三場 完全犯罪の戯曲

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 三場 完全犯罪の戯曲

 あれから慌ただしく時が流れ、私は大学三年生になっていた。  標的が明確になり、私の意識はさらに高まった。しっかり勉強し、坊やが指定した大学へ難なく進学することができた。坊や曰く、ここからが戯曲の序幕であるそうだ。  私は高校卒業後に一人暮らしを始めた。それは《きぼうの里》の規定で、高校卒業後は自活しなければならないからだ。  大学は地元のため、ちょくちょく園に顔を出し、心ばかりの差し入れをしている。貧乏学生の身ではたいした物は買えないけれど、子供たちはみんな大袈裟に喜んでくれるのが堪らなく嬉しい。  私は大学進学後、心機一転、髪をばっさりと切り、念願の眼鏡を買った。子供たちは「可愛い」とか「似合ってる」とか歯の浮くような褒め言葉を言ってくれる。  私の大学生活は一般的な学生とは異なり、決して華やかなものではない。古臭い表現をするならば、「苦学生」といえよう。  シリアルと牛乳で腹を満たし、アルバイトをしながら勉学に励んでいる。きたる就職戦線に向けて今から準備を怠ってはいけない。それは坊やが指定した先へきっちり就職しなければならないからだ。坊や曰く、就職してからが戯曲の第一幕だそうだ。  とはいうものの、同世代の学生たちの動向が全く気にならないといったら嘘になる。彼女らは、それが学生のあるべき姿を体系化したといわんばかりにサークルや運動、あるいは運動とは名ばかりの異性との出会いを主たる目的とした活動に一度きりの青春を謳歌しているようで、まるで少し前に世界を席巻した経済ショックがなかったかのように彼女らはキャンパスライフを楽しんでいる。  私にはそんな時間がない。もちろん勉強もしなければならないのだが、生活費と奨学金の返済資金を捻出しなければならず、アルバイトに精を出す。  アルバイト先は大学近くにできたばかりのハンバーガーショップ。そこで赤の他人に意味もなく笑顔を振り撒いている。  ちなみに坊やの方は、大学一年生で、都内のとある大学の法学部に進学した。完全犯罪を遂行するには、この国の法律を熟知しなければならないそうだ。相変わらず復讐計画に関しては坊やに負んぶに抱っこである。  今日は世間一般ではクリスマス。けれども私と坊やにとって、この日は一年に一度の、完全犯罪の戯曲の打ち合わせをする日だ。そのついでといっては何だけど、《きぼうの里》に差し入れをしようと思う。  かくして、私は横浜駅で途中下車してデパートの地下街を散策していた。  あの子たちへの差し入れは何がいいだろうかとスイーツ店のショーケースを眺める。けれど、その値札を見て懐が心許なくなる。世間のクリスマスムードに誘われてデパートの地下街へ足を向けてはみたものの、やっぱり費用対効果ではコージーコーナーが一番。私はそう思い直して地下街を後にしようとした時だった。 『天童さん』と、どこからか、あの憎っくき名前を呼ぶ声がした。聞き間違え? あるいは同姓の他人?  私は足を止めて辺りを見回す。声のする方角には主婦然とした二人の女が雑談していた。その片割れ、あの女だ。私たち家族を見殺しにした女。  女らは満面の笑みで語らい合っている。女は上等そうなコートを纏い、その腕にはデパートの手提げ袋が二つも提げられていた。バラをあしらった手提げ袋。私が断念した手提げ袋。きっと旦那と息子のためのクリスマスの贈り物なのだろう。  私たち家族を見殺しにした分際にも拘らず、これでもかと幸せオーラを放っている。絶対に赦さない。  私は柱の陰に隠れて女を監視した。  話し終えた女は地下街を後にし、一階の化粧品売り場で足を止める。馴染みと思われる店員と訳知り顔で談笑しながら高価そうな口紅を何本か試して、そのうち二本を購入した。それから女はブランドもののバックやら時計やらを物色してデパートを後にする。私はその後をつける。  尾行して何がしたい訳でもない。本能のほとばしりがそうさせるのだ。女は駅の改札を抜け、階段を上って根岸線のホームで電車を待つ。  時刻は三時を少し回ったところで人は疎らだった。女はホームの一番前に立っている。そこへ電車が滑り込んできた。  なぜだろうか、時は気まぐれにもえらく鈍く流れているようだ。あの時の禍々しい記憶が顔を出して私の五感を刺激する。  刹那、私に明確な殺意が宿った。  この女の背中を一押しするだけで、女を殺すことができる。  時と共に成長した私の肉体はすっかり大人になっていて、坊やに頼らざるとも、私一人の力で殺れるのだ。坊やが唱える完全犯罪だとか犯罪原因論だとか、そんなまどろっこしいことを考えずとも、ドンっと一突きするだけ。  私は女の真後ろにつける。  電車が通過する手前で女の背中に手を伸ばす。  次の瞬間、私は身体ごと何者かに持ち抱えられた。手足をばたつかせて抵抗するも、全くもって効果がなく、私の身体はみるみるホームから引き離されてゆく。階段を下り、人が行き交うコンコースで私の身体は解放された。  そこには坊やが立っている。 「姉貴なにやってんだよ!」坊やはおいたをした子供を叱るように金切り声をあげた。  そこで我に返る。  私は公衆の面前で、人を殺そうとしていたのだ。自分でも嫌になるほど衝動的で短絡的な行動だった。頬に訳の分からない涙がつたう。  それから私たちは索漠とした気持ちのままで鶴見駅へと場所を移した。《きぼうの里》へ向かう道中、いつもの河川敷で腰を下ろす。坊やはおもむろに鞄からあの日記帳を取り出した。装丁はぼろぼろにくたびれている。 「この戯曲の通り演じるって約束しただろ。主役が序幕で逮捕されるなんてあり得ないだろ。刑務所に入ったら事実上、復讐はそこで潰えるんだぞ」 「ごめん……」 「二度とあんな馬鹿な真似しないって約束してくれ」 「ごめん……約束する」 「僕も約束するよ。姉貴の両親の仇は絶対に討つ。必ず奴らの死に顔を姉貴に拝ませてやるよ」  しばらく来ないうちに、ここからの景色は少しかわっていた。公園がなくなり、それにとって代わり、新しい工場が建っている。時の流れに抗うことができないのは私だけではないようだ。

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