第九話 学校

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 深雪がニコに雨宮たちと話をしたい旨を伝えると、さっそく雨宮と碓氷が事務所の屋上に現れた。二人とも《中立地帯》のゴーストに扮するためか、カジュアルな格好をしている。一見すると《ストリート・ダスト》と見分けがつかない。  彼らの後ろにはニコと剣崎の姿も見えた。少し離れたところにいるが、何かあった時のためにと待機しているのだろう。  雨宮マコトはいつもの抑揚の少ないしっかりした声音で問う。 「……それで? 話とは何だ?」 「最近すごく忙しそうだけど、何かあったのかなって」  深雪が尋ねると、今度は碓氷が皮肉げな口調で答える。 「なに言ってやがる、ちょろちょろと忙しくしてんのはお前の方だろ」 「まあ確かにそうなんだけど……」  深雪はあいまいに答えながら二人の様子を窺う。 (二人とも妙に静かだよな……俺を『《壁》の外へ連れ戻す』ってことも言わなくなってるし)  軍人気質らしく、任務至上主義の雨宮も碓氷が任務を放り出すとは考えにくい。そういった意味でも、どういう心境の変化があったのか気になるところだ。  ところが雨宮マコトは、ひどく素っ気ない口振りで告げる。 「……何かあったとしても、それをお前に教える筋合いはない」  その返答は意外だった。深雪は違和感をそのまま口にする。 「どうして? この間まで俺にいろいろ教えてくれたのに」 「お前も一応は《雨宮=シリーズ》の一員だからな。ナンバードなら誰でも教えられる情報、その中でも比較的に無難なものを選んで教えてやったんだ。だが、お前には西京新都へ戻る意思はなく、《監獄都市》で《中立地帯の死神》とやらになるつもりなのだろう? だったらこれ以上、教えてやることは何もない」 「ま、俺たちの言う事を一切聞かないくせに、情報だけもらおうなんざ笑止千万(しょうしせんばん)ってこった。何でも自分の思い通りになると思ったら大間違いだぜ」 「……」  雨宮や碓氷の発言は筋が通っているように見えるものの、矛盾も孕んでいることに深雪は気づいた。深雪は最初から一貫して西京新都には戻らないと告げてきたし、火澄を助けに行く道中で二人ともいろいろな事を教えてくれた。  そんな雨宮たちが態度を硬化させたのは、ここ最近のことだ。おまけに雨宮と碓氷の性格を考えると、火澄の謎に言及しないのも不自然だ。それを考えると、やはり二人の態度を変えさせる何かが起こったのだ。おそらく火澄を救出したその後に。 (いったい何があったんだろう……? いや、何が起こっているんだ?)  火澄のことを二人がどう考えているのか気になるし、探りを入れたいのは山々だが、(やぶ)をつついて蛇が出たのでは困る。 (どう考えても迂闊(うかつ)な言動は控えたほうがいいけど、せっかく二人と話をする機会を得たんだ。何かしら情報は得たいところだよな……)  そう深雪が悩んでいると、雨宮が焦れたように口を開く。 「用件はそれだけか?」 「いや……それとは別に話があるんだ。俺に格闘技を教えてもらえないか?」 「格闘技……? そんなものを習ってどうするんだ」 「ほら……使えたらいろいろと便利じゃん。アニムスが使えない時とか危険が迫った時に自分の身を守ることもできるし。格闘技を身につけたら選択肢が広がるんじゃないかって」  すると雨宮は途端に不機嫌になって、いつもの決まり文句を口にする。 「お前はそんな事をする必要はない。ただ大人しく俺たちに従っていればいいんだ」 「そうは言うけど、雨宮マコトや碓氷がいつも俺のそばにいるとは限らないだろ。二人がいない時に危険があったら? 俺はもっと強くなりたいんだ!」  格闘技を習いたいというのは、雨宮と碓氷に探りを入れる口実でもあるが、深雪の本音でもあった。  もっと強くなりたい。守られてばかりじゃなくて最低限、自分の身を守れるようになりたい。《進化兵》のような強敵にも対峙できるようになりたい。自分の身も満足に守れない者が、《監獄都市》を支えられるはずも無いからだ。  雨宮は不愉快そうに顔をしかめていたが、深雪の言うことにも一理あると考えたのだろう。やがて小さく溜め息をつく。 「……それで? どういった格闘技を習得したいんだ?」 「そんなに格闘技に詳しいわけじゃないけど……すぐに身について、効果があって、俺にも実践しやすいものがいいかな?」  深雪としては素直に希望を述べただけのつもりだが、それを聞いた碓氷は苛立ちもあらわに顔をしかめる。 「お前な……格闘技をナメすぎだろ! 魚に肺呼吸を教えるようなもんだぞ!」 「そこまで言わなくたっていいだろ! 本格的にやるなら時間がかかるのは分かってるけど、そこまでの余裕はないんだ!」 「だったら最初から妙な欲なんぞ出すんじゃねーよ! そもそも他人の教えを当てにしている時点で……!」  すると雨宮が片手を上げて碓氷を制す。 「よせ、碓氷。口で言っても無駄だ」 「雨宮……!?」  碓氷は気に食わないという様子だが、雨宮は「俺に考えがある」とばかりに視線でなだめると、改めて深雪の方を向く。 