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第4話 月に濡れる背
ルカに対する覚悟を決めたのは、御前試合の勝者を称える祝宴を兼ねた夜会から抜け出す約束をした、あの廊下でのことだった。
それでもアデライードは自室の扉を開け、ルカの姿を目にした途端、飛び込みたいのか逃げ出したいのか分からずに足が竦んでしまう。
「アデリー……上手く抜け出せたみたいだね。男装も素敵だけど、ドレス姿の君は、やっぱり誰にも見せたくないな」
月明かりだけが照らす仄暗い部屋の中であっても、ルカの銀色の髪の輝きは一層の美しさを放っている。
艶を含んだ菫色の瞳で見つめられ、その優美な唇が弧を描くのを見ただけで、アデライードの身体は震えた。
戦いの前の武者震いとは違う。
純粋な恐怖、それから……歓喜で。
「ルカの方こそ、既に来ているとは思わなかった……」
「待ち切れなくて……ははッ。いや、嘘じゃないよ。まあ、本当のところは君が心変わりするんじゃないかと思ったら落ち着かなくて、殿下に協力して貰ったんだ」
「……兄上に?」
「そう。僕たちのことは、話してある。ついに君が覚悟を決めたことは、陛下にも伝わっている筈だよ」
「父上も……?」
「そりゃそうさ。欲しいものを確実に手に入れるためなら、間違いなく外堀から埋めるに越したことはないからね」
ゆっくりとした足取りで、だが、狙った獲物を決して逃すまいとする獣のようにルカは、アデライードに近づいてくる。
「逃げないで」
背中に扉が当たったことで、漸く、アデライードは自分が後退りしていたことに気づいた。ルカの顔が、菫色の瞳が、すぐ目の前にある。
「……逃げてなどいない」
膝の震えを隠すべくアデライードは、挑むように真っ直ぐルカを見返した。
「これから僕が君にすることは、結局のところ君の為なんかじゃない。君を僕に縛りつける為にすることなんだ。それでも……そうまでしても僕は、君のことが諦めきれない」
優しい声でルカは言った。その表情は、痛みを堪えるかのように強張っている。
苦しそうなルカを前に、アデライードの膝の震えが止まった。
「違う……諦めきれなかったのは、私だ。剣で戦うことも、ルカが他の誰かの手を取るのも」
だから、とルカに向かってアデライードは手を伸ばした。
「望んだのは、私だ。どんなに痛みを伴おうとも、たとえそれが、呪いのようなものだとしても……」
ルカはアデライードの手を取り引き寄せると、もう片方の手を頬に当て、親指で柔く彼女の唇に触れる。
何も言わないでいい、というように。
「そうだね。これは、呪いだ。僕が君を死なせない為の。血を繋ぎ、永遠に僕に縛りつけて離さない為の、呪いだ」
頬に当てた手を、滑るようにアデライードの剥き出しの肩に下ろすとルカは、首筋にそっと唇を落とし、熱い吐息と共に囁いた。
「……出来るだけ、優しくする」
寝台の上に俯せになったアデライードは両手を顔の下で組むと、剥き出しになった背中をルカに向けた。
「すごく綺麗だ……」
暗闇の中、月明かりを浴びて、とろりと白く光るアデライードの肌にルカの手が触れる。そのまま輪郭を確かめるように、首の後ろから腰に向かって背をなぞってゆく。
ある箇所まで来たとき、アデライードの身体が、びくりと強張った。その瞬間、ルカの手が止まる。
そこに柔く手を置いたままルカは、息を詰めているアデライードに覆い被さるようにして、耳元で囁いた。
「君の腰に呪いを刻むのに、魔術を込めた水晶の刃を使う。深く傷つけたくないから……じっとしていて」
呪いは、古代の言葉とルカの家に伝わる古い紋章を組み合わせ、魔術と共に肌に直接刻むものだった。
針で肌を穿つような痛みが、刃物で斬りつけられるような熱さが、絶え間なくアデライードを襲う。
赤く頬を染め、痛みに漏れてしまう声を我慢しようと唇を噛み締めるアデライードに、ルカが気づいた。
「アデリー……唇に傷がつく。声を我慢しないで。お願いだ」
耳元に落とされる声は、何かに焦がれるように掠れ酷く蠱惑的だった。ルカの唇が耳に触れる。アデライードは思わず喘ぐようにして口を開いた。
「そう、それで良い」
不意に背中に口づけを落とされ、アデライードの甘い声が溢れた。
「もう少しで、終わるから……そうしたら」
最後まで言わず、ルカの手は再びアデライードの敏感な部分をなぞるように触れる。肌に刻まれた呪いの苦しさに喘ぎながらも、痛みとは違うその甘美な刺激にアデライードの身体が震えた。
「声を聞かせて……恥ずかしいことはないよ。アデリー、痛みを逃すんだ」
その言葉が合図だった。内臓を針で抉られたような、これまでにない痛みを感じたアデライードは、嬌声に似た叫び声を上げる。
次の瞬間、熱いものが全身を満たしてゆくのが分かった。
「この血を繋ぐための呪いは、君を不老不死にしてしまう。解く方法は、二つ。君が僕の子を宿し産み落とすか、僕が君を殺すまで……アデリー。君の命は僕のものになったんだ」
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