第七話 課題山積

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 まず、深雪は奈落にバイクや車の運転を教えてもらった。以前、そういう約束をしていたのだ。事務所にあるSUVやバイクには自動運転システムや運転支援システムが搭載(とうさい)されているものの、緊急時や非常時のために手動でも運転できるようになっておきたい。  それがひと段落すると、深雪は次に拳銃(ハンドガン)の扱い方を教えてもらうことにした。苦手意識と恐怖心から銃を扱うことを避けていたが、今後のことを考えるといつまでも逃げるわけにはいかない。  深雪が銃を使わなくても、相手が使ってくる可能性もあるのだ。ゴーストの攻撃手段はアニムスが主だが、低アニムス値のゴーストや戦闘系のアニムスを持たないゴーストは銃で武装することも珍しくない。  本格的に抗争の鎮圧に乗り出すなら当然、自分に銃口が向けられる事態もあり得るだろうし、そういった事態に対処するためにも、銃の構造や扱い方といった基礎知識は必須だと感じたのだ。  ただし、奈落の『指導』は生易しくはなかった。教えを乞う承諾はしてくれたものの、なかなか実射訓練に入らせてもらえない。  まず、銃の各部名称や構造を覚えさせられた。そして弾倉の交換はもちろんのこと、分解の手順から手入れの仕方まで徹底的に叩き込まれる。チェックも厳しく、科されたノルマをクリアできないと絶対に次の段階へ進ませてくれない。  その日も深雪は事務所の二階にあるミーティングルームへ向かい、部屋の真ん中に鎮座する会議机の上で、分解した銃を組み立てる練習をしていた。奈落は軍服を身にまとい、右目を眼帯で覆ういつものスタイルでミーティングデスクの反対側に腰をかけ、煙草を吸いながら見守っている。  ちなみにオリヴィエに口うるさく注意されたのがすっかり習慣化したのか、自ら携帯灰皿を持参していた。 「……正直、ここまで詳しく教えてもらえるとは思ってなかったよ」 「当然だ。適当に教えて万一お前の撃った弾が、こっちに向かってきたらどうする。命がいくつあっても足りゃしねえだろうが」 「確かにそうだね……あっ」  答えつつも深雪は、さっそくぽろりと銃の部品を落としてしまった。ぎこちない手つきに呆れたのか、奈落は煙草の煙とともに溜め息を吐き出す。 「ったく……いいか、何度も言っているが興味本位ならやめておけ。オモチャじゃねえんだ。お前にはアニムスがある。刃物と違って銃は触らなくても生きていけるし、向き不向きもある。よほどの非常事態でもない限り、お前にはアニムスの使い方を工夫するほうが性に合ってるんじゃないか?」 「いや……できないからって放り投げたくないんだ。これから抗争の鎮圧に当たらなきゃいけないし、銃を使うゴーストだって珍しくない。いつまでも『新人』でいるわけにはいかないんだ。《進化兵》と戦った時みたいにピンチに陥ることだってあるし、苦手意識のある事でも取り組んでいかないと」  深雪が真剣な顔をして答えると、奈落は隻眼を(すが)めてニヤリと笑う。 「……まあ好きなようにやってみろ。やる気があるのと実際にできるかどうかは、まったくの別物だがな」 「ははは……厳しいね」 「おら、喋る暇があったらとっとと手を動かせ」  奈落のことだから教え方も軍隊方式で、失敗したら拳が飛んでくるのではと密かに心配していたが、そんな乱暴なマネはしない。かと言って手取り足取り教えるでもなく、深雪ができるようになるまでのんびり待っている。もっとも奈落にしてみれば、煙草を燻らせる合間に深雪の面倒を見ているだけかもしれないが。  そうして基礎知識をどうにか叩き込み、ようやく実射訓練に入ることとなった。《中立地帯》の瓦礫地帯の一角に、広々とした倉庫跡地がある。屋根が崩れ落ちているせいで人が住んでいる気配も無く、周囲を頑丈な壁で囲まれているので安全性も確保できる。その倉庫跡地で実弾射撃の練習を行うことになった。  合板で作った簡素な的を持ち込み、しっかりと床に固定させると、20mほど離れて深雪はハンドガンを手に取った。弾倉を確認し、遊底(スライド)を引き、コッキング状態にして的に向かって構える。 「……その姿勢じゃ駄目だ。腰を落とせ、足は開きすぎだ! 左足は正面、右足は外側に向ける! 的に対してしっかり正面を向け、そんなに仰け反るんじゃない。過度の恐怖心が姿勢に出るんだ! それから左手でしっかり支えろ。お前が想像しているより大きく反動(リコイル)が来るぞ!」   奈落に動作を一通りチェックされて、ようやく引鉄(トリガー)を引く許可が出た。発火炎(マズルフラッシュ)とともに発砲音が轟く。腕にずんと衝撃が伝って銃口が上に撥ねあがる。  周囲を壁に囲まれているせいか、音がやけに響く気がした。最後に硝煙の臭いとともに空になった薬莢が床に転がっていく。  しかし、肝心の銃弾は的の端を掠めただけだ。二発、三発と立て続けに発射するものの、思うように的の中心には命中しない。 「これ……狙ったところに命中させるのって相当、難しくない? 今は試し撃ちで的も静止してるけど、実戦では相手も自分も動き回っているわけだし。おまけに重いし、反動もすごいし、ぜんぜん扱える気がしない……」  深雪が使用しているハンドガンは銃身112mm、全長が198mm。重さは830gほどあり、日本で最も入手しやすい型式だ。それに装弾するのは9×19mmパラベラム弾が9発、全部で30gほど。  