第十話 《壁》の外

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第十話 《壁》の外

 深雪は頷くと、相も変わらず無表情な剣崎(けんざき)のほうを向く。 「そんな感じで勝手に決めちゃったけど……いいかな?」 「命令なら従うだけ。でも……勝負には絶対に負けない」 「はは……お手柔らかに頼むよ」  深雪は思わず苦笑いをしてしまった。 (無口だけど、見かけ通りの大人しい性格ってわけじゃなさそうだな。結構、負けず嫌いなのか)  意外に思ったが、訓練につき合ってくれるだけでも有難い。何としてでも彼女に勝ち、雨宮たちに認めてもらわなくては。深雪は改めて身構える。 「それじゃよろしくお願いしま……って、うおわあああ!?」  言い終わる前にさっそく剣崎に踏み込まれ、深雪は派手に投げ飛ばされた。けれど深雪も啖呵(たんか)を切った以上、簡単に退くわけにはいかない。すぐに起き上がって剣崎と対峙(たいじ)する。  相手は小柄で、体格的には深雪のほうが有利なのだ。どこかに勝機があるはず―――そう思って挑むものの、またしても倒される。  それから一時間は同じことの繰り返しだった。対峙しては一方的に投げられ、起き上がってはまた投げられる。深雪は剣崎をつまずかせることすらできない。それを呆れ半分に眺める雨宮と碓氷(うすい)たち。もう何度目になるだろう。剣崎に地面に寝転がされた深雪は肩で息をしながらつぶやいた。 「う……嘘だろ……!? ここまで手も足も出ないだなんて……!」  雨宮の言う通り、喧嘩とは勝手が違う。体格的には深雪に分があるはずなのに、何を仕掛けても攻撃を読まれ、かわされ、先手を取られてしまう。どんな攻撃でも相手に当たらなければ意味はない。  こうしてみると、いかに自分がアニムス頼みの戦い方をしてきたか、《ランドマイン》が無ければ対抗手段すらないのだと思い知らされる。 (投げられすぎて背中が痛い……剣崎って子は無傷なのに! 本当に勝てるのか……!?)  すると仰向けになっている深雪の顔を碓氷が覗き込んできた。 「これで現実が分かっただろう? アニムスの使えないお前なんざ、普通のガキに毛が生えた程度でしかないんだよ。怪我をしてピーピー(わめ)く前に、お前には無理だと受け入れろ」  全くもって碓氷の言う通りで、反論する余地すらないけれど、無理だと諦めるわけにはいかない。深雪は痛みを(こら)えて起き上がりつつ、挑発的な笑みを浮かべる。 「確かに俺は『普通のガキ』だ。そこは同意するけど、諦めるつもりは無いよ」 「何だと!? お前な……」  ところがその時、深雪の右腕の携帯端末からアラームが鳴る。 「うわっと、もうこんな時間か……これから紅家と打ち合わせをする予定なんだ。俺から言い出しておいて申し訳ないんだけど、続きは後日にお願いしていい?」  駄目もとで尋ねてみると、剣崎は意外にもこくりと小さく頷いた。 「……許可が出るなら構わない」 「助かるよ。碓氷や雨宮マコトも今日はつき合ってくれてありがとな!」  そう言って深雪は走り出すと、慌ただしく屋上を後にした。本当はもっと訓練を受けたかったが、何しろやらなければならない事が多すぎる。紅家も未解決の課題が山積しているし、《死刑執行人(リーパー)》としての仕事もある。訓練は時間を見つけ、少しずつ経験を積んでゆくしかない。それで雨宮や碓氷の様子を探ることもできれば一石二鳥だ。  一方、屋上に残された雨宮や碓氷は、苦々しい顔で深雪の後ろ姿を見送っていた。あれこれ屁理屈(へりくつ)をこねて訓練につき合わされたあげく、一方的に打ち切られたのだ。面白いはずが無い。さっそく不満を口にしたのは碓氷だ。 「あの野郎、勝手なことばかり言いやがって……このまま好きにさせて良いのかよ、雨宮?」 