。 まあキャベツを切り、山芋をすりおろしたのは俺で、奈緒は裏返しただけ。 アリスに至っては食ってただけだがまあ、そんなことはどうでもいい。 「そろそろ詰めて考えようと思います」 アリスが頬杖を突き正面に座る俺を見据える。 奈緒は俺ではなく隣に座るアリスを見ている。 「何をですか?アリスさん」 「同居の条件」 「もう同居することは決まってるんだな」 「決めていいでしょ。あんたは何が不満なわけ?こんな可愛い女の子いないでしょ?それも二人も」 「まあそうですねー」 「あんたが落ちぶれたって禿げ上がったって面倒見てあげるって言ってんのよ。もう私達に全部任せなさい。何とかしてあげるから」 「それはどうも」 「アリスちゃん。しのちゃんは普通に恋的なものがしたいんだよ」 「したらいいじゃない。そしてさっさと失恋なさい」 「振られる前提かよ。上手くいくかもしれなくないですか」 「そもそもあんた誰かを好きになれるの?好きって何かわかる?」 「わからん」 「アリスちゃん、私もわかんない」 「奇遇ね。私も全然わかんない」 「わかんねぇ。好きって何だ?」 「愛おしく思うこと、じゃないの?しのちゃん誰か愛おしく思ってる?おじさんと希ちゃんは家族だから却下だよ」 「家族以外なら・・・」 そうやって俺が脳裏に浮かぶのはいつだって同じ二人なんだ。 ひょっとしたら一生そうかもしれない。 でも恋じゃない。 間違いなく恋とはならない。 「私と奈緒でしょ?他にあんたの人生に女子なんていないんだから」 「反論が出来ません」 「はい。もう決まりね。あんたの人生にはいつも私達が必要なの。私達は一生三人なの。それでよくない?」 「よくない。俺も彼女と二人の爆笑青春ライフ満喫したい。一日でいいからしたい」 「しのちゃん一日でいいんだ。欲張りじゃないね」 奈緒がアリスに笑いかける。 アリスもそれを見て口角を微かだが上げる。 完璧な世界。 やはり俺は百合に挟まれた男。 それ以上でもそれ以下でもない。 「別に三人で暮すだけで、あんたに彼女いても全然いいと思うんだけど」 「それだと俺の彼女さん可哀想だろ。俺家帰ったらスーパークオリティたけぇって女子と暮らしてるとか。それも二人も同時に」 「最高じゃん。私なら別れるわ」 「別れるんかい」 「運命を受け入れなさい」 「だって。しのちゃん。ずっと三人で暮そうね」 「恋を始めたいです。アリス長官」 「勝手にお始めなさい。始められるもんならね」 「私達しのちゃんのこと大好きだよ。しのちゃんだって私達のこと大好きでしょう?」 「およそ人に生まれて他人から大好きって言って貰える確率ってどれだけあると思う?それも純度百パーセントで。諦めなさい。未来はもう確定したの。私達は一生一緒。生まれてから死ぬまでね。あんたのことは私達が看取ってあげる」 「先に死ぬ前提かい」 「男の方が平均寿命十年くらい短いんだから当然でしょ」 奈緒が俺を見て眉を上げ笑い、アリスと見つめ合う。 その間数秒。 世界中の良いものを集めてもそうはならないだろう。 アリスの隣にいる奈緒は世界で一番可愛く、アリスも世界で一番綺麗だ。 はいはい、もう最高ですよ。 降参です。 恋はどうにも始まらないが、愛だけはずっとあったらしい。 それも一生。
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