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第七話 課題山積
その後、戻ってきた天若を交えて紅家の支援について話し合いを行った。そしてある程度、話がまとまったところで深雪と神狼は約束通り、本間を《収管庁》へ送り届ける。
それから《龍々亭》での仕事が待っている神狼と別れて東雲探偵事務所に戻ると、深雪は一連の出来事を所長である六道に報告した。
「そうか……ご苦労だった。どうにか冬までに打開策が見つかると良いが」
ベッドで上半身を起こしている六道の言葉に深雪も頷く。
「そうですね。本間さんが九曜長官と違って理解のある人で、それだけは本っ当に! 良かったです」
九曜計都のこととなると、つい口調がトゲトゲしくなってしまう。そんな深雪に、六道はどこか面白がるような気配を目元に浮かべつつ問う。
「九曜長官が嫌いか?」
深雪はわずかに口ごもると正直に答える。
「……嫌いです。あんな人物を好きになんてなれません。所長は平気なんですか? 所長もさんざん九曜長官から暴言を浴びせられたのに……」
すると六道はふと笑みを浮かべた。
「長官の発言に問題が多いのは事実だ。私も随分と手こずらされてきたものだ。ただ……好きか嫌いかという問題は主観によるところが大きいからな。いや、比較対象による、と言った方が正しいか」
「……? どういうことですか?」
「彼女の前任者は、とにかく『仕事』をしなかった。《監獄都市》の内情は外部の監視の目に晒されることがない。それをいい事にひたすら保身に走り、私腹を肥やすことに専念し、《収管庁》長官として必要な措置は何ひとつ取らず、放置に徹した。もちろん《リスト執行》にも極めて消極的で、『権力が正常に機能しない状態』が長く続いたのだ。当然のことながら《監獄都市》は荒れ果て、暴力沙汰や死者数も激増し、《東京中華街》や《新八洲特区》を含めた街の情勢は今とはくらべ物にならないほど悲惨だった。それを思えば、九曜長官はこちらが働きかければ動いてくれるだけ、まだマシだ」
「……」
「確かに九曜長官は高圧的でプライドが高く野心家だが、それは必ずしも欠点ではない。自尊心が高いのは仕事に対する自負心が強く、意欲も高いからだ。野心があるのは、確たる目標があるからとも言える。我々にとって都合の悪いことばかりではない」
「……そうでしょうか?」
「価値観は人それぞれだろうが……私にとって『悪い権力者』とは目の前に問題があり、それに苦しんでいる人々がいるのを知りながら何ら手を打たず、本来必要のなかった犠牲を生み出し続ける者のことだ。九曜長官は《四者会談》を実現させ、《休戦協定》を締結させた。その点を私は高く評価している」
六道の言うことは分からなくもない。九曜計都の性格ならばゴーストに主導権を渡すなんて絶対に認めないだろうし、荒くれ者のゴーストを我が物顔でのさばらせることもないだろう。あの苛烈な性格だからこそ、《休戦協定》を結ぶことができたのかもしれない。彼女の存在が《監獄都市》にとってプラスとなっているのは確かだ。
だからと言って、どんな暴言も許されるというのは、また違う話ではないか。深雪はどうにも納得できなかったが、六道の主張に面と向かって反論するのはやめておいた。自分にはまだ、それだけの経験や実力が備わっていない。
「俺は……そこまで割り切ることはできません。ただ、所長がそこまでおっしゃるなら、もう少しだけガマンしてみようかと思います」
深雪は渋々ながらそう答える。すると六道はふと真顔になって忠告する。
「……雨宮、これだけは覚えておけ。九曜長官はいつか《監獄都市》を去る。そうすれば、また新たな為政者が派遣されてくるだろう。後任者がどんな人間になるのか、我々に選択権はない。九曜長官より優れた人物がくる可能性もあるにはあるが、《収管庁》長官のポストが閑職だと考えると、その確率は低いと言わざるを得ない。それでも我々はこの街で生きていかねばならないのだ」
六道の言葉は続く。
「指導者の資質を問うのもいいが、どんな人間が上に立ってもある程度、回っていくシステムを構築することも重要だ。理想や願望を抱くのもいいが、それを口にする他者への依存に傾倒し、現実的な対応を蔑ろにすれば、必ずや高い代償を支払わされることになる。それで生き残っていけるほど、この街は甘くはないのだからな」
六道は以前も似たようなことを言っていた。奈落にしろオリヴィエにしろ神狼にしろ、東雲探偵事務所に所属している《死刑執行人》たちはいずれ事務所を去る可能性が高い。彼らが抜けたとしても事務所を維持できるよう、十分に備えておけというものだ。
今は多忙でそれどころではないが、いずれ真剣に考えねばならないだろう。
それからというもの、深雪は紅家の集落と《収管庁》を行き来する生活が始まった。
《収管庁》へ行って本間を出迎え、紅家の集落へと赴いて天若らと話し合い、終わったら《収管庁》に本間を送り届ける。神狼も《龍々亭》の仕事の合間を縫って深雪を手伝ってくれた。
やがて事態は少しずつ動き出す。本間によると、《監獄都市》にある組織や団体は《収管庁》から認可を受ければ、外部と直接、取り引きすることが許される特例措置があるという。
