第六話 本間さん

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 やがて紅家の集う集落に到着した三人だったが、そこに広がっていた光景をひと目見た本間は、愕然(がくぜん)とした様子で目を見開いた。 「これは……まさに難民キャンプですね……」  深雪と神狼(シェンラン)は頷いた。 「(ホン)家の人たちが《東京中華街》から逃れてきて一か月、ようやくここまで漕ぎつけました。でもご覧の通り、まだまだ十分とは言えません。このペースでは彼らがまともに生活できるようになるまで、あと何年かかるか……」 「みんな疲れ切ってテ、何とかしたいガ、俺たちの力だけでハ限界があル。どうしてモ助けが必要なんダ!」 「……」  言葉で聞いて理解していても、実際に目の当たりにした衝撃は凄まじかったのだろう。本間は言葉も無く、ただただ周囲を見回している。  本間はこれまでゴーストと接することが無かったのか、最初は《監獄都市》の街中へ出ることを極度に怖がっていたが、今では怯えた素振りも見せない。あまりのショックでゴーストだとか人間だとか、そういった事は頭から吹き飛んでしまったのだろう。  そこに奥のテントから出てきた天若(ティエンルオ)が深雪たちに気づいて、足早に近寄ってくるのだった。 「あら雨宮さん! そちらの方は……」 「《収管庁》都市整備局交通政策・物流課の本間さんです」  「ど、どうも。本間(ほんま)允史(ただし)です)  本間が自己紹介すると、天若はにっこりと顔を(ほころ)ばせた。 「あらまあ! ようこそお出で下さいました。私は紅家の当主代理、紅天若(ホン・ティエンルオ)と申します。よろしくお願いしますね、本間さん」 「あ、いえ……」 「ごめんなさいね。突然このような形で《中立地帯》にお邪魔することになってしまって、さぞ驚かれたことでしょう。けれど、私たちも無為に対立したり、衝突することは望んでおりません。ご迷惑をおかけしているのは重々承知しておりますけれど、可能な限り共存共栄の道を探っていけたらと願っているのです。それだけはどうか信じてください。そして……できることなら私たちに力を貸していただきたいのです。どうかよろしくお願いいたします……!!」  そう言って天若は深々と丁寧に頭を下げた。自分の母親ほどの年齢の女性に頭を下げられ、本間も驚いたように慌てて声をかける。 「いえそんな……どうか頭を上げてください!」  深雪は天若に提案した。 「天若さん、まずは本間さんに紅家の現状を視察してもらおうかと思うんです。それから一緒に具体的な話をしましょう」 「ええ、そうですわね。どうぞこちらへ。何のお構いもできませんけれど……」  そうして深雪らは改めて紅家の様子を見て回ることにした。  一斗缶(いっとかん)をリサイクルしただけの粗末な焚火を囲む数十人の人々。お腹を空かせているせいか、それとも寒さのせいか。みな表情に覇気が無く、瞳はどんよりとして虚ろだ。  小さな点心(てんしん)を巡って掴み合いの喧嘩をする子どもたち。片や途方に暮れた様子でぼんやりと(たたず)んでいるお年寄りたち。着るものはみな薄汚れていて、何日も風呂に入れていないことが窺える。  ゴミの山も積み上げられたままになっており、衛生状況も良いとは言えない。あちこち無数に張られているテントは冬を越すにはあまりにも心許(こころもと)なく、風が吹くたびバタバタと激しく(あお)られている。  本間も想像以上の光景に圧倒されたのか、終始、言葉少なだった。  集落の中をひと巡りして、あれこれと話をしていると、紅家の年寄りが具合を悪くしたとのことで天若が呼ばれ、席を外してしまった。  そんな彼らを深刻な表情で見つめる本間に深雪は声をかける。 「本間さん、大丈夫ですか?」 「え、ええ……」 「強引に連れてきてしまって本当にすみません。どうしても紅家の現状を知っていただきたかったので」  半ば誘拐するような形で、無理やり連れてきてしまったのは本当に申し訳ないと思っているが、深雪たちには本間しか頼る当てがないのだ。  本間はどう説明したものかと、わずかに言い(よど)んでから口を開く。 「確かに……紅家の人たちの生活状況は僕の想像をはるかに超えていました。ただ何て言うか……驚いただけではなくて、ちょっと昔を思い出してしまって……」 「そうなんですか……?」 「実は僕、栃木の出身なんです。栃木でも県北の田舎育ちなんですが……子どもの頃、大変な出来事がありまして。ちょうど十歳の冬、日本がロシアの侵攻を受けたんです。厳密に言うと中国とロシアの同時侵攻だったんですが」 「聞いたことがあります。アメリカ本土で核を用いたテロが起きて、そのために世界中から米軍が撤退したんですよね?」  ちなみに深雪は《冷凍睡眠(コールド・スリープ)》されていたから、当時の様子はまったく知らない。