賽銭泥棒

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「ちょっと、ごめんなさいね。申し訳ないとは思いますが、こちらも生活がかかっているものですから」  俺は小声でそれだけ言うと、賽銭箱の前に立った。ここは小さな神社の拝殿前。繁華街と住宅街の中間にあり、昼間は住宅街の住民が、夜中は繁華街の店員の参拝でそれなりに人がいる。小規模ながらも鎮守の森があり、静謐でおごそかな雰囲気にひたれるのが人気なのかもしれない。  それに伴って賽銭箱の中味もそれなりに入っているはず。  俺はそれを少し拝借しようとやってきた。 今は夜明け前、誰もいない境内は木々を渡る風の音と、時折聞こえる鳥の鳴き声だけが聞こえる。 冷えてきた、上着のポケットから手を出してこすり合わせる。 尻ポケットから安ウイスキーのポケット瓶を取り出して一口飲もうとしたが、仕事の後にしようと思い直し尻ポケットに戻す。 賽銭箱の裏手に回り、手提げかばんからドライバーとニッパー、懐中電灯を取り出した所で鳥居の方角から玉砂利を踏む音が聞こえる。慌てて本殿と扉を開けて中に入り扉を閉めた。こうすれば外から中は見えないはずだ。中からは扉の格子越しに月明かりに照らされて賽銭箱が見える。すぐに足音が近づいてきた。軽やかな音だ、若い奴だろう。 思った通り大学生風の若い男が賽銭箱の前に立った。眼鏡をかけ、青いジャージの上下にスニーカーを履いている。 「神様、あんなにお願いしたのに、彼女は振り向いてくれないよ、どういう事。この間言ったよね、最後のお願いだって。聞いてくれないと大変な事になるって言ったはずだよ、お賽銭だって結構はずんだのにさ」  なんだ、賽銭箱の前で一人で喋っているぞ。ああ神様に話しかけているのか。 「あんなにコンサートに通ったのにさ、あっちゃん僕に振り向いてくれないんだ。グッズも沢山買ったし、オンラインイベントにもバイト代つぎ込んだのにさ」  どうやら、アイドルグループの推しメンが自分の方を見てくれない愚痴を言いに来たんだな。前にも何回か来て神様にお願いしていたのにどういう事だ、何故叶えてくれないんだ。と言う文句も入っているな。どっちにしても危ない奴だ。いなくなるのを待とう。 「あっちゃんが振り向いてくれない世界なんて必要ないからね、壊す事にしたんだ。それもこれも全部振り向いてくれないあっちゃんと、願いを叶えてくれない神様のせいだからね」  おいおい、なんか物騒な事言ってるぞ。それにしても世界を壊すってどういう事だよ、いくら危ない奴でもちょっと風呂敷広げすぎだろう、まあ、あっちゃんを刺しに行く、とか具体的な事言わないだけマシかな。 「神様にだけどうやって世界を破壊するのか教えてあげるね。これは親切心とかじゃなく、あっちゃんを振り向かせる事が出来なかった神様への罰だから、世界が崩壊していくのを見ながら自分が何をしたのか、何をしなかったのかをよく見て、後悔してよ」  なんて奴だ、神様相手に罰当てるとか、後悔しろとか言ってるよ。  その後、男が話す計画を聞いて、俺は真っ青になった。こいつ、頭はおかしいけど化学に関しては本物の天才だ、今俺の前で語っている化学式を聞いて俺はそう思った。  俺は今でこそ賽銭泥棒まで落ちているが、高校までは天才と言われ、最高学府で化学を学んだ。その俺が聞いた途端とんでもない発想だと分かる化学物質製造法だ。高校の実験室レベルの設備で製造可能、原材料は安価で簡単に手に入る物ばかり。 この物質を空気中に一定量放ったら連鎖反応で地球上の酸素が全て消滅する、その後は太陽光に含まれる紫外線の影響できれいさっぱり跡形もなく物質自身は消滅する。 なにがなんでも止めないと、俺自身は賽銭泥棒にまで落ちたが、世界中の人々と動植物の大半がいなくなるのは嫌だ。 