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Ⅱ.地球人と地球人(3/5)
――いい匂い。
ナツメグなのか、なんなのか。少しスパイスっぽいような香りがして、その背後からお肉のジューシーな蒸気がガツンと押し寄せてくる。
表現が汚いけど、鼻の奥の方に控えている液体まで全部肉汁になってしまったみたいな、香りだけでそんな錯覚を覚えてしまう。
一口大に切って、フォークで刺す。この時点でジワっと肉汁。
ああもう、この液体が化粧水とかになればいいのに。
そしたら毎日塗りたくってやるのに。それで例え犬猫に追われる身になったとしても一向に構わない。
私は、いよいよその至高の塊を口に運ぶ。
このハンバーグに歯は不要だ。ただ舌に乗せて少し口を動かせば、自然に口に広がって消えて行く。そう、美味しさだけを残して。
「ああ、美味しい……」
すごく自然に頬に手がいって、独りごちてしまった。
これは脳がどう頑張っても制御不能だ、ハンバーグにマインドハックされて無意識に行われた行為だから。
厨房からマスターの笑い声が聞こえた。
「本当にトウコちゃんは美味しそうに食べてくれるよな! おじさんも嬉しくなっちゃうよ!」
「――え!? あ、そうですか?」
……あんまり食べているところを注目されたくはないんだけれど、別にけなされたり馬鹿にされている訳でもないので、対処に困ってしまう。
まあいい、今は外野のことはどうでもいい、ハンバーグとの対話の時間なのだから。私はまた一口大に切って、口に運ぶ。そしてその美味しさが消えていく前に、ライスのお皿から適量のお米達を口に運ぶ。
この瞬間、米は別のものに進化する。そう肉の旨さの運び手となるのだ。
私はその黄金のルーティーンを完全に思い出し、早食いとまではいかないまでも、一定のペースでどんどん、お腹に収めていった。もう宮岡が居たことも後半忘れていた。好物を食べるってこういうことなんだなって、久しぶりに思い出した。
――ハンバーグとの蜜月の時は、私の時間感覚を狂わせた。
どれくらい現実時間が経っていたのか分からないけど、気付けば眼の前の皿は、米粒ひとつ残らずに綺麗に平らげてあった。
私は残っていたメロンソーダを手に取ると、ズズズと音がしない限界くらいまで吸い尽くした。そしてカウンターに置かれた紙ナフキンを手に取り、口元を拭った。リップメイクなどしていない。だからこそ思い切り拭ける。
あ、リップグロスなら付いてるかも。肉汁だけどね。
私が至福の時を終え一息ついていると、宮岡が近づいて来る。
「マスターも言ってたけどさ、仲西さん、美味しそうに食べるね」
「そんな、見ないでよ……」
「いやいや、良いと思う! なんかこうさ、小さく少しずつ食べる子より、俺はしっかり美味しそうに食べてくれる人の方が、全然好きだよ」
「え!? あ、そう……なんだ」
「うん! 見てるこっちもお腹減ってくるし、なんか幸せになる!」
「なら……良かった」
……その『好き』っていうのはさ、私にじゃなくて美味しそうに食べる人全般に対して向けられた表現なのだと理解してるんだけど。
だけどそれでも、嬉しかった。
宮岡よ、そんな見た目して簡単に好きなんて言わない方がいい。あんたに他意はないとしても、そこに意味を見出したい女子は、たくさんいるから。
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