口寂しくて、ひと芝居

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口寂しくて、ひと芝居

「そんな訳、あるはずが無いだろう」  好きに決まってる、愛していると即答すれば終わる問答。しかしそれができる程に、彼が器用でないのは既に知っていた。  兎に角口下手なのだ。この男は。  それを良いことに、私は更に言葉を続けた。  最上級に態とらしく、それも大層へりくだった言い方で。 「陛下は……本当に意地悪な方でございます」 「何だと?」 「私が口寂しくて仕方が無いのは、ご存知なのでしょう? けれども、口付けを与えては下さらない」 「なっ……!?」  信じられないことに、私はアードルフと口付けを交わしたことは一度も無かった。結婚式での誓いのキスも、彼の意向で誓いの指輪交換に変更されていた程だ。  先程のように目を合わせても、彼は直ぐに目を逸らしてしまう。手を繋いだことも数度しかない。  もっと言えば、情事の際もいつも目を合わせず腰周りしか触れ合わない''後ろ向き''であった。  私を大切に扱ってくれるものの、彼は必要以上の交わりを避けているようであった。  単に潔癖なのかとも考えたが、そう結論付ける前に一度聞いてみた訳だ。  芝居がかった泣く素振りをしてみれば、彼の表情に焦りの色が濃くなっていく。頭の中で、必死に言葉を探しているようだった。 「触れ合うのが嫌なら、嫌と言ってもらわねば困ります。嫌われてしまったのかと、不安が積み重なって……」 「嫌な訳があるか!!」  私の言葉を遮って、彼はそう言った。あまりの勢いに目を見開くと、アードルフははっとして口を閉ざした。  そして段々と、彼が顔を赤らめていくのに気が付いた。  流石に口が過ぎたかと反省したが、彼が口にしたのは意外な言葉だった。 「こんな男と好き好んで睦み合う訳が無いと、思っていただけだ」  片手で顔を隠しながら、アードルフは呟いた。それは紛れもなく、彼の抱いていた自信の無さであった。  直接的な言葉を避けてはいるが、彼としてはこれが精一杯なのだろう。 「もう既に、それ以上のことをしているではないですか」  それ以上というのは、無論情事のことである。 「それは……致し方なく、ではないのか?」  どうやら彼は、世継ぎをもうける手段として、私が夜の誘いに応じていると認識していたらしい。  そんな訳、あるはずが無いのに。 「違います。そんなの心外ですわ」 「本当に済まなかった。だから、泣くな」 「泣き真似をしただけで、まだ泣いてはおりません」 「お前は……!!」 「ふふっ」  いつのまにやら、語らいはすっかりじゃれ合いとなっていた。  ひと笑いしたところで、改めて彼と見つめ合う。さっきのように、目を逸らされることは無かった。 「嫌など思ったことも、義務だから仕方無くと思ったことも、一度もございませんわ」 「……物好きな女だ」  ぶつくさな言葉とは裏腹に、アードルフは安堵したようにため息をついた。それから毛布越しではあるものの、ぎこちなく抱き寄せてくれたのだった。  愛する彼に目に見える形で愛情を示され、今私は間違い無く幸せだ。  けれども。 「物好きは貴方も、でしょう?」  暖炉の火が燃える音に掻き消される位に、私は小さく囁いたのだった。
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