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「ダンゴムシ、元気にしてるかなぁ」
探偵、渋谷正道は窓のほうをぼーっと眺めて、そう言った。
雨が窓ガラスを叩く。灰色の雲に覆われた空は、昼間なのに薄暗い。
事務所内の壁は本棚が占め、収まり切らない本が床に積み上げられて山脈を築いている。湿気を含んだ本の匂いと、渋谷が愛煙している煙草の香りが、心地よい冷たい空気とともに室内を満たしている。
黒檀の執務机に頬杖をついて、渋谷はぼんやりと外を見つめていた。
執務机の前に置かれた、応接テーブルでは補佐官の野々宮礼二が作業をしていた。青年は二人掛けのソファに座って、テーブル一杯に広げられた書類を整理している。
作業が立て込んでいた。チェックしなければいけない書類が山のようにあった。比喩ではなく、テーブルの上にはクリップで留められた紙の束が積み重ねられている。それは野々宮の前だけでなく、渋谷の机上にもあった。ふたりで手分けしても可愛げのない山が出来ていた。
野々宮は文字を追いながら、ちらりと視線を上げた。
恐ろしいことに、渋谷の手は完全に止まっていた。窓の外を見つめたまま動く気配がまるでない。
書類にペンを走らせながら、さきほど聞こえて来た言葉を頭のなかで反芻する。
ダンゴムシ? ダンゴムシって言ったかな? 言ってるな。
聞き間違いかと思ったが、聞き間違いではなかった。
「もしかして今、ダンゴムシの安否を気にしていますか?」
資料をめくりつつ、尋ねる。
「うん」と気の抜けた返事があった。
「こんな雨の日に、立ち往生したダンゴムシを助けたことがあって」
「ダンゴムシが……立ち往生……」
思わず手が止まる。不思議な単語が邪魔をして、文章が頭にはいらなくなる。
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