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第十一話 生き残った者たち
雨宮や碓氷たちと別れ、東雲探偵事務所を出た深雪は、琴原海とともに紅家の集落へと向かった。集落は連日にわたって工事の喧騒や働く人々の活気に包まれ、それもあってか再建のスピードも速い。海は目を丸くする。
「わあ……かなり進んできましたね! 何もなかった場所をここまで再建しているなんて」
海の言う通り、開発は一度始まると凄まじいスピードで進んだ。《収管庁》の本間を紅家の集落に連れて来てから一か月。《東京中華街》には遠く及ばないものの、一つの街が出来上がりつつあった。
「琴原さんが協力してくれたおかげだよ。公的機関に提出する書類って、複雑でややこしいものが多いからさ」
海は深雪と同じ時期に《監獄都市》に収監されてから、ずっと東雲探偵事務所で事務経験を積んできた。そのため面倒な書類の作成や煩雑な手続きも、手際良くスピーディーにこなしてしまう。海の協力が無ければ、書類提出の時点でかなりの時間と手間を取られ、そのぶん復興も大幅に遅れていただろう。
海は嬉しそうに顔を綻ばせた。
「そう言っていただけると嬉しいです。《監獄都市》に強制的に連れて来られて、辛いことやショックなこともあって……外に出られなくなった私を東雲探偵事務所は事務員として置いてくれました。だから今度は私が誰かの力になれたらって……ずっとそう思っていたんです」
「琴原さん……」
最初は追い詰められ、荒んでいた紅家の人々も、復興が進むにつれて落ち着きを取り戻しつつあった。険悪だった空気は和らぎ、人々は明るい表情で労働に勤しんでいる。
その頃合いを見計らって、深雪は海やオリヴィエなど協力してくれそうな人々に声をかけて、紅家の集落に連れて来た。紅家の人々だけでは再興が間に合わないと判断したからだ。厳しい冬を迎えようとしている今、人手は多ければ多いほど良い。
神狼も連日のように集落に通っている。最初の頃に比べると紅家の家人の反発も少なくなったとはいえ、依然として両者の間には距離がある。それでも神狼は諦めることなくやって来て、本間の送迎や大工仕事に黙々と励んでいる。その辛抱強さは深雪も舌を巻くほどだ。それほど彼の意思は固いのだろう。
その真新しい集落に足を踏み入れると、海がふと顔を上げた。
「あ……何だか良い匂いがしてきましたね。中華料理の香ばしい匂い!」
同時に海のお腹が「グゥゥ」と鳴る音が聞こえてくる。なかなかに大きい音に、さすがに聞こえないふりはできなかった。
「えっと……お腹空いてきたね」
深雪はフォローのつもりで口にするが、海はよほど恥ずかしかったのだろう。耳まで真っ赤にして若干、涙目になっている。
「はわわ……い、今のは聞かなかったことにしてください!」
「わ……分かった。それより……紅家の人たちもちょうどお昼みたいだね。俺たちも行ってみよう」
「でも……良いんでしょうか?」
「大丈夫だと思うよ。今では食材も入ってきてるし、俺や神狼、本間さんもよくお昼をご馳走になるから」
それから二人で集落の中心部へ向かった。そこにはひと際大きなイベント用テントが張られており、煮炊きする湯気や煙が上がっている。巨大テントの下では調理用のガスコンロや炭火用コンロ、調理台や水がめが整然と並べられており、その中をチャイナ服を着た数十人もの人々が慌ただしく動き回っている。
その集団の中によく知る人物の顔があり、深雪はさっそく近づいて声をかける。
「火矛威!」
「深雪、来てたのか」
火矛威は給仕班に交じって中華鍋をかき混ぜたり、具材を切ったりと忙しくしている。大声が飛び交うテントの中、深雪は負けんばかりに声を張り上げて火矛威に尋ねる。
「今日のメニューは何なんだ?」
