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あの時のことを思い出すたび、雨宮は激しい後悔に駆られる。六番の持ちかけた話に、うかうかと乗るのではなかった。東雲探偵事務所の《死刑執行人》がことごとく負傷し、連中の力が弱まった時こそ、本人の意向など無視して六番を《監獄都市》から運び出せばよかった。それが深雪のためにもなったのにと。
「それなのにあいつは……自分の立場も分かっていないどころか次から次へと厄介事に首を突っ込む! フィジカルも貧弱だが、頭も弱いときた!」
雨宮は怒りが収まらない。深雪の能天気さや図々しさにも苛々させられるが、自分の迂闊さにも腹が立って仕方がなかった。世界情勢に照らし合わせれば、仙波少佐の思惑を読むことは不可能ではなかったのに、あろうことか六番の首都移送を遠ざける提案をしてしまった。我ながら不用心だったとしか言いようがない。
一方の碓氷は雨宮の怒りを目にして逆に頭が冷えたのか、いつもの皮肉げな表情に戻って肩を竦める。
「要するに六番が勝ち、俺たちは負けたんだ。六番はゴネまくって時間を稼ぎ、状況が変化するのを待った……狙ったかどうかは知らねえが、結果的に俺たちは六番の首都護送のタイミングを逃しちまったんだ。仙波少佐が計画延期の判断を下した以上、諦めるしかねえな」
「だが……《雨宮=シリーズ》の中でも六番ほど完成度の高い《レナトゥス》を宿すクローンはいない。お前も分かっているだろう、碓氷! もし六番が死ぬようなことがあれば、《レナトゥス》も永遠に失われてしまうんだぞ!!」
「だからこそ、あいつ一人のために俺たちがわざわざ駆り出されたんだ。だが……もう時間切れだ。国内外の情勢や軍の動向、全てのフェーズが変わりつつある。俺たちにできるのは冷静に現状を分析し、来るべき核テロに備えることだけだ」
「……」
まったくもって忌々しい。雨宮は顔を歪めたものの、それ以上は言葉を発することなく感情を抑えるよう努めた。碓氷の指摘した通りだ。腹を立てたところで意味などない。『兵器』である自分たちには感情など必要ない。必要なのは任務を成し遂げることだけだ。雨宮は自分にそう言い聞かせ、瞳を閉じて鋭く深呼吸する。
「雨宮さん、どうしますか?」
ニコ――F‐二二五号機に尋ねられ、雨宮はすうっと目を開く。その時にはいつもの冷静沈着な雨宮に戻っていた。
「仙波少佐の命令を遂行する。目下のところは六番を監視し、情報を収集しつつ、次の命令が下されるまで待機だ……これまで通りにな」
六番が関係してくると、どうも冷静さが欠けてしまいがちになると雨宮は自覚しつつあった。それを察しているのだろう。碓氷もそれ以上は追及することなく、代わりに腕の携帯端末を操作しながら口を開く。
「そういえば……六番が言ったことを覚えているか? 《京極=シリーズ》の生き残りが東京にいるって話だ」
《京極=シリーズ》の六番が失踪していることは雨宮たちも知ってはいたが、この二十年、その存在が確認されたことは無い。だから深雪の話を信じ難いと思う一方で、妙だと感じる点もあった。
よく考えれば、斑鳩科学研究センターの存在を知らずに育った深雪が、《京極=シリーズ》の存在を知るはずがない。現に、深雪は同じ《シリーズ》である雨宮の存在さえ知らなかったのだ。
では、深雪はどこで《京極=シリーズ》のことを知ったのだろう。そこで雨宮は念のためにと碓氷に京極鷹臣について調べさせたのだ。
「……その件もあったな。調べはついたのか?」
「ああ。やたらとガードが堅かったが、ようやく映像を撮ることができた」
碓氷の返答を聞き、雨宮は眉根を寄せる。
「ガードが堅い……? つまり京極の六番はこちらの動きに気づいているのか?」
「それどころじゃねえ……これを見ろ。何かおかしいと思わねえか?」
