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#149
2019年8月17日
私は3年前、恋人を亡くしました。
一つ上の学年だった彼とは、同じ文芸部で出会いました。
不器用でのろまで、かわいげのない私のことを、人生で初めて好きだと言ってくれた人。私は嬉しくて、彼の気持ちに応えようと努力しました。私のことを愛してくれる彼のために、私も彼を愛そう。そう思いました。
しかし、上手くはいきませんでした。
私の心には、どうしても、忘れられない人がいたのです。
自分でもはじめは気が付きませんでした。でも、ふとした瞬間に思い出してしまう。その人の声、表情、しぐさ。私がどんなことを言っても真剣に聞いてくれた。私の書く小説を、面白いと言ってくれた。一緒にいてくれた。その思い出が、私の中に強く染みついている。恋人にその人の姿を重ねてしまう。
完全なる、未練でした。
私は、自分の中に根を張るこの気持ちに気が付いてから、恋人といることが苦しくなりました。私を好きと言ってくれる彼を正面から愛したいのに、自分の中に居残る存在が消えない。彼に愛してもらえばもらうほど、心の中に別の人がいる罪悪感でつぶれそうでした。
だから、私は綺麗になる必要がありました。
心の中にいるその人を思い出させるものを、全部捨てました。連絡先も消した。その人が夢中になって読んでくれた私の小説も、捨てました。
そして、恋人にはより一層笑顔を振りまきました。彼の顔色を窺い、彼の言葉に同意して、求められればいつでも体を差し出しました。
私は必死でした。でも、自己満足だと言われてしまえば、何も言えません。
そんなある日、彼は私に「海へ行こう」と言いました。私は高校二年生の夏休み。彼は高三だったので受験勉強が忙しいのではないかと心配しましたが、「息抜きだよ」と笑っていました。
二人で電車に乗って海へ行きました。一時間ほどで着いたその海は、青く透き通っていて綺麗でした。彼の笑顔は海に良く似合っていました。
白い砂浜を並んで歩いたり、浅瀬で水を掛け合ったり。一通り遊んでお腹がすいたので、海の家で焼きそばとかき氷を食べました。イチゴ味のシロップで舌が真っ赤になった私を、彼は笑って見ていました。
お昼ご飯の後。暫く砂浜でお城を作ったり海を眺めたりしていると、不意に、彼が私にキスをしました。そっと触れるだけの、短いキスでした。唇を離した彼はひどく優しい顔をして、私を見つめていました。でも、視線から伝わる彼の愛情を抱えきれない私は、ぱっと目を逸らしてしまいました。彼は、少し悲しそうな顔をしました。
「俺、ちょっと泳いでくるよ」
彼は、そう言って立ち上がりました。
「詩央は、ここにいる?」
「……うん」
少し、一人になろうと思いました。目を逸らしてしまったこと、彼とまっすぐ向き合えないことが申し訳なくて、彼と一緒に海に入る気になりませんでした。
今思えば、これが間違いだったのです。
「じゃあ、待ってて。すぐ、戻るから」
彼は、私に背を向けて、真っ青な海へ駆けて行きました。
しかし、彼が戻ってくることはありませんでした。彼は溺れ死にました。
罰だと思いました。これは、心から彼を愛せなかった罰だと。
私が彼を愛しきれないこと、彼はきっと気が付いていました。彼の死は事故として処理されましたが、私はそうは思えません。私が、彼を殺したのです。私が彼の心を深い海の底へ突き落したのです。
後悔しました。自分を心から恨みました。
泣いて、泣いて、泣きわめいて。泣きつかれて死ねたらいいのにと、毎日思いました。だけど、一週間たっても、一か月たっても、死ねなかった。この期に及んで、死ぬ勇気さえありませんでした。
でも、やっと。ようやく、決心がつきました。
今日、彼が眠る海に、私も沈みます。
ありがとう。では、さようなら。
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