俺は一、二度小さく咳払いをすると、なるべくおごそかに聞こえる声で男に向かい話しかけた。 「おぬし、一体どうしたと言うのじゃ、詰まらない事を考えず、勉学に精進してはどうじゃ」 「うわ、神様なの」 「そうじゃ、おぬしもっと前向きに生きんか」 「なに言っているんだよ、僕の願いを叶えてくれなかった癖にさ、もういいんだ、あっちゃんが振り向いてくれない世界なんてどうでもいい、壊してやる」 「おぬし、そのあっちゃんとやらが人生の全てなのか」 「そうだよ、勿論じゃないか、僕にはあっちゃん以外何も無いんだ」  こいつ、腹立つなあ。俺にそれだけの才能があったらな、まあいい、今は何としてもこいつを思いとどまらせないと。 「おぬし、先ほど話した物質を本当にばらまくつもりか」 「勿論だよ、さっきからそう言っているじゃないか」 「そうか、それって、簡単に出来て、恐ろしく効果的に世界を破滅させられるよなあ、何しろ酸素を無くすんだから」 「へえ、さすが神様だ、さっきの化学式を聞いただけで酸素を全て破壊する化学物質だってわかったんだ」 「ああ、そうだ、実はな、ここに良く通っている男で、化学に詳しい男がいてなあ。その男の知識を少し借りたのよ」 「ふ~ん、そんな事が出来るんだ」 「で、その男の話なのだがな、こいつは小学校の頃は神童、中学で天才と言われてなあ、この国で一番賢い男が集まる高校に進学したのだが、そこでもずっと学年で十番以内に入っておってな、大学も国で一番の所に進み、そこで化学を専攻したのよ」 「ふ~ん、ほぼ僕と同じだね、まあ、僕は高校の時、全校トップを一度も譲らなかったけど」  チ、一々癇に障る奴だな。 「そうか、で、まあその男なのだが、大学で女に惚れてなあ、その女の所属する演劇サークルに入ったのよ、そのサークルで酒とばくちを覚え、そのまままっしぐらに堕ちてなあ」 「へえ、勉強はどうなったの」 「あっという間にドロップアウトよ、教授の恩情で卒業だけはさせて貰えたがな」  サークルに入る前から、化学研究の才能は先が見えていたけどな、半分はそのせいで酒やばくちにおぼれたようなもんだ。 「卒業後は、小さな劇団に所属してな、十年以上売れない役者をやっておるが、酒とばくちで借金だらけ、家賃の滞納でアパートも追い出され、にっちもさっちも行かなくなっておる」 「彼女とはどうなったの」 「彼女?」 「劇団に入るきっかけになった彼女だよ、うまく付き合えたのかな」 「ああ、全然ダメじゃった。彼女、劇団の先輩と付き合っておってなあ、入り込む余地など無かった」  俺は一体、夜明け前の神社で、アイドルが振り向いてくれないだけで世界を滅ぼそうとしている本物の天才を相手になに告白しているんだよ。  そう、今まで語った良く通ってくる男は俺の事さ。  しかし、こうやって振り返ると俺の人生碌なもんじゃないな。  まあ、売れないとはいえ、十年以上も役者をやっているおかげでおごそかな声も出せるし、神様に見せかける程度の演技なら心得ている。  さて、ここからだ。 「でなあ、おぬしも大学で化学を専攻しておるのじゃろ」 「そうだよ、でも、最近は行っていないんだ」 「何故じゃ、おぬしほどの才能があれば、教授がほっとかないじゃろうに」  研究室の即戦力どころか、いきなりトップに立てるのに。そこで暗い表情をして黙ってしまった男を見て俺は気づいた。こいつ才能がありすぎるんだ、大学の研究室なんて、所詮は教授をトップした小さなヒエラルキーを形成する集団だ、そこに本物に天才が入ってきたら波風立ちまくるもんな、ましてやこいつに人の気持ちを汲むなんて出来そうにないし。多分陰湿な嫌がらせをされたんだろう。それでアイドルに走ったのか。 「アルバイトと、あっちゃんの追っかけで忙しかったのじゃな」  俺がそうフォローを入れると、男はほっとした表情で「そう、そうだよ、それで研究室には最近行っていないんだ」と答えた。 