《監獄都市》となった東京に戻ってから、火矛威(かむい)にそういう事があったのだと教えてもらったのだ。  本間は神妙な面持ちで続ける。 「……ええ。ロシア軍は北海道に上陸し、多くの人々が捕らえられ、ロシア本土へ連行されていきました。自衛隊もすぐさま迎撃態勢に入ったのですが、九州に侵攻してくる中国軍にも兵力を割かなければならず、十分な対応を取ることはできなかった。それで戦火に巻き込まれることや捕虜になることを恐れた北海道や東北の人たちが、北陸や北関東へと大挙して押し寄せてきたんです。もちろん僕の故郷にも大勢の人々が逃れてきました。けっこうな奥地だったんですが……行き先など選んではいられなかったのでしょうね」 「それは相当、大変だったでしょう」 「ええ、狭苦しい田舎町に突然、数千数万もの人々が押し寄せてきたんです。大変なんてどころじゃなかった。まさに天変地異(てんぺんちい)ですよ。でも……うちの市長はその避難民を全員、受け入れることにしたんです。ほぼ即決でね」 「市長さんの判断に、反対の声は出なかったんですか?」  深雪が尋ねると本間は笑って言う。 「もちろん出ましたよ。ただ、市長は譲らなかった。彼のお祖父さんは東日本大震災の被災者で、その祖父にいつも当時のことを語って聞かされていたそうです。『あの時は日本全国のみならず、世界中の人たちが被災地を助けてくれた。だから何かあったら恩返しだと思って必ず困っている人を助けなさい』と。市長がその教えを忠実に守ったおかげで、市民一丸となって全ての避難者を受け入れることができた。そして市長がリーダーシップを取り、県や国との連携を密にして、どうにか全員で冬を越すことができたんです。栃木の冬もなかなかに厳しいですからね」 「市長さんもすごいけど、市民の人々もすごいですね」 「当時は僕や学友たちもボランティアに駆り出され、目の回るような忙しさでしたが、後悔はありません。栃木の故郷は今でも僕の誇りです。ただ……」  故郷の話をしていた時はどこか晴れやかな顔をしていた本間だったが、そこでふと言葉を切り、わずかに表情を曇らせた。 「みなが僕の故郷みたいな対応をしたわけじゃなかった。着のみ着のままで逃げ出してきた人たちに、来てもらっては困ると追い出したり、水、食料、医療品の提供を拒むなんて話はまだいい方で、石や物をぶつけたり、根も葉もない噂を流して避難民のイメージを悪くするようなことをしたり、金品を騙し取ったり……中には人身売買じみた行為をしているところもあったそうです。同じ国の人間なのに……今でも信じられません。何とも酷い話です」 「……」  今度は深雪が言葉を失う番だった。そんな事があったなんて信じられないし、はっきり言って信じたくもないが、冷静に考えればあり得ない話でもない。  非常時には、平時では起こらないことが当たり前のように起こる。誰もが混乱に翻弄(ほんろう)され、あらゆる機関や組織の社会的機能が麻痺すれば、当然そこから(こぼ)れ落ちてしまう人の数も増えるだろう。秩序と安定を失った社会がどうなるか。深雪たちは《監獄都市》で嫌というほど思い知らされてきた。 「戦争は人から理性を奪う。生活を壊し、心や絆を分断し、社会そのものを歪めていく。ここにいる人たちは、それと同じ瀬戸際(せとぎわ)に立たされているのですね」  本間の言う通りだ。紅家の家人たちも今はまだじっと苦難に耐えているが、我慢が限界に達すれば現状に見切りをつけ、力ずくで問題解決を図るようになるだろう。  物資が足りなければ他者から強奪したり、数にモノを言わせて土地や住居を占拠するようになるかもしれない。そうなれば当然、《中立地帯》のゴーストとの衝突も増える。一度、爆発してしまったら、天若(ティエンルオ)でさえ家人たちの暴走を止めるのは難しいだろう。  ついこの間、《東京中華街》が崩壊していくのを目の当たりにしたばかりの深雪は、その光景を想像して背筋が寒くなるのだった。 「本当に何か手は無いんですか? 本間さん……」 「少し心当たりがあります。この街の物流は国の定めた基準に基づいて厳しく管理される、というのが通例ですが、いくつか特例措置も設けられていたと思います。そのあたりから切り崩していけるかもしれません。いずれにせよ一度、《収管庁》に戻って徹底的に調べてみます」  本間の瞳は《収管庁》で対面した時よりずっと真剣な光を帯びていた。最初はどちらかというと、できるだけ関わりたくないという様子だったのに、今はどうにかしなければという使命感にも似た強い意思が感じられる。  深雪は神狼と顔を見合わせて頷いた。かなり強引なやり方になってしまったが、やはり本間を連れてきたのは正解だったと。
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