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0 恋、はじめて ①
この世界には基本性である『男』『女』の他に二次性『α』『β』『Ω』の三つ、合わせて六つの『性』が存在している。性の組み合わせによっても違いはあるが、一次性よりも二次性の違いが大きく人生を左右した。
人口の大半は能力容姿、諸々一般的なβが占めていて、すべてにおいて優れているαとすべてにおいて劣るΩは共に数が少なく、ほんのひと握りの存在だった。
にもかかわらず世界の頂点に立ちすべてを支配していたαはさすがとしか言いようがなく、それだけ能力に差があるという証明でもあった。
だからこその傲慢、自分たちを誘惑しそれに抗えないことへの苛立ちをΩを貶めることで晴らそうとした。
『Ωは卑しい者』『堕落へと導く者』という極端なイメージの押しつけ。それを信じて疑わないβと、抗うことのできないΩ。
さすがに抑制剤が普及し、むやみやたらに発情フェロモンを振りまくことのなくなった現代では、表立ってそんなことを言うのはかえって恥ずかしいこととされたが、その考えを捨てられないαも確かに存在していた。
二次性なんて関係ないはずの未分化の子どもたちにおいても、表向きは平等としながら小さな箱庭の中でそれとは別の力関係が存在するのも同じ理由なのかもしれない。
ピラミッドはその内訳を変えても一定数の人間にとってはそれは絶対不可欠の、自らを肯定する材料なのだから。
*****
小さい丸と大きい丸で『雪だるま』
それが小さいころの僕につけられたあだ名だ。
当時はそう呼ばれることがとても悲しく、嫌だった。そう呼ばれる理由が僕の見た目からきたもので、揶揄いが含まれていたからだ。まるまるとしていてずんぐりむっくりの僕の身体。丸と丸で雪だるまだなんて本当にうまいこと言うなって思うけど、自分も子どものくせに子どもって残酷だなとも思っていた。
僕の場合は暴力を振るわれたりはしないからいじめとは言えないのかもしれないけど、僕は感情を持たないロボットというわけじゃないから言葉だけでも胸は痛むし、止めて欲しいと思っていた。僕は雪夜であって『雪だるま』ではないのだから。
なまじ僕の名前に雪という字が入っているものだから、ニコニコ笑顔で「雪だるまあそぼう」って言われると大人たちの目には微笑ましいものとして映ってしまうようだ。
最初のころは僕も「違うよ。僕は雪夜だよ。ユキくんだよ」って訂正していたけど何の改善もみられなかったから、途中からはもう諦めていた。
僕を見てにたりと笑う十時くんの目が意地悪く弧を描くのを見て、十時くんはただ僕のことを揶揄いたいだけなんだと分かったからだ。
だとしたら僕はもう黙るしかなかった。
下手に騒いで父さんに伝わったりして、これ以上心配をかけたくはなかったから。
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