立体ホログラムによって宙に映し出されたのは、一人の若者の映像だった。《アラハバキ》の成り上がりが好みそうな高級スーツに身を包んだ男が、高級外車に乗り込む一瞬を捉えた映像だった。
《京極=シリーズ》はプロジェクトそのものが廃止されたことや、二十年前に失踪したこともあって、第七陸軍防衛技術研究所に残っている京極の6番に関する情報は極端に少なく、雨宮や碓氷もこの時はじめて京極の顔を知ったくらいだ。
だが、雨宮も碓氷も諜報に所属しているだけあって、一度見た顔と名前は決して忘れない。脳内にインプットした《京極=シリーズ》の詳細なデータと目の前の映像を照合する。顔立ちをはじめとする髪の色、目の色、身長、体重、各種の体型的特徴――
(なるほど……全てのデータが一致する。確かに《京極=シリーズ》の生き残りで間違いないようだな)
しかし、雨宮はすぐに何かがおかしいと違和感を抱いた。データがあまりにも一致しすぎているのだ。京極鷹臣は《京極=シリーズ》が廃止された時から、髪の毛から爪の先にいたるまで何ひとつ変化していない。皮膚にしわの一つも刻まれず、引き締まった体型にも一部の狂いも無い。
だが、そんな事はあり得ない。あれから二十年もの月日が経っているのだから。
「ちょっと待て……京極の六番が失踪してから二十年近くが経過しているはずだな? 当時、京極の六番が二十代だとしたら、四十歳以上になっているはずだ!」
碓氷も「ああ、そうだ」と神妙な顔をして頷く。
「ところが、こいつはどう見ても二十歳そこそこにしか見えない。まったく歳を取っていないし、姿形も変わっていない。ここまでくると不老不死って言葉さえチラついてくるな。いくらクローンとはいえ、あり得ない。これほど完璧な老化防止技術が可能な機関は、ただひとつ―――」
碓氷の言わんとしていることを察し、雨宮も息を呑んだ。
「まさか……京極の六番は『あちら側』についたのか……!!」
「確証はないが、その可能性を考慮するべきだろうな」
雨宮は言葉も無かった。『身内』のクローンが失踪した例は、今までもあった。斑鳩科学研究センターが陸軍に組み込まれ、第七陸軍防衛技術研究所となった時期に、混乱に乗じて何体かのクローンが失踪したと聞いている。
だが、その失踪したクローンが『連中』の手中に落ちた例など聞いたことが無い。自分の知る限り、初めての事態ではないか。
何故、『連中』は失踪した第七陸軍防衛技術研究所のクローンを手中に収めたのか。何故、このタイミングで寝返ったクローンが《監獄都市》に姿を現したのか。
深雪が京極の存在を知っていることから、両者の間に以前から接触があったと考えるのが妥当だ。その接触も偶然ではなく、何らかの目的や意図があってのものだとしたら?
それらを突き詰めて考えると、いくつかの推測が成り立つ。そのどれもが、雨宮たちにはひどく厄介な案件ばかりだ。
「……。分かった。この件は次の定期報告で仙波少佐にも報告しておく」
京極鷹臣が何を考えているのか、『連中』が何を企んでいるのか、今の時点では分からない。ただ一つ明らかなのは、たとえ《京極=シリーズ》の生き残りであっても『裏切り』は許されない。
第七陸軍防衛技術研究所で創られたクローンは、全てが機密情報の塊だ。遺伝子やDNAといったゲノム情報はもちろん、細胞の一片たりとも奪われてはならない。そういった情報漏洩を未然に防ぐことも陸軍特殊武装戦術群の重要な任務の一つだ。クローンが敵勢力の手に渡った場合は、『機密』を守るために速やかに廃棄処分しなければならない。
つまり、裏切者のクローンである京極鷹臣は始末されなければならない。雨宮と碓氷にもいずれその命令が下されるだろう。
もはや六番に腹など立てている場合ではない。表面化していないだけで、この《監獄都市》でも着実に事態は動きつつある。
それを悟り、雨宮たちはにわかに緊張感に包まれるのだった。
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