第3話 御前試合

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第3話 御前試合

 貴賓席にサルゴバリ国のナサリオ辺境伯ロランドが姿を現した途端、その類稀な美貌と男性的な色香に、会場にいる女性たちから黄色い悲鳴が上がった。    隣りには、歓待するためアデライードの兄である第二王子が正装姿で並んでいる。王族らしく整った顔立ちをした兄よりも、誰が見ても隣国のナサリオ伯ロランドの方が完全に役者が上だった。  引き立て役のような兄の姿を苦笑混じりに闘技場から見上げていたアデライードだったが、その奥に控えるルカを見つけて、自然と瞳が潤み、唇が柔らかく綻ぶ。  そうなってしまうと、見えているのはルカだけであり、そんな自分がアデライードは恐ろしかった。  ……いや、本当に恐ろしいのはルカだ。  何故なら、ルカを前にするとアデライードは弱くなる。菫色の瞳で見つめられるだけで翻弄される感情に支配され、自分自身を失ってしまう。その抗い難い感情と、自身を失ってしまう恐怖に耐えられずに、逃げ出したくなるのだった。  というのも、これまでのアデライードには怖いものなどなかったからである。あったとしても一度覚悟を決めてしまえば、どんな恐怖にも立ち向かうことが出来た。  そう、ルカ以外は――    アデライードが思わず身体を震わせたとき、ふと何処からか視線を感じた。  周囲を見渡し視線の送り主がロランドと知ったのと、完全に目が合ったのは同時だった。その瞬間、ロランドの何事にも動じそうのない、その冷酷な色を宿す灰色の双眸が僅かに揺れるのが見えた。また、眩しいものを目にしたときのように僅かに顔を顰めたようでもあったが、自らが手にしている剣の反射のせいだろうとアデライードは、たいして気にもせずに黙礼をし剣を収めると踵を返しその場を離れたのだった。    剣先を合わせ、高い金属音が響いたのを合図に、打ち合いが始まる。  親善試合ということもあり、アデライードが対する相手は、ロランドの私兵の一人だった。  サルゴバリ国の兵士とは何度か戦場で剣を交えたこともあったが、繰り出される剣先の動きは、これまでにアデライードが知る剣捌きとは違う。  柔軟に、変幻自在に動くその剣は、アデライードの知るサルゴバリ国のものより直観的だ。  剣を交え、切先をかわしつつアデライードは、どうやらロランドの私兵は、サルゴバリ国の者ではないようだと推考する。  であるならば、とその意味の続きを考える暇もなく、次々と剣が繰り出される。  最初は戸惑い、受け流すのが精一杯だったアデライードだったが、ある程度打ち合いが続くと打ち出される剣の癖や特徴を読み取れるようになって来た。徐々に攻勢へと切り替えてゆく。  女であるアデライードが勝負を長引かせるのは得策ではない。どれほどの忍耐を持ってしても、男には敵わないものがあるからだ。  一歩下がると見せかけ、逆に踏み込んだ。思わず身を引いた相手の顳顬(こめかみ)を、アデライードの剣の切っ先が掠める。 「……美しいだけの飾りかと思っていたが、違うとはねえ?」  相手は嬉しい誤算だ、というように笑う。  力で押すようにしてアデライードの剣を受けると絡め流し、わざと長引かせるように同じような地味な剣捌きを続ける。 「だが、体力はどうかな?」  その相手の言葉に、次に笑みを浮かべたのは、アデライードだった。 「……ほう? こちらの体力が切れるのを待つしかないとおっしゃるか。そうそうに自らの負けを認めるようなものだが、女相手に随分と情け無いな」  アデライードの生意気な言葉は、挑発と分かっていても相手の気持ちが乱れる。その僅かな隙。  それを見逃すアデライードではない。  鋭い剣先がその一瞬の隙を突く。  繰り出された剣先を流し、しなやかに翻ったアデライードの剣が相手の首筋、紙一重のところでぴたりと止まった。  その瞬間、しんと静まり返った会場に響くのは互いの荒い呼吸音だけだった。  やがて、どっと沸いた歓声に相手は剣を収め、アデライードは艶やかな笑みで応えてみせた。 「なるほど、美しい花には棘があることを忘れていたようだ」  悔しさを滲ませつつも、口の端を僅かに上げて男は、剣を収めたアデライードに向かって片手を差し出す。   「ハンスだ。ハンス・グルーバー。次に会うのが戦場ではないことを祈る」 「アデライードだ。そうだな……同じく」  手を握り返しながら名乗る。名前を聞いたハンスが器用に片方の眉を上げた。おそらくこの国の王女だと、今になって気づいたらしい。アデライードは自嘲気味に小さく笑みを浮かべ、片目を瞑って見せた。  その手を離した後、無意識にルカの姿を探して顔を上げたアデライードは、絡みつくようなロランドの視線を受けて思わず怯んだ。  その場に固まってしまったようなアデライードを不審に思ったハンスが視線を追い、その先にあるものに気づき、小さく驚いた声を上げた。 「閣下のあんな顔を初めて見たな。アデライード嬢、気をつけた方が良い……と言っても気をつけようがないかもしれんが」  ハンスの目が不憫そうに細められたのを見たとき、それを何かの始まる警告だと思ったアデライードだったが、それが全ての終わりだったことを知ったのは、何もかもを失った後であった。  
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