君を好きでよかった

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306dbd9a-6a99-4def-8215-578c6bc1ed71  泣きつかれて死ねたらいいのに。 #142 2019年6月23日  夜、独りでベッドに入っていると、「このまま眠って目覚めなければいいのに」と思う。目を瞑ったら、知らないうちに呼吸が止まって、朝日が昇る前に私の身体は冷たくなっている。静かな部屋で、タンスや机やピアノと同じように、うんともすんとも言わない。主を亡くした家の扉は閉ざされたまま、やがて外では知らない人たちが起きて活動を始める。誰一人、私がいないことに気が付かない。そうして私の存在は、肉体もろとも腐敗して消える。  私は、寝転がったまま暗くて狭い天井を見つめ続けた。換気扇が回る音が聞こえる。外からは虫の鳴く声がはっきり聞こえる。田舎だから車が走る音はあまりしない。あまりに静かだから、色々なことを考えてしまう。もしこのまま私が死んだら、最初に死体を発見するのは誰だろう。大家さん? 同じ学部の友達? 警察? ママもおばあちゃんも遠くに住んでるから、たぶん私の姿を見るのはもっと後になる。  明日は午後から授業が入ってる。同じゼミの子は私がいないことに気付くだろうか。それとも、寝坊と思って放置かな。私はLINEの返信が普段から遅いから、もし友達から連絡が来て返事がなくても、きっとみんなそんなに不思議に思わない。ひょっとしたら、発見には一週間くらいかかるかも。隣に住んでる子に「異臭がする」って通報されて、初めてみんな気付くのかもしれない。そのころにはもう、今寝ている布団ごとぐちゃぐちゃで、身体のどこを見ても生きてた頃の私の姿なんて、きっと誰も思い出せない……。  毎日毎日、私は寝る前にそんなことをぐるぐる考える。十分、二十分、時には数時間。そのうち、だんだん瞼が重くなってくる。おやすみなさい。幸運にも、私に明日が来ませんように……。 #143 2019年6月24日  目が覚めた。何事もなく、当然のように。薄暗い部屋の中、カーテンを閉じていても漏れだしてくる日光が憎い。枕もとのスマホに手を伸ばし、画面の明るさに顔をゆがめながら時刻を確認すると、午前九時十六分。死にたい私は、やはり、目を覚ましてしまった。 「はあ……」  ため息をつきながら布団から這い出る。足も手もちゃんと動く。心臓も動く。  とぼとぼと歩いて台所に行く。夏の気配が近づいた室内の空気は、なんだかじっとりむかむかする。冷蔵庫を開けるとひんやりした冷気が頬に触れた。妖精の体温ってきっとこんな感じかもしれない、なんてメルヘンなことを思ったり。 「妖精なんているわけないじゃん」  声に出して、自分でツッコんでみたら、なんだか虚しかった。  この世界には、妖精どころか、神様も存在しません。  昨日買ったオレンジジュースが残ってたから、ガバリと飲んだ。甘酸っぱい味が心の隙間にどくどく流れ込んで痛かった。  ジュース飲んだら、顔を洗って歯磨きして、綺麗な服を着て、お化粧。今日の授業は大講義室であるから、たくさん人と会う。浮かないように、上手く紛れるように。みんなの記憶に私が残らないように。 #144 2019年7月4日  LIVEを並べ替えると、EVILになるって、昔ドラマで見たことがある。生きることは、悪いこと。私にとっては。憂鬱を抱えて、毎日朝が来るのが怖いのに、ちゃんと身体は生きている。命を無駄に使ってるみたいで、やりきれない。世界中で、毎日人が死んでて、その中にはまだ生きていたい人もたくさんいるのに。死ぬべきだったのは、あなたじゃなくて私なのに。かと言って、自分を殺せる勇気がまだないから、今日もこのブログを更新する。あーあ。そういえば、昔、「唯ぼんやりとした不安」から自死した小説家がいた。私の憂鬱は、はっきりと形があるのに、私を殺してくれない。臆病だから。 #145 2019年7月18日  私は私の顔が嫌い。朝、まだぼんやりする頭で歯を磨きながら鏡を覗き込むと、まるで人間の顔をしていない女が一匹。醜すぎて吐き気がする。  口を水でゆすいで、顔を洗って、もう一度鏡を見る。化粧をしよう。化粧水を塗ってクリームを肌にすり込んで、ファンデーションをしたら、目元に鮮やかな色を付ける。睫毛をぐいぐいとビューラーで上に持ち上げたら、次は頬にもほんのりピンクを付ける。まるで絵を描いているみたいだ。