第八話 安全装置

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第八話 安全装置

 それから深雪は小一時間ほど奈落の指導のもと射撃訓練を行った。それが終わって事務所へと戻る道中、深雪は新たな相談を持ちかける。 「あとは格闘技を覚えたいんだ。対人戦になると逃げ回ってばかりだからさ」 「言っておくが、俺のは完全に我流だ。あまり参考にはならんぞ」 「えっ……そうなの?」 「常日頃から事あるごとに殴られてりゃ嫌でも身につく。最も実戦的だろう? 同じ方法でいいなら、いつでも付き合ってやるが?」 「いえ……いいです、遠慮しときます」  さすがにドン引きしつつ深雪は答えた。《ヘルハウンド》のような傭兵集団では最も効率的な訓練法なのかもしれないが、一般人に過ぎない深雪は格闘技が身につく前に大怪我すること間違いなしだ。  奈落はさもありなんとばかりに「フン」と鼻を鳴らして付け加える。 「それに俺とお前では体格にかなりの差がある。俺のやり方をそのままお前に教えたところで、うまくいくとは思えない」 「それは一理あるかも……じゃあどうすればいいんだ?」 「ほかに適任者がいるだろう。格闘技が使いこなせて、お前と背格好も同じというぴったりな条件の奴が」 「ひょっとして……雨宮マコトのこと?」  それはそうだろう。彼と深雪は同じ遺伝子を持つクローンで、背丈だけでなく基本的なフィジカルが同じなのだ。だから雨宮の得意な戦い方が深雪にも合っている可能性は高い。しかし問題もある。 (雨宮マコトかあ……確かに強いけど、格闘技の訓練を頼んだところで素直に教えてくれるかな? 絶対に『お前は余計なことをせず、大人しく俺たちに従っておけばいいんだ!』……とか言いそう)  陸軍特殊武装戦術である彼は、軍の上層部から《レナトゥス》を持つ深雪を西京新都へ移送するという命令を受けており、その遂行を第一に動いている。深雪が頼みこんだところで戦い方を教えてくれるとは思えない。もし雨宮マコトが格闘技の訓練をしてくれるなら、心強いことこの上ないのだが。  そんな話をしていると東雲探偵事務所の建物が見えてきた。特徴的な煉瓦造りの六階建ての洋館は、周囲にひしめくビルに比べると、ずいぶん粗末に感じられる。奈落の言う通り、『ボロ屋敷』だ。まさかここが《中立地帯の死神》の拠点であり、《中立地帯》を守る(かなめ)だとは誰も思うまい。  だが、所長である六道はこの洋館にこだわりがあるらしく、決して事務所を移そうとしない。 (《監獄都市》は南部から東部にかけて《新八洲(しんやしま)特区》―――《アラハバキ》の支配地域で占められている。特に旧都心―――千代田区・中央区・港区のあたりから《アラハバキ》の影響力が強くなってくる。事務所はその西端に位置して、《中立地帯》や《収管庁》を《アラハバキ》から守る形になっているから、確かに戦略的には有利なんだけど……)  だが、六道がこの洋館にこだわるのは地理的な理由だけではないような気がする。立地条件に問題がないのであれば、建て替えてしまえば済む話だからだ。何か事情があるのかもしれないが、それが何なのかは深雪も分からない。  深雪が奈落とともに東雲探偵事務所の玄関に到着すると、そこでばったりオリヴィエと出くわす。流れるような長い金髪に黒い神父服(キャソック)をまとっている彼は、遠目でもよく目立つ。 「あ、オリヴィエ!」 「ああ、深雪。出かけていたのですね。それと……」  オリヴィエは深雪の隣に視線を向けた。ところがそこに立っている奈落に気づくと、途端に眉をひそめて警戒心をあらわにする。奈落もその隻眼に鋭利な光を浮かべてオリヴィエの視線を跳ね返すものだから、両者の間にピリッとした空気が流れた。 (あれ? 何だろう、この空気……二人とも仲が良いってわけじゃないけど、今日はとりわけ雰囲気悪いな……)  そう感じたのは深雪の気のせいではない。