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目が覚めると、もう朝だった。いつの間にか眠っていたらしい。カーテンから弱々しい光が差し込んで、部屋をぼんやり照らしている。何度かギュッと瞬きしながら、ベッドから体を起こした。
時間を確認しようとスマホの画面を見ると、葵から着信が入っていた。騒がしい着信音でも起きないくらい、僕は爆睡していたらしい。
でも、どうしたんだろう。時間はまだ9時になったばかりで、着信があったのは30分も前だった。こんなに朝早くから、急いで伝えたいことがあったのか。
僕は、履歴に表示された、葵の名前をタップした。
無機質な呼び出し音が、数度、鳴り響く。3コール目が終わる直前、葵は電話に出た。
「……葉一くん」
電話越しに聞く葵の声は、いつになく静かだった。
「さっき電話かけてくれてたのに、気付かなくてごめん。どうしたの?」
尋ねると、暫く葵は何も言わない。電話の向こうは、少しがやがや煩かった。風が吹く音に交じって、ごとんごとんと、路面電車が通過する様な低い音もする。外にいるのだろうか。
僕は彼女の言葉を聞き漏らさないように、黙ってその先を待った。
「昨日は、本当にありがとう」
やがて、聞こえてきた最初の言葉は、それだった。
「ああ……、こちらこそありがとう」
返事をしながら、昨日の帰り道も、こんな会話あったよなあと、少し不思議に思う。葵は、たぶん何か他に言いたいことがあるのだろう。僕はまた、じっと電話の向こうに耳を澄ませた。
すっと、葵が小さく息を吸う音が聞こえた。そして、
「さいごに、あなたに会えてよかった」
さいご……?
「さいごって、どういうこと?」
咄嗟に聞き返した。ぞわっと、また、得体の知れない感情が、心臓の裏からせり上がって体を侵食してゆく。
葵は、僕の言葉に答えを出さなかった。その代わりに、
「さよなら」
そう一言、言葉を残して、通話は切れた。
葵、と短く呼びかけるけど、永久に無音だった。もう一度、こちらから電話をかけなおす。
しかし、何度かけても、葵は出なかった。
どうしたのだろう。さいごって、どういうことだろう。葵は、もう僕に会いたくないということか。それとも。
――最期。
精霊流しの日の、黒い、影のような葵の姿を思い出す。まさか、そんな。
静かに、スマホを耳元から離して、画面を見つめた。着信履歴に、『志田葵』の文字が並んでいる。
「しだ、あおい……」
ぼんやり、読み上げてみて、はっとした。
約三週間前、はじめて『泣きつかれて死ねたらいいのに。』というブログを見つけたとき。あの時素通りした言葉が、焦りとともに、蘇ってくる。
“LIVEを並べ替えると、EVILになる”
しだあおいを、並べ替えると、あいだしお。……
気が付いて手が震えた。偶然ではないと思った。
似ている文章。同じ誕生日。名前はアナグラム。「もう、私は小説を書かない」という言葉。そして、電話越しの消え入るような「さよなら」。
すべてが、葵を殺してゆく。
嫌だ、殺さないで。でも、どうしたら。
『泣きつかれて死ねたらいいのに。』
僕は、スマホにそのブログを表示させた。もう今は、ここに縋ってみるしかなかった。
「……あ」
ページを開くと、新しいメッセージが追加されていた。
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