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そうして他者をも圧倒する力を持つゴーストを探し続け、出会ったのが奈落やオリヴィエ、シロ、マリア、神狼、流星の六人だったという。
《死刑執行人》を数多く雇ったところで、命を落としては意味がない。その都度、戦力が低下するし、蓄積された経験も引き継がれなくなってしまう。何より、もう二度と部下を失うという経験はしたくなかった。人員を厳選するかわり、とりわけ生存する能力の高い者を選んだ。
「わずか十年の間に、東京では数百万単位の人々とゴーストが死んだ。その中には敵対勢力も多く、当初は心の底から彼らと憎しみ合っていた。無辜の人々を虐げ、助けに入った部下まで殺されたのだ。どれだけ殺意を覚え、怨嗟の念を抱いたことか」
「だが……あまりにも多くの死を目にしたからだろうな。敵勢力とはいえ、次々と命を落としていく彼らに、いつしか憐れみを覚えるようになった。互いの立場や考え方の違いはあれど、みな等しく一つの命であったはずだと」
「私たちはみな愚かだったのかもしれない。本当は敵も味方もなく、懸命に生きて明日を掴もうとしていた。我々が望んでいたのは、ただそれだけだった……」
深雪はふと気づく。六道は《監獄都市》の秩序を破壊しようとする者には容赦ないが、誰かを嫌悪する素振りは見せたことがない。《レッド=ドラゴン》の紅神獄や黄鋼炎はもちろん、《アラハバキ》の轟虎郎治に憎しみを向けることも、ゴーストへの嫌悪を隠そうともしない九曜計都に憤慨したことすら一度としてない。
それが何故なのか、深雪はずっと不思議だった。六道は、そういった次元はとうに越えたところにいるのかもしれない。
「……ようやく非公式ながらも《収管庁》に《死刑執行人》の存在が認められ、《休戦協定》が結ばれた。この街で失われた命を無駄にしないために、私は《中立地帯の死神》となった。どれだけ疎まれ、忌避されようと構わない。たとえ人の道に外れたとしても、仲間が……部下が望んだ世界を実現させる。私はそのためだけにある歯車なのだ」
深雪は六道を見つめた。その覚悟を抱くまでに、彼はどれほどの艱難辛苦を乗り越えてきたのだろう。言葉では言い表せないほどの苦難、押し潰されそうなほどの重圧や葛藤があったに違いない。
六道は口元に手を当てて、小さく咳払いをすると再び口を開いた。
「……街の情勢が少しずつ落ち着いてきた頃、ある衝撃的な出来事が起こった。《ウロボロス》の№2だった京極鷹臣が、ふらりとこの街に現れたのだ」
「……!」
いよいよ話が核心に近づいてきて、深雪の心臓がどきりと跳ねあがる。京極が深雪より先に《監獄都市》に戻って来ていたとは。驚きを覚えつつ、六道の言葉に耳を傾ける。
「京極が生きているのは知っていたが、二十年前と全く変わらない姿に、幽霊でも現れたのかと思った。一瞬、他人の空似ではないかと疑ったほどだ」
「いえ……あいつは間違いなく京極本人です」
六道は頷きを返し、深雪に視線を向ける。
「それから程なくして今度は雨宮、お前がこの街に戻ってきた。やはり二十年前と同じ姿でな。お前と京極を目の前にして、私は眩暈を覚えた。《中立地帯の死神》として、ようやく成果らしい成果を上げた矢先のことだったからな。あの時はさすがに運命を呪ったよ……まさかこのタイミングで贖罪を迫られるのか、と」
「え……?」
深雪は耳を疑った。なぜ六道の口から『贖罪』という言葉が出てくるのだろう。贖罪をしなければならないのは、どう考えても彼の手足を奪った深雪のほうではないか。
しかし、深雪には《ウロボロス》を壊滅させた時の記憶が一部、欠落している。二十年前の今日、《ピアパルク》で本当は何があったのか。六道はいったい何をどこまで知っているのか。
《ウロボロス》のみなを死に追いやった元凶として、加害者として、あの時のことが知りたい。深雪はためらいつつも疑問を口にする。
「あの……所長は北斗政宗―――ロボだったんですよね?」
「何だ、まだ疑っているのか?」
「そうじゃありません。ただ……俺の記憶にある北斗と所長のイメージがどうしても一致しなくて……」
「……」