「良くはない……良いわけがない! そんなことは分かっている!!」   我慢の限界に達していたのは、碓氷より雨宮のほうだ。常に冷静な雨宮が激昂(げきこう)するのを目の当たりにし、碓氷と剣崎は絶句してしまう。 「雨宮……」 「あいつは弱い……あまりにも弱い! 弱すぎる!! 俺たちだけでも危険だというのに、あんなお荷物を抱えて『連中』と対峙するなど無謀に過ぎる!!」 「あ、雨宮さん……」  どうしたら良いのかとおろおろとするニコ。そんな彼女に気づく余裕すら無く、雨宮は苛立たしげに歯軋(はぎし)りをする。 「だが、俺たちには命令に逆らう余地など残されていない。どれほど納得のいかない命令だとしてもな……!」  雨宮は前回の定期連絡のことを思い出す。  あれは深雪の『懇願』を受け、《東京中華街》へ潜入して帯刀(たてわき)親子を救い出し、《中立地帯》に戻ってきた翌朝のことだ。雨宮と碓氷は直属の上官に定期報告を行った。不正アクセスを受けない特殊な回線を使うため、あらかじめ指定された場所や日時でしか連絡はできない。  雨宮たちが所属している陸軍特殊武装戦術群には、さらに七〇一情報特務兵装という(セクター)があり、その監督官である仙波(せんば)少佐が雨宮たちの上官に当たる。  陸軍特殊武装戦術群はゴーストで構成された部隊だが、日本ではゴーストの存在が法的に認められておらず、したがって軍に所属するゴーストも非公然となっている。つまり雨宮や碓氷は『隊員(ヒト)』ではなく、『兵器(モノ)』として管理されているのだ。  『兵器群』である陸軍特殊武装戦術群はいくつもの(セクター)に分かれており、雨宮たちの所属している七〇一情報特務兵装は、情報収集・諜報活動等を主とする陸軍情報保全部に従属していた。  仙波少佐は陸軍情報保全部の将校(しょうこう)であり、七〇一情報特務兵装を率いる監督官でもあった。  もっとも仙波少佐の『仙波』という名は本名ではない。それどころか彼が少佐という階級なのかも定かではない。何故なら、前任者もその前任者も『仙波少佐』と呼ばれていたからだ。  陸軍情報保全部は、機密性の高い非公式の機関だ。組織の実体や数はもちろんのこと、部隊員や機関員の情報も極秘となっており、隊員同士ですら互いの素性を知らないことも珍しくはない。『仙波少佐』というのも便宜上(べんぎじょう)の名、便宜上の役職名に過ぎないのだ。  だが彼が何者であろうと、雨宮と碓氷の上官である事実に変わりはない。 「……以上、池袋での作戦は計画通りに完遂しました。これより《雨宮=シリーズ》№6の西京新都移送計画に戻ります」  音声のみで行われる定期連絡は、いつものように終了するはずだった。ところが仙波は珍しく用件を切り出す。 「その話だが……いわゆる六番目の首都移送実行は当面、延期とする」 「……! それは何故でしょうか?」 「知っての通り、半年後、杭州(こうしゅう)で日中首脳会談が開かれる。日中関係の未来を左右する重要な会談だ。成功すれば日中関係は安定するだろうが、それを良しとしない勢力も存在する。すでに反勢力の暗躍も複数、確認されており、杭州会談に向けてその数は間違いなく増えるだろうと予想される。日本国内でもイデオロギーの対立による衝突が激しくなるだろう。それを阻止し、国益を害する(やから)を排除し、何としてでも杭州会談を成功させるのが、我われ陸軍に課せられた任務だ。お前たち陸軍特殊武装戦術群・七〇一情報特務兵装のゴーストも、今後は日本各地に派遣されることになるだろう。端的に言うなら、もはや『戦場』は東京だけではないのだ」  半年後に控えた杭州会談がはなはだ困難なものになるだろうと、今や万人の知るところだ。中国政府はその会談を通し、中国軍の日本駐留を明文化しようとしている。  それが実現すれば中国の日本統制は決定的となり、今後、長きにわたってその影響が固定化すると推測されている。