第十八話 死神の過去②

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 そうして他者をも圧倒する力を持つゴーストを探し続け、出会ったのが奈落やオリヴィエ、シロ、マリア、神狼、流星の六人だったという。  《死刑執行人(リーパー)》を数多く雇ったところで、命を落としては意味がない。その都度、戦力が低下するし、蓄積された経験も引き継がれなくなってしまう。何より、もう二度と部下を失うという経験はしたくなかった。人員を厳選するかわり、とりわけ生存する能力の高い者を選んだ。 「わずか十年の間に、東京では数百万単位の人々とゴーストが死んだ。その中には敵対勢力も多く、当初は心の底から彼らと憎しみ合っていた。無辜(むこ)の人々を虐げ、助けに入った部下まで殺されたのだ。どれだけ殺意を覚え、怨嗟(えんさ)の念を抱いたことか」   「だが……あまりにも多くの死を目にしたからだろうな。敵勢力とはいえ、次々と命を落としていく彼らに、いつしか(あわ)れみを覚えるようになった。互いの立場や考え方の違いはあれど、みな等しく一つの命であったはずだと」   「私たちはみな愚かだったのかもしれない。本当は敵も味方もなく、懸命に生きて明日を掴もうとしていた。我々が望んでいたのは、ただそれだけだった……」  深雪はふと気づく。六道は《監獄都市》の秩序を破壊しようとする者には容赦ないが、誰かを嫌悪する素振りは見せたことがない。《レッド=ドラゴン》の紅神獄(ホン・シェンユイ)黄鋼炎(ホワン・ガイエン)はもちろん、《アラハバキ》の轟虎郎治(とどろきころうじ)に憎しみを向けることも、ゴーストへの嫌悪を隠そうともしない九曜計都(くようけいと)に憤慨したことすら一度としてない。  それが何故なのか、深雪はずっと不思議だった。六道は、そういった次元はとうに越えたところにいるのかもしれない。 「……ようやく非公式ながらも《収管庁》に《死刑執行人(リーパー)》の存在が認められ、《休戦協定》が結ばれた。この街で失われた命を無駄にしないために、私は《中立地帯の死神》となった。どれだけ(うと)まれ、忌避(きひ)されようと構わない。たとえ人の道に外れたとしても、仲間が……部下が望んだ世界を実現させる。私はそのためだけにある歯車なのだ」  深雪は六道を見つめた。その覚悟を抱くまでに、彼はどれほどの艱難辛苦(かんなんしんく)を乗り越えてきたのだろう。言葉では言い表せないほどの苦難、押し潰されそうなほどの重圧(プレッシャー)や葛藤があったに違いない。  六道は口元に手を当てて、小さく咳払いをすると再び口を開いた。 「……街の情勢が少しずつ落ち着いてきた頃、ある衝撃的な出来事が起こった。《ウロボロス》の№2だった京極鷹臣(きょうごくたかおみ)が、ふらりとこの街に現れたのだ」 「……!」  いよいよ話が核心に近づいてきて、深雪の心臓がどきりと跳ねあがる。京極が深雪より先に《監獄都市》に戻って来ていたとは。驚きを覚えつつ、六道の言葉に耳を傾ける。 「京極が生きているのは知っていたが、二十年前と全く変わらない姿に、幽霊でも現れたのかと思った。一瞬、他人の空似(そらに)ではないかと疑ったほどだ」 「いえ……あいつは間違いなく京極本人です」  六道は頷きを返し、深雪に視線を向ける。 「それから程なくして今度は雨宮、お前がこの街に戻ってきた。やはり二十年前と同じ姿でな。お前と京極を目の前にして、私は眩暈(めまい)を覚えた。《中立地帯の死神》として、ようやく成果らしい成果を上げた矢先のことだったからな。あの時はさすがに運命を呪ったよ……まさかこのタイミングで贖罪(しょくざい)を迫られるのか、と」 「え……?」  深雪は耳を疑った。なぜ六道の口から『贖罪(しょくざい)』という言葉が出てくるのだろう。贖罪をしなければならないのは、どう考えても彼の手足を奪った深雪のほうではないか。  しかし、深雪には《ウロボロス》を壊滅させた時の記憶が一部、欠落している。二十年前の今日、《ピアパルク》で本当は何があったのか。六道はいったい何をどこまで知っているのか。  《ウロボロス》のみなを死に追いやった元凶として、加害者として、あの時のことが知りたい。深雪はためらいつつも疑問を口にする。 「あの……所長は北斗政宗(ほくとまさむね)―――ロボだったんですよね?」  「何だ、まだ疑っているのか?」 「そうじゃありません。