重さといい取り扱いの煩雑(はんざつ)さといい、《ランドマイン》がビー玉ひとつで発動できることを考えると、やはり不自由さを感じてしまう。 「そうだな……お前はもっと筋肉をつけろ。ハンドガンも支えられないようじゃ、マシンガンやライフルなんざ問題外だぞ」  奈落に告げられて深雪は溜め息をついた。 「筋肉かあ……それなりにトレーニングしているつもりだけど、筋肉がつきにくい体質なのかな?」  ある程度は体力がないと、たとえアニムスがあっても実戦では戦えない。とは言っても、あくまで部活の基礎練習程度だが。 「即効で筋肉をつけたいなら、俺が特別にメニューを組んでやろうか?」  奈落はやたらと嬉しそうにニヤリと笑う 「うーん……組んでもらっても実行できる気がしないっていうか、筋トレだけして一日が終わりそう」 「何だ、つまらんな。改造しがいがあると思ったんだが」 「改造って……魔改造になりそうな予感しかしないけど。っていうか、筋肉の話になると、めっちゃ楽しそうだね」  深雪は苦笑した。確かに奈落は傭兵だけあって立派な体格をしている。彼ほどのレベルに達すると、筋トレも楽しいのかもしれない。それからふと思い出して、深雪は奈落に尋ねる。 「そういえば……《東京中華街》では藍光霧(ラン・クワンウ)さんと一緒だったって火矛威(かむい)から聞いたよ。俺は会えなかったけど……光霧さんも奈落と同じ《ヘルハウンド》の傭兵だったんだろ?」 「何だ、急に……?」 「その……奈落はかつての仲間を探し出して殺してるって言ってたから。光霧さんのことは、もういいのかなって」  すると奈落は深雪から視線を逸らし、煙草を取り出して口に咥えると火をつけた。 「……。この街に来た当初はそのつもりだった。だがあいつは……リウは正気を保っている。俺がわざわざ狩る必要はない」 「そうか……奈落が《ヘルハウンド》の仲間を追っているのは、彼らが精神を破壊されて、理性を失っているからだっけ」  《ヘルハウンド》のゴーストは、殺傷力の高い強力なアニムスを持つ者ばかりだったと聞く。それが精神崩壊を起こして、手当たり次第に街や人々を襲うようになるのだ。周囲に及ぼす影響は《臨界危険領域者(レッドゾーン=ディザスター)》になったゴーストと同じかそれ以上だろう。  『未曾有(みぞう)の大災害』が起こる前に、誰かが彼らを止めなければならない。奈落はたった一人でその役割を負っていたのだ。それだけ《ヘルハウンド》の仲間に特別な思い入れがあったのだろう。  実のところ、藍光霧(ラン・クワンウ)も精神崩壊の危機に瀕したことがある。ところが彼のアニムスは《アムリタ》という高い治癒の能力だったため、破壊された脳の神経細胞をも修復してしまったのだ。  奈落は続ける。 「それにジウの命はもう長くはない。奴自身、そのことをよく知っている」 「え……そうなのか?」 「あいつはああ見えて俺の三倍以上、生きているぞ。治癒能力が高いと言っても不死ってわけじゃない。リウは《東京中華街》に骨を埋めるつもりでいる……だったら俺がすることは何もない」 「そっか……良かったよ」  どこか安心したように言う深雪に、奈落は「何がだ?」と眉をひそめた。 「仲間内で殺し合うなんてして欲しくないんだ。奈落には奈落の考えがあるし、それが俺の価値観の押しつけに過ぎないって分かってるけどさ」  奈落はますます訝しげな表情をする。なぜ当事者でもない深雪がそんなことを気にするのかと、疑問を抱いているのだろう。 「だってさ……奈落が仲間を追うのは放っておけないからだろ? 誰かがやらなきゃならないなら自分の手でって……それもある種の優しさだと思うからさ。悲しい結末にはなって欲しくないんだ」 「そんなきれいな話じゃない。身内の不始末は身内でケリをつける。それが《ヘルハウンド》のルールだ。俺はそのルールを遂行しているだけだ」 「その《ヘルハウンド》はもう存在しない。存在しない組織のためにルールを守る必要はどこにも無いはずだろ?」 「……」 「それでも奈落は仲間を追うことを選んだ。世界中に散っていったゴーストを一人一人追うなんて根気がいるし、タフな精神力が無ければ続けられない。奈落じゃないとできないことだと思う。でもさ……もし辛くなったら東雲探偵事務所に戻ってきなよ」  すると奈落は皮肉混じりに口の端を吊り上げ、肩を竦めた。 「戻る……? 俺が? あのボロ屋敷にか?」   「奈落だけじゃない。みんなそれぞれ行くべき場所や戻るべき場所がある。それでも、いつかまたこの事務所に集まれたらいいなって思うんだ。事務所の屋上でバーベキューをした時みたいにさ」 「……そういや、そんなこともあったな」 「そのためにもこの事務所を存続させて、街を少しでも平和にしないと……それが今の俺の目標」  目標はたくさんある。《監獄都市》を少しでも昔の東京に近づけたい。この街に住む普通の人々もゴーストも、みなが暴力の陰に脅えることなく安心して暮らせるようにしたい。  そのいずれも、東雲探偵事務所が存続してこそ叶えられる目標だ。だから深雪は東雲探偵事務所とそこに集った《死刑執行人(リーパー)》も大事にしたい。みな苦楽を共にしてきた仲間なのだから。 「ふん……《死刑執行人(リーパー)》の親玉になろうって奴の言うセリフじゃねーな」  呆れた口調で煙を吐き出す奈落に深雪は笑って答えた。 「いいじゃん。夢は大きい方がいいって言うし」
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