「おぬし、あっちゃんが振り向いてくれれば、世界を滅ぼすのを止めるんじゃな」 「う~ん、まあ」  男は煮え切らない態度だ。 「あと、研究室の先輩と教授をあっと言わせればよいかの」  男の表情がふっと緩み「うん、まあそうだね。そうすれば止めてあげてもいいよ」と続ける。  やはりな、本当は復讐し、見返してやりたいのだろうが、神様が復讐をけしかける訳には行かないからな、この程度のオブラートで包んでおけば男のプライドも傷つかないしと。 「ではな、おぬしそれほどの才能があるのなら他にもいくつか使えそうな化学式を発見しておるじゃろう、さっきのような危ない奴じゃなくて、安全で役に立ちそうなのじゃ」  男は少し考え「あるけど、役に立つかどうかは、分からないな」と答えた。 「例えばどんなじゃ」 「植物が丈夫になるとか、プラスチックが無害な土になるとか、かなあ。片手間で作った奴だから、たいした事ないよね、やっぱり役になんか立ちそうもないな」  とんでもない、日照りや冷害、病気や虫に強い野菜が出来る肥料。後のは最近問題になっている水中のマイクロプラスチックを無害化するのに使えるぞ。 「おぬし、企業にその力を売り込んでみんか」 「へ、どういう事」 「化学メーカーに今言った化学式を手土産にして、採用してくれと連絡するんじゃ。きっともろ手を挙げて歓迎してくれる。すぐに研究室を一つ貰えるじゃろう。そして、今の二つは即商品化されるじゃろうし、それ以外にも思う存分研究させて貰えるぞ」 「だから何、そんな事して僕になんの得があるって言うのさ。僕はあっちゃんが振り向いてくれないこの世界が嫌になったんだよ。どうしてそんなメーカーなんかに力を貸さなきゃいけないんだ」  あと、大学の連中を見返す事が出来るのかって顔に描いてあるな。そして、天才のくせに察しが悪いなあ、創造力はあっても想像力は無いな。 「今の二つだけでもおぬしは世界から賞賛される、ノーベル賞もとれるじゃろう、そして本気で研究に打ち込んで、もっと沢山世の中の役に立つ物を発明するんじゃ。そうすればな、あっちゃんは確実におぬしの事を見てくれる。それどころか、おぬしの名を呼んで褒めてくれるぞ」 「え、本当、ほんとに本当」 「ああ、本当だとも、大学の連中はきっと地団駄を踏んで悔しがるだろうなあ」  まあ、ノーベル賞が貰えるのはどんなに早くても十年後だけどね。 「じゃあ、ちょっと、やってみようかなあ」 「そうじゃ、きっとあっちゃんも応援してくれるぞ」 「分かった、ありがとう神様、行くね」  男はそう言うと足取りも軽く去ってしまった。 俺は扉を開けて表に出た。世界を救ったのはいいが俺の生活は何も変わらない。 しかしまあ賽銭を盗む気は失せたな、ホームレスにでもなるか、でもこれから寒くなるから辛そうだなあ、神様何とかなりませんか。もう酒もばくちも止めます。俺にはあの男のような才能は無いけれど役者の道を精進しますから。 俺は賽銭箱の前で手を合わせて祈った。  その時だ、胸ポケットでスマートフォンが振動した。見ると昨夜のTOTOサッカーくじの結果だ、毎週この時間に結果が出てメールで送って来る、いつも一口だけネットで買っているが当たったためしがない。どうせまた的中無しだろうと思ったら画面におめでとうございますとある。慌てて開くと一等ではないが、借金を返し部屋を借りて生活をやり直すには十分な金額が表示されていた。  思わず見上げて、神様に「ありがとう」と言うと、風も無いのに頭の上で鈴が鳴った。 「出来れば今度のオーデションも通るようにお願い出来ないかな」  もう一度鈴が鳴る。その音が「あつかましい」と「自分でつかみ取れ」と「まあ、ちょっとは助けてやる」が入り混じって聞こえた。 了
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