第二章・たとえあなたが魔王でも、 勇者をあなたの望む子どもに育てましょう。

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 その日、イスラが言葉を話せるようになったのを機に、私は山を下りて薬を売りに行きました。  イスラが生まれて直ぐは心配で側を離れられませんでしたが、そろそろ備蓄だけで三人分の食料を確保することが難しくなっていたのです。  王都に近い街道沿いの街は多くの旅人や商人で賑わっていました。  とても明るく賑やかですが、ここにくるといつも心と体が縮こまるような気持ちになります。大通りには華やかなドレスで着飾った貴婦人や立派な身なりの貴族が行き交い、一目で一級品だと分かる多くの品物で溢れている。私の知っている世界とは別世界のような煌びやかな世界です。  実際、別世界なのでしょう。  くたびれた粗末な服を着ている私はとても浮いていて、目が合った貴婦人は口元を羽扇で隠し、眉をひそめて視線だけで責めるのです。なぜお前がここにいる、と。  私はそれから逃げるように足早に大通りを抜け、向かったのは街外れにある貧民街。  貧民街という狭い区間には多くの貧しい民衆が暮らしています。  貧困と重税に苦しみ、街で暮らせなくなった人々が流れてくるのです。  貧民街の大通りは騒がしくて雑多で活気に満ちています。それは先ほどの大通りとはまったく違った雰囲気で、決して治安が良いとはいえません。でも、ここでは貧しいながらも多くの人々が必死に生きている。そして私の薬を買ってくれるのも貧民街の人々です。  幸いにも私の薬は好評のようで、貧民街の年寄りや常連客が買ってくれています。  私はいつものように貧民街の路上で薬を売ると、そのまま市場で買物をして帰ろうとしました。  でも市場を出ようとしたところで見知らぬ中年の男から声を掛けられる。 「そこの君、いつも貧民街で薬を売ってる薬師さんだね?」 「はい」  そうだと頷くと、男はきょろきょろ周囲を見回して小声で話しだす。 「突然申し訳ないが話があるんだ。君の薬を売ってほしいという方がいて」 「私の薬、ですか?」 「ああ、君の薬の評判は聞いている。どうしても君の薬を試したいという方がいるんだよ」 「そうですか、それは構いませんが……」  不審で顔を顰めてしまう。  薬が欲しいなら普通に買えばいいのです。それなのに周囲を気にしながら、誰にも聞かれないように話すなんて不審の塊じゃないですか。 「それはいったいどなたでしょうか。私は貧民街でしか薬を売ったことがありませんが、本当に私の薬を望まれているんですか?」 「ああ疑われてしまっているな、無理もないか。実は、薬を所望している方は大きな声では言えない方でね」  男はそこで言葉を切ると周囲を見回し、こっそりと耳打ちする。 「ここの領主様だ」 「ええええ!?」 「静かにっ。誰かに聞かれたらどうするんだっ」 「す、すみませんっ」  慌てて口を塞ぐ。  でも、男の言葉が俄かに信じ難い。  だって領主はこの街も含めた地域一帯を治めている貴族です。王族とも親戚関係だと聞いたことがあります。そんな大貴族が私の薬を欲しているなんてやっぱり信じられない。 「申し訳ありませんがお断りします。いきなり領主様に薬を売れと言われても信じられません」 「信じられないかもしれないけど本当なんだ。俺は領主様の所で下働きしているんだが、領主様に交渉してくるように頼まれてね。頼むよ、このとおりっ、ここで断られたら俺は領主様の屋敷へ戻れないんだ!」 「ですが……」 「ああ、もちろん薬の代金はちゃんと支払わせてもらう。とりあえず前金なんだけど、これでいいかな?」  そう言って男に握らされたのは、金貨。  私は初めて見た金貨に驚愕で目を見開く。金貨って本当に黄金色なんですね、しかも一枚なのにずっしり重い。 「だ、だだだめですっ。こんな大金は受け取れません!」  この金貨一枚で半年は飢えずに生活できるでしょう。  そんな大金を受け取れるはずがありません。 「ダメダメ、返されても困るよ~! これは前金なんだし。そんなに悪いと思うなら、君は領主様の為に薬を作ってくれればいい。この金貨は君の仕事に対する対価だよ」 「…………」  尤もらしいことを言われていますが、山の薬草で作った薬一つに金貨の価値があるとは思えません。いつもはこれの千分の一ほどの値段で売買しています。こんなの破格すぎるんです。 「……話が上手すぎます。私は薬師ですよ? 自分が使う薬草の価値は知っているつもりです」  どうしても訝しんでしまう。金貨が渡されたからこそ警戒心が更に強くなっていく。  そんな私の疑心に気付いたのか、男がため息をつきました。 「頭硬いなあ、素直に受け取ってくれればいいのに。これが貴族たちの金銭感覚なんですって」 「そう言われても困ります。私の金銭感覚ではないので」  素っ気なく言って金貨を男に返そうとするが。 「それで美味しいもの食べたいと思わないの? 金貨一枚あれば腹一杯食べられるのに」  この瞬間、私の脳裏にイスラが浮かびました。  日に日に成長しているのに、少量のミルクやパンしか与えていない。初めて口にした時なんて味気がなくて残してしまっている。  二回目以降の食事から残されることはなくなりましたが、きっと無理をしているのでしょう。本当は美味しくないのに、空腹だから食べているのでしょう。まだ子どもなのに可哀想なことをさせてしまっています。  でも、この金貨一枚あればイスラにちゃんとした物が食べさせられる。  お腹一杯になるまでたくさん食べさせてやれる。  それに、イスラが喜べばハウストだってきっと喜んでくれます。  イスラは強い勇者になることを求められているんです。それを叶える為にも、お腹一杯になるまで美味しい物を食べてほしい。  それは魅惑的な誘惑でした。  あれほど強かった警戒心が薄れていく。  疑っているのに、金貨が叶えてくれる望みに心が捕らわれる。  そんな私の様子を察したのか、男が安心したように笑いました。 「受けてもらえるね? 助かるよ、君に仕事を受けて貰えて本当に良かった。領主様直々の願いだったんだ。本当に助かったよ、ありがとう!」  男は上機嫌に言うと、私に幾つかの薬を依頼して立ち去っていきました。  思わぬ上客を得た、と思っていいのでしょうか。  こんな上手い話があるものか、と疑っています。でも、領主という有り得ない上客を顧客にできて喜ぶ自分もいます。  だって、金貨があればイスラやハウストの為にたくさんのことができるのです。
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