第2話 欲しいのは

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第2話 欲しいのは

 「アデリー……」  王宮の長い廊下の途中、誰が聞いてもそれと分かるほどの甘さの滲む声に、アデライードは歩みを止めた。  振り返る前から声の主が誰かは分かっていたが、この国では珍しい透けるような銀色の髪に、美しい菫色の瞳が燦爛と輝くのが目に入った途端、自然と唇が綻ぶ。 「ルカ! ここで会えるとは思っていなかった」 「君に会えるなら、僕はどんなところへも行く。知っているだろう?」 「ふうん? だが、王宮内が浮き足立っていた理由が分かった。皆は、ルカが来るのを知っていたようだな」  優秀なる官吏を輩出するための王立学院を首席で卒業するや否や、第二王子の補佐官として任命された秀麗な青年のことを、知らない者はいなかった。  しかし、それだけではない。ルカの珍しい容貌――古代の血を繋いでいる証である銀髪と菫色の瞳を持つこと――もまた、その要因の一つだった。  選ばれた血を繋ぐのは王家だけではない。  この国には、古代から魔力を宿した血を細々と受け継ぐ者が存在する。  ルカの銀色の髪と菫色の瞳は、その古の血を持つ証であった。  第一騎士団の黒の正装に身を包んだアデライードを一瞥したルカは、ふっと優美な唇を歪める。 「王宮内が浮き足立っているのは、僕の所為ばかりじゃないけどね。……とはいえ僕の気持ちを知らない筈もないのに、相変わらずだな、君は。それに……今日は久しぶりにドレス姿を見られると思って楽しみにしていたというのに、男装とは」  聞きようによっては、自身が魅力的であることは知っていると言わんばかりの台詞も、不思議と嫌味には聞こえないのは、ルカだからこそである。 「御前試合がある」 「まさか、君も出るなんて言わないよね?」 「何で、まさかなんだ。隣接するサルゴバリ国の辺境伯爵領からナサリオ伯ロランドが親善に来る。その為の試合だ。出るに決まっているだろう」  呆れたと言わんばかりの表情を見せるアデライードに、ルカも大袈裟な溜め息を吐いて見せた。 「王女という立場でありながら、君が国を守る為に騎士を選んだことを、否定はしないよ。御前試合だって、花を添えるどころか誰よりも活躍するのは目に見えている。しかし、この際言わせて貰えばいくら君が優秀だからといって、なにも第一騎士団で戦わなくとも後方の……」 「ルカ、何度も言わせるな。末の王女だからこそ騎士であることを望んだのだ。姉たちは皆、近隣の国に嫁ぐという形で、この小さな国を守っている。五番目の私にはその嫁ぎ先すらない。何より実母の出自も低く、国内に於いてもこの身に大した価値はないだろう。あるとすれば、功績を上げた兵士の褒賞として美しい王女という飾りを与えられるくらいだ。それが国の為になるとでも? ならば少しでも民の為になるのは何か、と思った。守られているだけの安全な後方では意味がない」 「政治的思惑ばかりが、君の価値を決めるのじゃないって僕は教えたと思うんだけどね。そして僕にとっての君が、君にとっての僕が、互いにどういう存在であるのか、そろそろ分かっても良いころだ」  ルカの熱を帯びる菫色の瞳から目を逸らしたアデライードは、この話題は終わりだと言わんばかりに片手をさっと振った。 「兄上を探している途中なら、執務室にいるんじゃないかな」 「……それは、本気で言ってるの?」  常よりも低いルカの声が、首筋に冷たい刃を当てられた時のようにアデライードの肌をざわめかせた。  戦場で敵と対峙した時よりも強い恐怖に似た何かが、アデライードの身体の奥の方を蹂躙する。 「色々と準備があるので、失礼する」  未知の恐ろしさから震える声を誤魔化し、身を翻そうとしたアデライードの手首をルカが掴んだ。 「また、逃げるんだ?」  二人の視線が絡まった。 「僕は君に会いに来たんだよ。自分の気持ちに、まだ気づかない振りをする気なの? 僕の気持ちは、ずっと前に、それこそ何度だって伝えてあるはずだ」  アデライードの手首を掴んでいたルカは視線を逸らすことを許さず、するりと手を滑らせ指先を絡め取ると上目遣いのまま、そこに、そっと唇を落とした。  菫色の瞳に囚われ、アデライードは罠にかかったように身動きが出来ない。 「……アデリー」  甘く囁くとルカは、もう片方の手でゆっくりと、ひとつに結え背中に流しただけのアデライードの月を溶かしたような淡い金色の髪に触れる。そのまま、ぐっと身体を引き寄せると逃げられないよう手を腰に回した。  ぴたりと密着した身体は、アデライードとは違う。服越しであっても女性とは異なるルカの身体の熱い硬さを、アデライードは強く感じた。 「覚悟を決めて」 「…………駄目だ。死と隣り合わせの私は、血を繋ぐ必要のあるルカに相応しくない」  あまりにも近い距離で見つめ合うことに耐えられず、絡め取られたままの指先に視線を逃せば、女性らしさのない自身の手にアデライードは胸が苦しくなる。国を守る為とは言え、同時に戦いで、たくさんの命を奪った血に塗れた手。 「そんな心配は、いらないと言ったら?」  耳元にルカが顔を寄せて囁いた。  ルカの吐息に、耳朶を擽る唇に、勝手に身体が反応し、その恥ずかしさにアデライードは顔を赤く染める。 「僕が欲しいのは、君だけなんだ」  掠れたルカの声には、思い詰めたような懇願が込められていた。
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