その証拠にオリヴィエはとげとげしい口調で言う。 「彼も一緒だったのですね」 「ああ、銃の扱い方とかいろいろ教えてもらっているんだ」 「深雪、頑張るのは大変良いことですが、教えを乞う相手は選んだ方がいいですよ。相手が必ずしも純粋な善意を抱いているとは限らないのですから。親切なふりをして腹の内では何を企んでいるのやら……!」  オリヴィエらしからぬ嫌悪を隠そうともしない口ぶりに、深雪はひどく驚いた。オリヴィエと奈落はたびたび口論しているが、それは考え方や気が合わないからで、心の底から憎み合っているわけではない。  ところが、今のオリヴィエは奈落の姿を目にするのも不快だと言わんばかりだ。奈落も顔をしかめて剣吞な口調で吐き捨てる。 「ああ? いつにも増してネチネチと嫌味ったらしい奴だな。言いたいことがあるなら、はっきり言ったらどうだ?」 「いいえ、やめておきます。迂闊(うかつ)なことを口にしてあなたに背中から撃たれでもしたら、たまったものではありません」 「ど……どうしたの、オリヴィエ?」 「深雪も早くその男から離れなさい。同じ事務所の《死刑執行人(リーパー)》だからといって『味方』とは限らないのですよ!」 「ちょっ……まずは落ち着こうよ! 何があったの? あったなら俺にも説明して欲しいんだけど!」  しかしオリヴィエは怒りをたぎらせ、奈落を睨みつけるばかりだ。奈落はうんざりしたように舌打ちをすると、くるりと(きびす)を返す。 「めんどくせぇ、俺は帰る。ネチこい植物オタクの相手をするなんざ、こっちから願い下げだ」 「……奈落! 今日はいろいろありがと!」  深雪は慌てて奈落の背中に声をかけた。奈落は振り向かなかったものの、黒い皮手袋をはめた片手を上げて応える。それを見送ってから、深雪はオリヴィエのほうを振り返った。 「……オリヴィエは植物たちの世話をしに?」 「ええ。本格的に冬が到来する前に鉢を植え替えたり、春に向けて枝を剪定(せんてい)しようと思いまして、楽しみにして来たのです。それなのに彼とばったり出くわしてしまうなんて! まったく不愉快極まりない!!」 「あのさ……何かあった? ここ最近……《東京中華街》から戻ったあたりから奈落とオリヴィエ、妙にギスギスしてるよね?」  深雪が尋ねるものの、オリヴィエは表情を曇らせたまま黙り込んでしまう。どんな事情があるのか分からないが、言い難い内容なのかもしれない。 「……。とりあえず俺も植物の世話を手伝うよ。何からすればいい?」  そう察した深雪はオリヴィエとキッチンに向かうと、一緒に植物に水をやったり、枝を剪定していく。何か作業をしながらのほうがオリヴィエも話しやすいだろうと思ったのだ。   オリヴィエはしばらく険しい顔をして考え込んでいたが、おもむろに口を開く。 「……深雪は知っていますか? 奈落がこの事務所に雇われている理由を」 「《ヘルハウンド》にいた凄腕の傭兵だから……じゃないの?」 「それだけではありません! 奈落の本当の『仕事』は《死刑執行人(リーパー)》である我々を狩ることなのですよ! もし私たち事務所のメンバーに命の危機が迫れば、彼は私たちを守るでしょう。《進化兵》に襲われた深雪を守った時のように。けれど必要だと判断した時には、何食わぬ顔をして我われ《死刑執行人(リーパー)》を始末するつもりなのです!!」  「……!」 「奈落はさも同僚のような顔をしながら、その裏では私たちの言動を監視し、殺すべきか否か、私たちの命を冷徹に天秤にかけていたのです! 彼と私たちは対等ではない……まさに囚人と看守のような不平等な関係なのです! それなのにあの男は素知らぬ顔をして、その重大な事実を私たちに隠していたのですよ!!」
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