それに対し、日本政府側は日中関係を日米安保に相似した枠組み(スキーム)に落とし込むことで妥協点を探ろうとしていた。  しかし課題も多い。一つは、日本国内に中国の支配を受け入れることへの反発が根強いことだ。それは防衛省内部も然りで、海軍は杭州会談の意義そのものに否定的な見解を示している。  二つ目は中国国内に深刻な問題が潜んでいることだ。今や比類なき覇権国家となった中国では最近、とある強硬派が台頭しつつあるという。彼らは杭州会談においても「日本に一歩たりとも譲歩すべきではない、武力でもって打ちのめすべき」との宣伝活動(キャンペーン)を繰り広げているという。  駆け引きはすでに始まっており、杭州会談に向けて激化することはあっても、収束することは無い。国内の情勢は不安定になり、そのぶん不測の事態も起きやすくなる。七〇一情報特務兵装に属する雨宮や碓氷も、六番の護送だけにかかずらうわけにはいかないのだろう。  仙波の言い分は分かるし、命令であれば従って当然だが、雨宮は思わず声を上げていた。 「待ってください! 六番の持つ《レナトゥス》が唯一無二の貴重なアニムスだと仙波少佐もご存じのはず……! 杭州(こうしゅう)会談が成功するか否かに関わらず、中国軍の影響が増大してくるのは必至。それに、この街も『安全』とは言えません! すでに中国軍は《監獄都市》にも多数の諜報員を放っており、《進化兵》に襲撃を受けたのも記憶に新しい……彼我の戦力差を考えても、いつ《レナトゥス》を奪われてもおかしくありません! だからこそ、六番の首都護送を優先させるべきです! 今ならまだ間に合う!!」  すると仙波は低い声で告げた。 「勘違いをするな。お前たち陸軍特殊武装戦術群に属するゴーストは、全て陸軍の開発した『生体(バイオ)兵器(アーマメント)』だ。そして軍が保持する兵器はすべからく日本国の安全と独立、国民の権利や財産を守るために存在している。それは六番も(しか)りだ」 「し……しかし!!」 「こちらが掴んだ情報によれば、《監獄都市》が核テロの標的になる可能性があるという。未曾有(みぞう)の混乱を引き起こすことで、杭州会談を失敗させようという魂胆(こんたん)だろうな。このご時勢だ、テロ計画には間違いなくゴーストが投入されるだろう。あらゆるゴーストのアニムスを消し去る六番の《レナトゥス》は、まさに核テロ対策にはうってつけだ」  そして仙波は異論を唱えることは許さないとばかりに語気を強める。 「雨宮、お前には近い将来、碓氷や剣崎、月城、そして六番を率いて核テロを防ぐ任務に当たってもらう。何があろうと、二度とこの国に被爆地を生み出すわけにはいかんのだ。そのためにはたとえ六番であっても積極的に投入する。兵器とは国防に貢献してこそ初めて存在に意義が生じるのだ……それを忘れるな」 「……!」  雨宮はうつむきつつ拳を握りしめた。おそらく陸軍情報保全部は、核テロ計画について以前から詳細な情報を得ていたのだろう。だが、七〇一情報特務兵装の一兵卒(いっぺいそつ)に過ぎないに雨宮に、それらの機密情報が明かされることはない。  雨宮と碓氷が本来の任務ではない《東京中華街》への潜入を許されたのは、ある種の時間稼ぎだったのではないか。六番を西京新都へ移送せず、《監獄都市》に留めておくべきか否か―――その判断を下すためには、材料(情報)が必要になる。その下調べをする時間を作るため、仙波は《東京中華街》の潜入を許可したのだ。  だが、仙波少佐の口から真相が語られることは無い。 「新しい情報が入り次第、追って任務を伝える。それまでは六番を監視しつつ、《監獄都市》で待機せよ。こちらの話は以上だ」  そして通信は無情にも途切れてしまうのだった。
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