第五話 《収管庁》への直訴

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「もちろん知っています。でも今回は異例の事態で、一刻を争うんです! 何とか紅家へ物資が行き渡るよう采配(さいはい)を振るっていただけませんか? どうかご支援をお願いします!」  深雪は深々と頭を下げた。すると九曜計都(くようけいと)は聞こえよがしに盛大なため息をつき、座っている革椅子の背もたれに身を預ける。  そのはずみで革椅子が(きし)み、「ギイ」という耳障りな音が部屋に響き渡った。まるで深雪の訴えを嘲笑うかのように。 「ふん……『支援』か。まったく軽々しく言ってくれるな。我われ《収管庁》の仕事はこの街を管理することであって、君たちゴーストの世話をすることではないのだがね」  そして、やれやれと言わんばかりに足を組み換えてみせる。 「そもそも紅家の連中を『支援』するとして、この街の住民が納得すると思うのか? 紅家を優先すれば本来、物資を受け取るはずだった人々は、その分だけ我慢を強いられることになる。何故なら《監獄都市》で流通している物資の量は常に一定なのだからな。どこからともなくやって来て、勝手に住みついた『よそ者』のために身を削る者などそうはいまい。一部の『かわいそうな』者たちを、いちいち特別扱いするわけにはいかんのだよ」 「それなら《監獄都市》の物流量を特別に増やしてもらうわけにはいかないんですか?」  深雪がそう提案するや否や、九曜計都は表情を一変させ、執務机を叩いて叱責(しっせき)の声を上げるのだった。 「何を馬鹿な! それこそ言語道断(ごんごどうだん)だ‼ いいかね、君たちゴーストが当然のように消費している水道、電気、それらが一体どこから来ているのか考えたことはあるか? ろくに納税もしない君たちが優雅な生活を享受(きょうじゅ)できるのは、いったい誰のおかげか少しでも真剣に考えたことがあるのかね!?」 「……!」 「フン、ようやく気付いたようだな。《監獄都市》の財源はすべて税金によって賄われている。このゴミ溜めを維持するために毎年、莫大な血税が投入されているのだ! 君は知らんだろうが、《壁》の外ではこう言われているよ。『東京に金をつぎ込むくらいなら、海外(アジア)の将来有望な若者にタダでくれてやった方がまだマシだ』とな! そういった世論を無視して、ゴーストごときのために《壁》の外の負担を増やすなど、断じてあってはならんのだ!!」   そう言われてしまうと返す言葉も無かった。確かに、この世にタダで手に入るものなど無い。電気や水ですら料金を支払わなければ使えないのが普通だ。深雪たちゴーストが料金を支払っていないなら、誰かが代わりに負担していることになる。  ただ《監獄都市》の―――東京のインフラは劣化が激しく、おまけに老朽化していて、二十年前の基準に照らし合わせてもひどい状態にある。世界的に見ても著しく遅れているだろう。  それだけではない。《監獄都市》で生活するゴーストは貧困に喘いでいる者が大半だ。だから犯罪が多発し、抗争も激化する。《死刑執行人(リーパー)》としてゴーストの抗争やトラブルに対処していると、その原因のほとんどが金銭がらみだと痛感させられる。  ゴーストの大部分は、決して九曜計都が言うような『優雅な生活』を送っているわけではないのだ。 (それでも……街全体を維持するだけでも大変なお金がかかるんだろう……)  九曜の言うことは正しいのかもしれない。だからと言って深雪も『はい、そうですか』と折れるわけにはいかない。  ゴーストと認定された時点で国籍や戸籍といった公的証明書が抹消され、人として扱われなくなる。あらゆる権利を剥奪されて、家族や友人、恋人とも引き離され、《監獄都市》から一生、出られなくなってしまう。しかも個人の意思に関係なくだ。  だから深雪たちにもそれなりの言い分はあるし、「九曜長官の言う通りです」と、このまま紅家を放置するわけにはいかない。これは《中立地帯》の抱える問題であり、何かあれば深雪たちに直結してくるのだ。当然、《収管庁》にも影響が出てくるだろう。決して他人事では済まないのだ。  どうにかしてこの場で九曜を説得し、物資を融通してもらわなければ。 「おっしゃることは分かります。でも、先ほども言った通り、事は《中立地帯》で起きているんです! 名分にこだわって紅家を放置すれば、街の治安の悪化にも繋がりかねません! 追い詰められた紅家の家人が問題を起こし、もしものことがあれば……この《監獄都市》を管轄する長として、あなたは責任を取れるのですか!?」  すると九曜は凶悪な笑顔を浮かべながら、がらりと口調を変え、挑発的に告げる。 「そうなったら貴様ら《死刑執行人(リーパー)》が、問題を起こした紅家のゴーストを狩れば良いだけの話だろう」 「なっ……!?」 「驚くことはあるまい。君はいったい何のために《関東警視庁指定ゴースト第一級特別指名手配書》―――いわゆる《死刑執行対象者リスト》が存在していると思っているのだ? ……ただでさえこの街には外から際限なくゴーストが送られてくる。それこそゴキブリのようにうじゃうじゃとな。《リスト執行》の名目で多少、数を減らしたところで問題はあるまい? むしろ『間引き』したほうが街もきれいになり、治安が保たれるというものだ。