「所長は……北斗はなぜ京極に従っていたんですか? 京極に目をかけられているわけでもなかったのに。ひょっとして……《ヴァニタス》のせいですか? 所長も《ヴァニタス》に操られて京極に逆らえなかったとか?」
「それは無い。はっきり違うと断言できる」と断固たる口調で六道は言い切った。
「京極は俺に《ヴァニタス》をかけなかった。アニムスを使わなくとも、俺は大人しく従っていたからな。京極にとって俺が裏切ったところで痛くも痒くもなければ、万が一に備えるほどの価値もなかったのだろう」
京極の性格を考えると十分にあり得る話だ。彼は自分が凡庸だと判じた相手を徹底的に軽んじる傾向がある。
「それなら余計に分かりません。どうして所長が京極の部下だったのか……」
侮られていると知っていたのに何故、京極の言いなりになったのか。六道のような、表面上は素直に従う振りをしつつ相手を出し抜く強かさもなく、北斗政宗は唯々諾々と京極の命令に従っているように見えた。それが余計に理解できない。
「……」
六道はしばらく無言だった。過去に思いを馳せているようでもあり、何かを言い淀んでいるようでもあった。やがて乾いた低い声音が、おごそかな墓所に響き渡る。
「……『俺』の本来のアニムスは《イーブスドロップ》。《盗聴》という意味だ。聴覚が常人の二十倍になり、普通は聞こえないはずの音、他者に隠しておきたい音すらも駄々漏れで聞こえてくる。プライバシーそっちのけでな。だから《盗聴》という不名誉な名がついた」
「ですが、使い方次第では強力な能力ですね。たとえば……間諜にはとても向いている」
六道は「そうだな」と頷く。
「この《イーブスドロップ》には欠点があった。それは聞きたい音を選べないことだ。この世のありとあらゆる音が一斉に耳になだれ込んでくる。精神的、肉体的な負担もさることながら、睡眠すら妨害されるのは最たる苦痛だった。《イーブスドロップ》は俺の人格形成に大きな影響を及ぼした」
本人には聞こえないよう囁かれた陰口、口の中で発せられる小さな呟き。賛辞の裏に隠れた歯噛みする音。それだけではない。かすかな呼吸音。普通の人には聞こえない心臓の音。筋肉の収縮音。
それらの音に幼い頃から触れ続けることで、北斗政宗は他者の本音を敏感にかぎ取れるようになった。それこそ心の内を読んでいるように。
それらの音を北斗政宗は拒否することができない。どんなに知りたくなくても聞こえてしまう。別に知りたいとも思わない他人の『本音』が。
「俺は歪んだ子どもだった。周りの人間の嫌な本音ばかりが耳に入る。中には良い本音もあったが……人間の醜い裏側ばかりを見せられ、いつしかそれが『このクソみたいな世界の全てだ』と思い込むようになっていたんだ」
「それは辛いですね……。自分が聞きたくもない音もシャットアウトできないんだから。そんな状況になったら、誰だって明るく前向きではいられないと思います。所長は《ウロボロス》時代、いつもイヤーマフをしていたけど、あれは《イーブスドロップ》の効果を少しでも抑えるためだったんですね」
「……よく覚えているな」
「俺にとっては三年前のことですから」
深雪はかつて街中で北斗政宗に声をかけたことを思い出す。あの時、北斗はイヤーマフをしていたにもかかわらず、深雪の声に鋭く反応した。まるで何も装着していないように。イヤーマフをつけて遮音しても、北斗の耳は外部の音を詳細に拾っていたのだ。辛かっただろうと深雪は思う。
北斗の聴覚がどれだけ優れていようと、周囲の環境は対応していない。たった一人で苦しみを背負わなければならず、さぞ孤独だっただろう。深雪の場合、アニムスを使わない選択もあるが、北斗の《イーブスドロップ》の場合はそれすらも許されないのだ。
「ただ……《タナトス》を得てからは《イーブスドロップ》は発動しなくなった。俺の場合、複数のアニムスは使えないらしい。それが唯一の救いだったな」
六道はそこで言葉を切り、ひとまず沈黙した。墓所に静寂が満ち、冷やりとした光が天井から降り注ぐ。深雪もその隣で佇んだまま、墓に備えた花束の花びらに浮かぶ水滴が、きらりと神秘的な輝きを放っているのを見つめていた。
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