ただ……俺の記憶にある北斗と所長のイメージがどうしても一致しなくて……」 「……」 「所長は……北斗はなぜ京極に従っていたんですか? 京極に目をかけられているわけでもなかったのに。ひょっとして……《ヴァニタス(アニムス)》のせいですか? 所長も《ヴァニタス》に操られて京極に逆らえなかったとか?」  「それは無い。はっきり違うと断言できる」と断固たる口調で六道は言い切った。 「京極は俺に《ヴァニタス》をかけなかった。アニムスを使わなくとも、俺は大人しく従っていたからな。京極にとって俺が裏切ったところで痛くも痒くもなければ、万が一に備えるほどの価値もなかったのだろう」  京極の性格を考えると十分にあり得る話だ。彼は自分が凡庸(ぼんよう)だと判じた相手を徹底的に軽んじる傾向がある。 「それなら余計に分かりません。どうして所長が京極の部下だったのか……」  侮られていると知っていたのに何故、京極の言いなりになったのか。六道のような、表面上は素直に従う振りをしつつ相手を出し抜く強かさもなく、北斗政宗は唯々諾々(いいだくだく)と京極の命令に従っているように見えた。それが余計に理解できない。 「……」  六道はしばらく無言だった。過去に思いを馳せているようでもあり、何かを言い(よど)んでいるようでもあった。やがて乾いた低い声音が、おごそかな墓所に響き渡る。 「……『俺』の本来のアニムスは《イーブスドロップ》。《盗聴》という意味だ。聴覚が常人の二十倍になり、普通は聞こえないはずの音、他者に隠しておきたい音すらも駄々漏れで聞こえてくる。プライバシーそっちのけでな。だから《盗聴》という不名誉な名がついた」 「ですが、使い方次第では強力な能力ですね。たとえば……間諜(スパイ)にはとても向いている」  六道は「そうだな」と頷く。 「この《イーブスドロップ》には欠点があった。それは聞きたい音を選べないことだ。この世のありとあらゆる音が一斉に耳になだれ込んでくる。精神的、肉体的な負担もさることながら、睡眠すら妨害されるのは最たる苦痛だった。《イーブスドロップ》は俺の人格形成に大きな影響を及ぼした」  本人には聞こえないよう囁かれた陰口、口の中で発せられる小さな呟き。賛辞の裏に隠れた歯噛みする音。それだけではない。かすかな呼吸音。普通の人には聞こえない心臓の音。筋肉の収縮音。  それらの音に幼い頃から触れ続けることで、北斗政宗は他者の本音を敏感にかぎ取れるようになった。それこそ心の内を読んでいるように。  それらの音を北斗政宗は拒否することができない。どんなに知りたくなくても聞こえてしまう。別に知りたいとも思わない他人の『本音』が。 「俺は歪んだ子どもだった。周りの人間の嫌な本音ばかりが耳に入る。中には良い本音もあったが……人間の醜い裏側ばかりを見せられ、いつしかそれが『このクソみたいな世界の全てだ』と思い込むようになっていたんだ」 「それは辛いですね……。自分が聞きたくもない音もシャットアウトできないんだから。そんな状況になったら、誰だって明るく前向きではいられないと思います。所長は《ウロボロス》時代、いつもイヤーマフをしていたけど、あれは《イーブスドロップ》の効果を少しでも抑えるためだったんですね」 「……よく覚えているな」 「俺にとっては三年前のことですから」  深雪はかつて街中で北斗政宗に声をかけたことを思い出す。あの時、北斗はイヤーマフをしていたにもかかわらず、深雪の声に鋭く反応した。まるで何も装着していないように。イヤーマフをつけて遮音しても、北斗の耳は外部の音を詳細に拾っていたのだ。辛かっただろうと深雪は思う。  北斗の聴覚がどれだけ優れていようと、周囲の環境は対応していない。たった一人で苦しみを背負わなければならず、さぞ孤独だっただろう。深雪の場合、アニムスを使わない選択もあるが、北斗の《イーブスドロップ》の場合はそれすらも許されないのだ。 「ただ……《タナトス》を得てからは《イーブスドロップ》は発動しなくなった。俺の場合、複数のアニムスは使えないらしい。それが唯一の救いだったな」  六道はそこで言葉を切り、ひとまず沈黙した。墓所に静寂が満ち、冷やりとした光が天井から降り注ぐ。深雪もその隣で佇んだまま、墓に備えた花束の花びらに浮かぶ水滴が、きらりと神秘的な輝きを放っているのを見つめていた。
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