君もそう思わんかね?」 (……!! この人は……!!)  深雪は耳を疑った。《死刑執行人(リーパー)》に課せられた仕事は、《死刑執行対象者リスト》に登録された凶悪犯のゴーストを狩ること。それは事実だ。しかし、そのシステム自体が大きな矛盾や欠陥を抱えており、深雪たち《死刑執行人(リーパー)》でさえ危ういと感じるほどだ。それなのに、この街を管理する最高責任者が《リスト執行》を促すどころか、立場もわきまえずに軽々しく『間引き』という表現をするとは。  しかもゴーストの中には犯罪に手を染めない善良な者たちだっているのに、ひとまとめにしてゴキブリ扱いだ。 「まさか……本気で言っているのですか!?」  さすがに声を荒げる深雪だったが、九曜は動じることもなく、ニヤニヤと底意地の悪い笑みを向けてくる。 「何を怒ることがある? 貴様は東雲六道に代わって《中立地帯の死神》になるのだろう? これからはそれが貴様の仕事になるのだぞ?」 「……」  これ以上は我慢がならないと思ったのだろう、それまで静かだった神狼が明らかに殺気を放つのが分かった。辛うじて行動には出ないものの、すうっと肌を刺すような冷気のごとき怒りが背中越しに伝わってくる。 (神狼(シェンラン)……!)  それでも神狼が一言も発さずに耐えているのは、深雪との約束があるからだ。深雪を信じてこの場を任せてくれているのだろう。  確かに九曜の言い草には深雪も怒りを禁じえない。無配慮で不謹慎(ふきんしん)でおまけに非常識、モラルの欠片も感じさせない。それでも神狼のため、紅家の人々のためにも、必ずや何らかの成果を引き出さなければ。 (相手のペースに乗せられては駄目だ。この人は俺を挑発し、試している。最初に面会した時もそうだった。もし俺が感情に任せた対応をして下手を打てば、苦しむことになるのは紅家の人々なんだ……!)  深雪は小さく深呼吸してから、真っ直ぐに九曜の目を見つめる。 「……確かに俺は《死刑執行人(リーパー)です。《中立地帯の死神》として、いつかは《リスト執行》も覚悟しなければならないでしょう。でも九曜長官。覚悟しなければならないのは、あなたも同じです」 「なに……? どういう意味だ?」 「紅家の家人の絆は強い。一人を敵に回せば、残る全員を敵に回すことになるでしょう。なおざりな対応をし、彼らが困窮するような真似をして、一人でも《リスト執行》するような事態に陥ってしまえば、いずれは残る全員も《リスト執行》することになってしまう! あなたにその覚悟はお有りですか!? いくらゴーストとはいえ、二千人弱もの人々の《リスト執行》を命じる……いわば(おおやけ)の『大量虐殺』に手を染める覚悟が、本当にお有りなのですか!!」   深雪はつかつかと九曜の執務机へ詰め寄ると、バンと音を立てて机に両手を打つ。そして椅子の背に身を預けている九曜へと迫った。  部屋に満ちる緊迫感。机を挟んで睨みあう深雪と九曜。まさに一触即発の空気だ。だが九曜は深雪の気迫をものともせず、余裕に満ちた態度で頬杖(ほおづえ)をつき、目を細めた。 「……やれやれ、君はまだ青いな。そう熱くならずとも良かろう。ちょっとした世間話や些細な冗談を馬鹿正直に真に受けてどうする? 私の元で働くつもりなら、もっと社会経験を積み、柔軟で機転の利いた対応ができるようになりたまえ」  皮肉交じりに口の端を吊り上げる九曜計都だが、彼女の発言はとても世間話や冗談で済まされる内容ではなかったし、そもそも口にするのもはばかられる暴論ばかりだ。たとえゴースト相手でも許されるものではない。  だが、それについて深雪は言い争うつもりは無かった。食い下がったところで時間を無駄に浪費するだけだからだ。 「……どんな形でも構いません、紅家の人々の生活再建をご支援ください。未然に《監獄都市》の犯罪や衝突を防ぐため……名目はそれで十分でしょう? 事は急を要するんです。どうか再考をお願いします!」  深雪はもう一度、頭を下げる。深雪が挑発に乗ってこなかったので拍子抜けしたのだろう。九曜はすっかり鼻白んだ様子で投げやりに吐き捨てた。 「まったく……しつこいな君も。まあいい。ここは東雲の顔を立てて担当の者をつけてやることにしよう。詳しいことは担当者に聞いてくれ」  九曜は恩着せがましくもったいつけて言うが、事前に六道の根回しがあったことを考えても、おそらく最初からその手はずとなっていたのだろう。ただ深雪を締めあげ、己の優位性を誇示するためだけに、ネチネチと嫌味を言ったり恫喝(どうかつ)したりしたのだ。  それならそれで、せめて前向きな意欲でも見せてくれれば良いのに。その気配すらない。実務はほとんど《収管庁》の職員に丸投げだ。担当者を紹介してもらえるだけ有り難いのかもしれないが、何だか素直に喜べず、深雪はむっとしてしまう。  九曜はそんな深雪に犬を追い払うかのように手を振って見せる。 「……いつまでここにいるつもりだ? 用が済んだなら早く退出したまえ。何度も言うが、私は君たちと違ってとても忙しいのだよ」  そして深雪と神狼は半ば追い立てられるようにして長官室を後にしたのだった。
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