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10 恋する雪だるま、ふくふくと ①
ここは母屋での僕の部屋だけど離れに残してきた物をすぐには引き上げる気にはなれなくて、適当な机とベッドを置いただけになっている。
夏希を床に直に座らせたくはないから、座布団代わりの大きなクッションくらい持ってくればよかったと後悔するが、ないものはしょうがない。
夏希を机の前に置かれた椅子に座らせ、僕は床に座った。すると夏希も慌てて僕の前に座り直した。
「夏希は椅子に座ってくれてよかったのに……」
「目を見て、きちんと話したい、から」
そう言われてしまえばふたりでベッドに座るなんてことはできないから、頷いた。
言葉の通り長い前髪は耳にかけられ、夏希の表情は丸見えだった。
そんな場合じゃないのに僕の胸はドキドキバクバクと煩く騒ぐ。
夏希はそれに気づいているのかいないのか、にこりと笑って、そして自分のことについて語りだした。僕もドキドキを無理矢理意識の外に追いやって、夏希がこれから話すことに全力で向き合おうと耳を傾けた。
「――オレと母さんは父さん……城戸から逃げてたから、あちこち転々としていてひと所に留まることはできなかったんだ。だから友だちなんてひとりもいなかった」
淡々と語られる夏希の過去は僕が思う以上に大変だったんだと思う。母親とふたりでの生活も大変だというのに、城戸から逃げながらでは気が休まることもなかったのではないだろうか。
「でもオレ、あの時初めて友だちって言える子と出会ったんだ」
そう言って微笑む夏希に僕はこくりと頷いた。
友だち、という言葉に少しだけ嫉妬しそうになったけれど、夏希の様子からその友だちはきっと幼い夏希の心の支えになってくれたのだろう。僕の『あの子』のように。そう思うと安堵や喜びの方が勝った。つらい想いばかりじゃなくてよかった――って本気でそう思ったんだ。
でも続く言葉に驚く。
「その子は『雪だるま』って揶揄われてて――、でもオレはその子のこと可愛くてすごく好きだなって思ったんだ」
――え? 『雪だるま』って揶揄われた子が……友だち?
固まる僕をそのままに夏希の話は続けられた。
「初めて会ったのにいとおしいって思ったんだ。なんでかな? その子がとても温かくて、母さん以外で初めて温もりをくれた子だったから、かな? もう一度会いたいって思ったけどすぐに母さんと別の場所に移ったから会えなくて、そしてしばらくして母さんも亡くなってしまったんだ。Ωだったから元々身体が弱かったのにオレを連れての逃亡生活に無理がたたったんだって……。それからオレの生活は一変して――血が繋がっただけの父親に保護されたんだ。けど父親にはオレの存在は無視され続けて、使用人たちには――」
そこで言葉を切る夏希に、色々なことがストンと腑に落ちた気がした。
あの太陽みたいな笑顔の子がなぜ笑わなくなってしまったのか、少しのことに怯えるようになってしまったのか。
使用人たちになにを? だなんて訊けないけれど、想像でしかなくても夏希の痛みはいたいほど分かる気がした。
「こんなんなら放っておいてって何度も思った。何度も思って、つらかったときあの子のことを思い出していたんだ。あの子はオレみたいに泣いてないといいな、もう一度会えたら抱きしめてあげるって。でも、そんなのはぜんぶオレが望んでいたことで、オレがして欲しかったことだった。オレが売られた先にあの子――雪夜を見つけてどんなに嬉しかったか。でも雪夜はオレのことが分からなくて――裏切られた気がしたんだ」
僕は言葉もなかった。
僕はこんなにも変わってしまったのに、夏希は僕があの雪だるまだってすぐに分かったって――。
探しに行かなくても僕の元にきてくれた夏希に、僕は気づけなかった。
僕が求めたように、いやそれ以上に夏希は僕のことを求めてくれていたのに――。
会えばすぐに分かるって思っていた。
なんで僕は夏希に気づけなかったんだろう。
なんで僕は夏希があの子だって思わなかったんだろう。一年近く傍にいたのに。
長い前髪で顔が見えなかった、だなんて言い訳にもなりやしない。
僕が気づかないことで随分夏希を傷つけたのだろう。つらい日々に僕を想ってくれていたのに、睨まれて当然だと思う。
夏希が家にきてすぐに気づいていれば、気づかなかったとしても夏希のことを好きな気持ちを認めて伝えていれば……あんな事故みたいに襲うこともなかった。きちんと婚約者として番うことも可能だったはずだ。
夏希を手放さなくて良かったのに――――。
後悔に俯く僕の手を夏希がキュッと握って、顔を上げた僕に微笑みかけてくれた。
「でも雪夜は優しくしてくれて、一生懸命オレに寄り添おうってしてくれたよね。嬉しかった……けど、オレは雪夜とはダメだから――。静夜さんに番になってくれるように頼んだんだ」
夏希の僕を見つめる眼差しはどこまでも優しくて、愛されていると勘違いしそうになるけど違うんだ。夏希は僕とはダメだと言った。ダメな僕じゃなく兄さんと――。
だけど続く夏希の言葉に訳が分からなくなる。
「オレさ、雪夜の傍にいる為に静夜さんを利用しようとしたんだ。でも、やっぱりダメみたい」
――え?
兄さんを利用しようとした? しかも理由が僕の傍にいたくて……?
Ωにとってどんな経緯を辿ったとしても『番』は絶対なのに――、僕に愛想尽かして兄さんのことが好きになった、ってことじゃないの――?
「だからこれは最後の我儘。一度くらいなんにも我慢なんかしたりせず自分の気持ちを伝えてもいいかなって思ったんだ。でも伝えちゃった以上は静夜さんと番になったりしないし、ここからも出て行くから安心して? 安心して雪夜は好きな人と番になってね? オレはコレがあるから大丈夫だからさ」
そう言ってポケットから取り出した雪だるまのマスコットを抱きしめ、にこりと微笑む夏希。見ると随分ボロボロになっていて、最初は白かっただろう雪だるまはねずみ色になっていた。
胸がギュッとなって、言葉より先に僕は夏希を抱きしめていた。
ここで初めて僕は自分の犯した最大の間違いに気がついたのだ。
夏希が僕とはダメだと言う理由を。
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