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Ⅲ.ロスト・アングルの真意(1/5)
――身体が軽い。
自転車のギアが壊れて空回りしてるのかってくらい漕ぎ心地がないし、蒸し暑さも全然気にならなくて、あっという間に家に着いてしまった。
玄関からリビングまでもぴょんぴょん跳ねるように移動出来る。動きにキレがある感覚ってこういうことを言うんだ。
手洗い中のハンドソープも新鮮な香りに感じるし、うがいした後の顔も、なんだか自分じゃないみたい。いつもはもっと亡者みたいに口の端から水を垂らしていたりするのに。
私は持ち帰ったテイクアウトのハンバーグと、クレジットカードを携えて、パパの書斎の扉を開いた。
「トウコ・イーツ、到着しました――」
って……あれ?
ヘッドセットを着用したパパの顔が青ざめている。そしてパパの前のモニターには知らないおじさん達の顔がたくさん映っている。
小一時間前のパパの言葉が私の頭を駆け巡る。
『――こっから数時間WEB会議地獄が確定して――』
そうだ。会議中だったんだ。
これはしくじったな。
静かな部屋にパパの声だけが響く。
「すみません、娘なんです! はい、ちょっと昼ごはんの買い出しを頼んでいまして……はい、いえ、すみません……」
パパが何を言われているか聞こえないので不明だが、モニタに映ったおじさん達は皆一様に笑顔だから、大丈夫かな。
ていうか恥ずかしい。私はそそくさとハンバーグの袋を扉の横に置くと、画面の向こうの方々に、見えているか不明の一礼をして部屋を後にした。
失敗した。ちょっと浮かれていた。
許してよ、久々に調子に乗れるようなことがあったんだもん。
私はふとスマホを取り出して画面に目を遣った。何の通知もない。
それはそうだ、宮岡はまだバイト中だろうし、連絡なんて出来ない。
……正直、もしかしたらって、予感はあった。
宮岡に連絡先を訊かれたことについてだ。
別に高飛車になっている訳でもなんでもない。こういうのってなんとなく感じるものでしょ。所作や雰囲気や態度とか、色々含めてさ。
むしろ『全然予想もしてなくて』『頭真っ白になって』『幸せすぎて……』とか、こんなのよりも私の意見のほうがよっぽどリアルだと思うけど。
だけど本当に追いかけて来てくれた時は、しどろもどろになった。希望的観測とか予想をいくらしていても、実践では何の役にも立たないことの証明だ。
今はとにかく、宮岡と話したい。その気持でいっぱいだった。
誰かにそんな感情を抱いたのは本当に久しぶり。訊きたいことが山ほどあって、でも実際に話したら訊けるかどうかの自信もなくて。
私はソファーにうつ伏せになって、足をバタバタさせた。
いつもなら飛び乗ってくるはずのヒメモさえも、私の異変に気付いているのか遠巻きに歩きながら私を見ているだけだ。
私はそんなヒメモに指ハートを贈ってあげた。
ヒメモは部屋からログアウトして行った。
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