「餃子のスープに中国式拉麺、ニラ卵の餡かけ、肉まんだよ。なにしろ大人数だからな。といっても、俺はまだアシスタントだけど」
そう答えつつも火矛威は笑顔だった。
(火矛威……だいぶ表情が明るくなったな)
火矛威をこの集落に誘ったのは深雪だ。火矛威はもともと《レッド=ドラゴン》の前身である《九尾狐》の一員だったから、天若や紅家の古株は火矛威の顔を覚えており、さほど抵抗なく受け入れてくれた。
(真澄が死んでしまって……火矛威はずっと元気がなかったもんな。火澄ちゃんの話ではひどく塞ぎ込んで、食事や睡眠も十分に取れてないみたいだった。「覚悟はしていた」と本人は言ってたけど……真澄の死で一番ショックを受けたのは間違いなく火矛威だ)
人手不足で協力者が必要だったこともあるが、深雪は何より火矛威に元気になって欲しかった。火矛威は一時期、酷い顔をして頬も痩せこけ、真澄の後を追って死んでしまうのではないかと心配になるほどだった。
一人でいたら真澄のことをあれこれ思い出し、考え込んでしまうだろう。だから少しでも気分転換になればと、火矛威を誘って紅家の集落に連れて来たのだ。今のところ、深雪の目論見は成功しているようだ。火矛威は飲食店を経営していた経験を買われて、料理スタッフに回されたらしい。
料理の匂いに誘われたのか、集落に散らばっていた紅家の人々も続々と集まってくる。その中には天若や雨杏の姿もあった。天若は深雪たちの姿を認めると、真っ先に近づいてくる。
「あら。いらっしゃい雨宮さん、琴原さん!」
「天若さん、雨杏さん」
「こんにちは」
「今日もわざわざ来てくださってありがとう。おかげでどうにか冬が越せそうだわ」
「そうですか……良かったです。俺たちも安心しました」
深雪が答えると、隣に立つ海が雨杏に尋ねる。
「雨杏さん、先日お話されていた医療品はどうですか? 届きましたか?」
「ええ。ただ量はもう少し必要だと思います。それから……できれば《中立地帯》の医療従事者や医療施設との連携を深めたいです。お年寄りや子ども、妊婦さんもいますから」
「それなら俺に伝手があります。石蕗診療所というゴースト専門の医療施設で、そこの先生はとても信頼できる人です」
「本当ですか? 是非、お話を聞かせてください!」
雨杏の表情もずいぶん穏やかになった。二か月前――《中立地帯》に逃れてきたばかりの頃は慣れない生活に気を張り詰め、やつれているようにも見えたのに、今はごく自然に笑顔を見せている。
「まあまあ、みんなまずはお昼にしましょう。やる気があるのはいい事だけど、腹が空いては何とやらと言うでしょ?」
天若の声かけで、深雪たちは紅家の人々に交じって食事を取ることにした。天気も良く、冬にしては温かい日であるため、屋外の食事でも苦にならない。けたたましい工事音が途切れ、集落は束の間、長閑な空気に包まれる。
昼のご飯時が過ぎると、再び街は喧騒に包まれた。
雨杏と医療連携について細かく話し合うという海を残して、深雪は神狼とともに《収管庁》へ本間を迎えにいく。
本間は最初こそ頼りない印象だったが、紅家の支援に尽力してくれた。聞けば《収管庁》に配属されてまだ日が浅いらしい。長官である九曜計都は不慣れな新人に体よく仕事を押しつけたつもりだろうが、かえってその事が幸いしたと深雪は思っている。《監獄都市》での経験が浅いおかげで、本間はこの街に偏った先入観や悪印象を抱いてないからだ。
当初こそゴーストに恐怖心や警戒心があったものの、実際に紅家の人々と交流をはじめると、そんな事はどこかへ行ってしまったらしい。知識が無いが故に偏見も無いのだろう。それも開発を加速させる一助となった。
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