ガス、電気、水道といったインフラの維持を担う会社や、《収管庁》をはじめとする公共機関とその関係者の生活を支援する各種企業。そして一部の『優良』と認定を受けた《死刑執行人》の事務所などが該当するらしく、東雲探偵事務所やあさぎり警備会社などが認定されているという。
ただ、紅家は企業組織でもなければ、《死刑執行人》の事務所でもなく、そういった団体に特例措置が施された例はこれまでに無いという。だが、本間が各種機関と調整に尽力してくれたおかげで、紅家も期間限定という条件つきで同様の措置が施されることとなった。
もっとも特例措置を施された団体は、その組織概要や運営状況、そして取り引き相手の情報はもちろん、具体的な取り引き内容、取り引きの時間や場所など事細かに記録し、《収管庁》に報告しなければならない。
その手続きが思っていた以上に煩雑で、深雪は天若や雨杏らとともに日々、書類とにらめっこだ。それでも本間の指導や監督のもと、少しずつ物資が《壁》を越えて紅家の元に届きはじめた。
紅家は《東京中華街》を脱出する際にまとまった資産を持ち出しており、金銭的な援助が必要なかったことも幸いした。《収管庁》が《壁》の外にある企業との仲立ちさえしてくれれば、あとは紅家が自分たちで対処できる。
再建は始まると早かった。徐々に建物が立ちはじめ、食料品や衣料品はもちろんのこと、防寒着や暖房器具、医療物資なども大量に運び込まれるようになった。さすがに《東京中華街》のようにはいかないが、何とか人が生活していけるだけの環境が整っていく。
街の建設が進むにつれ、紅家の家人たちの顔にもようやく明るさが戻ってきた。もともと紅家は長年、《レッド=ドラゴン》を率いてきた一族だけあって老若男女よく働く。おかげで住居の建築も急ピッチで進んでおり、この調子なら本格的な冬が訪れる前に目途が立ちそうだ。
廃墟だった場所に多くの資材や重機がうごめき合い、次々と建物が建設されていく。その活気に満ちた様子を無言で見つめている神狼の隣に立ち、深雪は声をかけた。
「ぎりぎりだったけど、冬までには間に合いそうで本当に良かった」
「……。そうだナ。深雪や本間サンが協力してくれたおかげダ」
「神狼だって頑張ったよ。紅家の人たちと打ち解けるには、まだ時間がかかるかもしれないけど、いつかきっと分かってくれる」
新たな集落が活気に包まれた今も、紅家の家人たちが神狼を受け入れることは無い。視線を合わさないし、会話も交わさない。両者の間には相変わらず、冷たい壁が横たわっている。
「紅家の力になりたい」と神狼が深雪とともに奔走していたことを彼らも知っているはずなのに、感情のしこりは容易には取り除けないのだろう。
神狼は小さく首を振ると、どこか神妙な面持ちで告げる。
「別ニ俺のことはいいんダ。たダ……正直、ここまでうまくいくとハ思っていなかっタ。どうセ《収管庁》の人間ハ、俺たちのことなド、真剣に考えたりはしないト。でも……それは間違いだっタ。《収管庁》の人間みんなガ冷淡で無関心ナわけじゃなイ。それぞれノ立場があっテ、動くのに時間ト手間がかかることもあル。思い通りにならないからと諦めてしまったラ、そこで終わりなんだナ」
「神狼……」
「俺は紫家や《紫蝙蝠》といっタ狭い世界しか知らなかっタ。《導師》や所長、流星の言うことだけ聞いていれバ良くテ、鈴華や鈴梅ばあちゃんさえ幸せなラ、何もいらなかっタ。今は……それで本当にいいのカ、疑問に感じていル」
神狼は《東京中華街》を離れてからずっと、《レッド=ドラゴン》の目を逃れるように暮らしてきた。そんな彼が、故郷ともいえる街の崩壊を目の当たりにして変わろうとしている。《導師》のことや紫家の過去に苦しむ姿を知る深雪だからこそ、そこに至るまでどれだけの葛藤があったのかも窺い知れた。
「……深雪はすごいナ。本間サンをここへ連れて来るト言い出したのもお前だシ、《収管庁》の偉い奴ニ啖呵を切った時ハ、よくぞ言ってくれたト見直したゾ!」
「俺だってまだまだだよ。所長の根回しがあったからこそ《収管庁》との交渉も上手くいったんだし」
あまりにも素直な賛辞に照れくさくなって慌てて両手を振る深雪だが、ふと表情を改める。
「何て言うか……今回のことは俺もすごく勉強になった。紅家の人たちの生活が安定するまでもう少しかかると思うけど、それまで一緒に頑張ろう!」
「ああ、そうだナ!」
紅家の集落が活気が戻って来るにつれて、神狼にも元気が戻ってきたようで深雪は嬉しかった。
神狼が深雪の前で弱音を吐くことは無いけれど、兄である黒彩水が紅家の家人たちを粛清したことは相当にショックだっただろう。それでも彼は紅家の力になりたいと前向きに動いている。
(受け入れ難く、辛いことがあっても神狼は変わろうとしている。俺も頑張らないと……!)
実際、他にも学ばなければならないことは山積みだ。《東京中華街》の事変を経験する中で、深雪は己の実力不足を嫌というほど痛感した。だから、できることは何でも取り組んでおきたかったのだ。
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