数十分かけて顔を描き換えたら、最後にすっと口紅をひいた。よし、この顔なら、きっと大丈夫。  服もしっかり着替えて髪の毛を整えて、もう一度鏡の前に立つと、そこにはちゃんと人間の姿があった。もっとも、人間の姿に必死で作りなおしたはりぼてなんだけど。  私は、鏡の前で少し体を揺らして見せた。ひざ下ぐらいの長さのスカートが、ふわりひらりとダンスする。どこからどう見ても普通の女の子だった。大学の友達はみんな、私をおしゃれと甘いスイーツが好きな、普通の女子だと思っている。おしゃれは鎧。誰も、これ以上私を知ろうとしないための盾。誰も私の体の内側が真っ暗で空っぽなことは知らない。  人間の形をした何か、女の皮をかぶった化け物……。人になり損ねて毎日死にたい私を、誰も気が付かない。いや、気付かれない方が、良いのです。  誰も私に気が付かないで。きっと私はあなたを不幸にします。 「なに、これ……」  僕は思わず呟いた。手に持ったまま一口もかじっていないアイスキャンディーが、とろとろ溶け出して、つー、と腕を伝う。クーラーの音が頭上からごうごうと鳴り響いていた。  夏休みが目前に迫ってきた今日、7月28日。大学から課された期末レポートがひと段落付き、休憩がてら適当な言葉を検索したりしてネットの海をさまよっていたらたどり着いたのが、今読んでいたブログだ。『泣きつかれて死ねたらいいのに。』という暗めのブログタイトルに魅かれて、何の気なしにクリックしてしまった。ブログの内容は、タイトルと同じく暗いものだった。と言っても、僕が読んだのは最近投稿された4つの記事だけで、全部読んだわけじゃないけど。ブログにしては嫌に生々しく文学的で、でも小説というには少し拙い。しかし、文章全体を通して、まるで黒いベールをかけたように仄暗く、柔らかく漂ってくる憂鬱の匂いに僕はなんだか心を奪われた。  だけど、それ以上に、僕の心には引っかかるものがあった。  この文章を目にしたとき、何故か初めて読んだ感じがしなかったのだ。言葉の使い方、比喩表現、句読点を打つタイミング……。全部、知っている気がした。どこで読んだのだろう。誰が書いたのだろう。この文章には、石ころ程度の違和感だけど、妙な胸騒ぎを起こす居心地の悪さがある。  僕はマウスをカラカラ動かしてパソコン画面をスクロールした。画面の一番上に、『泣きつかれて死ねたらいいのに。』とブログのタイトルが表示される。そこをクリックすると、ブログの概要と、執筆者のプロフィールが表示された。  哀田 詩央  性別 女性  1999年12月28日生まれ。二十歳になる前に死のうと思っています。でもまだ勇気が出ないから、決心がつくまでこのブログに想いを綴ります。  あいだ しお、と読むのだろうか。その名前に聞き覚えはなかった。それよりも。 「にじゅっさい……しぬ……?」  あまりのことに間抜けな声が漏れた。僕は咄嗟に机の上に置いていたカレンダーを見て、再び今日の日付を確認する。2019年7月28日。 「残り5か月じゃん……」  彼女が決めた命の期限はちょうど5か月だった。もう半年もない。それに、5か月いっぱい生ききる前に、決心がついてしまう可能性もある。  僕は、もう一度前の画面に戻って最新の記事の日付を確認した。7月18日で更新が止まっていた。十日も空いている。もしかして、この間に、死んだんじゃ……。  そこまで考えてはっとした。何で僕はこんなに真剣になっているんだ。所詮偶々ネットで見かけただけの、何処の誰かも知らない人のブログじゃないか。書いてあることが本当かどうかもわからないのに。  なんとなく馬鹿らしくなってふっと鼻で笑った。左手のアイスキャンディーが、助けてくれと言わんばかりにぽたぽた汗をかいている。僕は二、三口、がぶがぶと嚙みついて一気に飲み込んだ。ソーダ味とともに頭の奥がキーンとした。  きっと、誰か有名な作家の文章の真似でもしていたのだろう。ブログの中でも小説家について触れていたし。だからなんとなく見覚えがあったのだ。あと、プロフィールを見たとき、彼女が僕と同い年だったから、妙に親近感がわいてしまったのかもしれない。  机の上に零れ落ちていたアイスキャンディーのしずくをティッシュで拭きながら、そう納得した。僕は丸めたティッシュと、アイスの棒をゴミ箱に投げ入れ、画面の向こうで自殺願望を抱える僕と同じ年の女の子のことも、簡単に片付けてしまった。
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