最終話 地獄に違いない

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最終話 地獄に違いない

   身体を刺し貫く剣が、勢いよく抜かれたところでアデライードの記憶は途絶えていた。  次に目を開けた時、視界に入ったのは美しく意匠の施された天蓋だった。  自室の寝間でも寝台でもない。  起き上がる際の鈍い痛みに、顔を顰める。  柔らかな薄手の夜着を着ていることに気づき、覚束ない記憶を辿り胸元を確かめた。剣が刺し貫いた箇所には赤く痕が残っているだけだった。  (ようや)くアデライードは、ここが誰の寝台で、どのような意味があるのかに思い至る。導き出された答えは一つだ。  逃げなければ。  しかし、どこへ?  寝台の外へ足を下ろし、立ち上がろうとしたその時―― 「何処へ行く?」  続き部屋の扉が開き、ロランドが姿を現した。  しなやかな筋肉に覆われた無駄のない均整のとれた身体。緩く癖のある黒髪から覗く切れ長の双眸、整った鼻梁、皮肉げに歪められた唇、顎から首筋にかけての線。  そのどれを取っても完璧な美貌と、ロランドの持つ尋常ならざる覇気に、思わず圧倒される。    長い脚で大股に歩を進め、覆い被さるようにアデライードを見下ろす冷酷な灰色の瞳に、何かが宿ったのは一瞬。それが何であるのかをアデライードが確かめる前に、消えてしまった。 「呪いは本当だったな」  ふっとロランドが唇を歪めた。 「私が、そなたの呪いを解いてやろう」 「馬鹿な。呪いが解けるのはルカだけ……」  言い終える前に容赦なく顔を殴られ、アデライードの身体は寝台の上へ飛んだ。 「他の男の名前を二度と口にするな」  静かな、だが有無を言わせぬ声だった。  片手で髪を掴まれ、引き起こされる。憎悪を剥き出しにロランドを睨みつけるアデライードの赤い瞳が濡れ、燦きを増した。その凄味ある燦きは彼女の美しさを一層引き立て、ロランドの瞳を黯い欲望に染める。  髪から手を離したロランドは寝台に腰を下ろすと、アデライードの怒りで燦く瞳をもっと良く覗き込む為に、顎を掴んで無理矢理に顔を向かせた。 「親善という名目でサルゴバリ国に遣わされ、偵察に訪れたあの日だ。  ……アデライード。  そなたをひと目見て、このように身を焦がすほどの黯い感情が(おのれ)にもあるのだと、湧き上がる感情に(おのの)いた。  何をしても、そなたを手に入れると決めた。故に夜会の始まる前、そなたを私に差し出せば、サルゴバリ国に侵略されるのを防いでやると王に進言した。  だが、愚かな王は娘の幸せとやらを選んだ。自身の治めている国は、サルゴバリ国が侵略するほどの価値などない貧しい国だということを見透かしてのことかも知れぬが、まあ、今となっては真実は分からん。  愚かな王だが、間抜けではないようだった。甘言には乗りそうもない。なれば私はサルゴバリ国に叛いてでも、国ごとそなたを奪うまでだと思った。  そなたの国が滅び、罪もない民が死んだのは、愚かな王が娘を想う生温(なまぬる)い感情の所為だ。  ……その顔は、なんだ?  そうか、何も知らされてなかったのだな。  束の間の幸せは、どうだった? あの男は、そなたを優しく抱いたか?」   『アデリー』  目を瞑ればそこに、あの夜があった。  ルカの余裕を無くした菫色の瞳が、切なげに囁く声が、艶かしい吐息が、瞼の、耳の、身体の奥に残っている。優しく触れる熱い掌も、甘い痛みと悦びも。  再び目を開けたとき、アデライードの瞳に映ったのは、そのルカのいない、永遠に死ぬことも出来ない孤独な世界だった。  加えて目の前にいるのは、アデライードの全てを、愛する者だけでなく死することさえをも奪った男。    アデライードの考えていることが分かるとでもいうように、ロランドは笑った。 「なるほど、そなたが知らぬことは多いらしい。実に狡賢い男だ。随分と粘っていたが、呪いを解く為のもう一つの方法は、何もあの男でなくとも良いということを最期に吐いた。アデライードに死を与えられるなら、やってみろと叫んでいたな。私とそなたとの子は成せないようだが、そんなものは別に良い。国を繋いでゆくための子など、誰に産ませても結局は同じことだ」  最期、と口にした時、アデライードの瞳が揺れるのを見てロランドは、美しい顔に薄らと冷酷な笑みを浮かべた。 「あの男のことで感情を揺らすそなたを、残虐な方法で殺したくなるのは何故だろう。  そなたが、あの男に触れられたと考えるだけで、その白い柔肌を切り刻みたくなるのは何故だ?   気が狂いそうだ。いや……そなたを見た時にはもう、既に狂ってしまっていたのだ。  そなたを望むことは、地獄を望んだようなもの……であるなら、何も構いはせぬ」  ロランドの残酷な色を宿した黯い欲望に染まる瞳が、アデライードを()めつける。 「死ねぬなら、私がお前を殺すまでだ」  言って、飛び掛からんとしたアデライードを、力づくで押さえつけたロランドは無理矢理に唇を奪い、その首筋に顔を埋めると柔らかな肌にぬるりと舌を這わせた。歯を立て、皮膚に食らいつき躊躇なく噛みちぎる。  血を噴き出し痛みに喘ぐアデライードを見下ろすとロランドは短剣を取り出し、その血を擦り付けながら囁いた。 「私とそなたは、互いに別の地獄にいるに違いない……が、地獄であるのは同じだ」  血塗れた短剣が夜着を裂き、肌に冷たい刃が触れた。 「そなたに死を齎すのは、私の(ほか)の誰であってはならぬ。  アデライード、私を愛せ」 《了》    
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