「……いいだろう。とりあえず俺に全力で攻撃を仕掛けてみろ」 「こ、攻撃……?」 「倒すつもりでかかってこい。アニムスや道具を一切、使わずにな」  雨宮はそう言うと深雪から十メートルほど距離を取り、そこで軽く身構えた。彼の右腕は機械義手(メカニカルフレーム)であり、冷たい光沢を放っている。いきなり実戦に入るとは思いもよらず、深雪は面食らってしまう。 (現時点での俺の実力を測ろうってことか……)  素手の喧嘩は苦手だが、実力を測るためなら仕方ない。深雪は拳を握りしめて両腕を上げると、ボクシングのように体の前で構える。 「よし……行くぞ! でやああ!!」  深雪は助走とともに大きく踏み込むと、雨宮の顔面目がけて拳を振り上げる。しかし、その程度の攻撃が雨宮に通じるはずもない。  雨宮は顔色一つ変えず、深雪の右ストレートをあっさり避けると、逆に左手で胸元を掴み、右足で深雪の踏み出した左足を払う。そのまま流れるように深雪の体を横倒しにして、屋上の床に叩きつけてしまった。  ほんの二、三秒の出来事で、深雪は屋上に仰向けになって転がされていた。雲のまばらな青天の冬空が目にまぶしい。 「……え? あ、あれ?」  瞬きを繰り返す深雪に、雨宮は無慈悲に告げる。 「以上だ」 「いやいやいや! 今のじゃ何も分からないよ!! ただひっくり返されただけじゃん!!」  今のでいったい何を会得しろというのか。ただ、実力差は嫌というほど思い知らされたが。さすがに納得がいかず、深雪は飛び起きた。  すると雨宮は「まだ分からないのか」とばかりに鬱陶(うっとお)しげな顔する。それから後ろで待機しているニコと剣崎を振り返った。 「……剣崎、来い」  雨宮に呼ばれて剣崎玲緒(けんざきれお)がやってきた。顔立ちも体型も中性的だが、れっきとした女の子だ。  彼女は存在の認知を閾値(いきち)以下まで下げる《隠形鬼(おんぎょうき)》というアニムスがある。雨宮が言うには、一定の範囲で気配を気づかれ難くするそうだ。今は彼女の存在をはっきり感知できるから、アニムスは使っていないのだろう。  雨宮は剣崎のほうを視線で指しつつ、深雪に告げる。 「次は剣崎と勝負してみろ」 「さすがに女の子なんだし、取っ組み合いはちょっと……シロより年下の子に暴力を振るうなんて……って、うわあああ!!」  深雪があれこれ言いつのる間も、剣崎はつかつかと歩み寄ってきて深雪のパーカーを掴み、見事な一本背負いを決める。その結果、深雪の体はまたも一回転し、屋上に仰向けでひっくり返って青空を眺める羽目になる。  いくら何でも剣崎に負けることは無いと思っていた深雪は、言葉も無く目を瞬かせる。 「えっと……あれ?」  「おいおい、思っていた以上にひでえな、こいつは」  深雪の顔を覗き込む碓氷は、馬鹿にするのを通り越してあきれ返っている。雨宮も淡々とした口調で告げる。 「言っておくが、剣崎は俺や碓氷のような戦闘要員ではない。最低限の訓練は受けているが、あくまでも後方支援担当だ。つまり現時点でのお前の実力は、剣崎にすら遠く及ばない」 「ま……マジか……」  雨宮や碓氷はともかく、体格の小さい年下の女の子にすら負けるとは。深雪は運動音痴ではないし、体育もごく普通の成績だった。それでも、これだけの実力差があるのだ。深雪もさすがに驚きをを禁じえない。 「これで良く分かっただろう。お前に教えることは何もない。そもそも基礎がなってないんだからな。多少、喧嘩ができたところで通用するのはその辺の不良どまりだ。『本職(プロ)』には到底、敵うはずもないだろう。下手に知識を詰め込んだ結果、己の実力を過信したあげく、誤った判断をしかねない。『強くなりたい』などという戯言(たわごと)は……」  しかし、深雪は両手を地面につくと一気に起き上がる。 「うん……俺の実力はよく分かったよ。でも、俺も諦めるわけにはいかないんだ。だからさ、折衷案(せっちゅうあん)として俺が剣崎って子から一本取ることができたら、格闘技を教えることを考え直してくれないか?」  正直なところ、格闘技を習ぶだけなら雨宮にこだわる必要は無い。体格は似通っているし、得るものも多いだろうが、教えてくれる『先生』は他にもいる。それでも雨宮から訓練を受けたかったのは、深雪にも意地があるからだ。  雨宮と深雪の間にいかんともしがたい実力差があるとしても、少しでもそれを埋めたい。守られるだけの存在ではないと示し、雨宮や碓氷と『対等』になりたい。だが、碓氷は深雪の提案を鼻で笑う。 「こりねえ奴だな、お前も。お前が剣崎に勝つなんて可能性、万に一つもあるわけねえだろうが」 「そんなのやってみないと分からないだろ。俺は本気だから、駄目だって言うなら別の方法を考えるだけだ」  雨宮は眉をしかめ、黙って深雪を睨みつけた。深雪に腹を立てているものの、その要求をはねつけたら深雪は本当に好き勝手に行動すると経験で知っている。それでは困ると考えたのだろう。渋々ながら、ぼそりと吐き捨てた。 「……好きにしろ」
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