第十一話 生き残った者たち

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 本間とともに集落に戻ってきてから、深雪たちは天若(ティエンルオ)を交えて話し合いを行った。それが終わると再び本間を《収管庁》へ送り届ける。そこからUターンして紅家の集落に戻ってきた頃には、もう日が傾きかけていた。  深雪が集落の片隅で一息ついていると、そこに火矛威(かむい)が近づいてくる。仕事上がりなのだろう。昼間の白い厨房服から普段着に着替えていた。 「深雪、お疲れ」  そう言って両手に持っていた紙コップの片方を手渡してきた。中には琥珀色(こはくいろ)をした茶が注いであり、独特の香りが漂ってくる。 「火矛威……ありがとう。すごくいい香りだな。何ていう茶なんだ?」 「ジャスミン茶と緑茶、プーアール茶のブレンドだよ。物資が足りない中、茶葉まで手に入れる余裕は無いみたいでさ。手元にある複数の茶葉を混ぜて使っているらしい」 「詳しいんだな」 「紅家の人たちがいろいろ教えてくれるんだ」    そう言って火矛威は深雪の隣に腰を落ち着け、二人は並んで手元のお茶に口をつける。あちこち駆け回って冷え切った体に温かいお茶が染みて、深雪はほっと息をついた。 「これ……美味いな」 「そうだろ? 俺……実はキッチンカーの夢を諦めてないんだ。復興の手伝いがてらに本格中華の作り方を学ばせてもらってる。具材の切り方や火の通し方、香辛料の配合の仕方とか早く覚えて、火澄にも食べさせてやりたいよ」  火矛威の娘・火澄(かすみ)は、紅家の新しい集落には一度も足を運んでいない。彼女は《東京中華街》動乱の元凶になった存在だ。決して本人が望んだわけではないが、火澄がスキャンダルの発端となり、結果として紅神獄が亡くなったことを考えると、紅家の人々が火澄を歓迎することはないだろう。  そもそも天若(ティエンルオ)や一部の幹部はともかく、紅家の家人の多くは火澄が轟鶴治(とどろきかくじ)紅神獄(ホン・シェンユイ)の隠し子であることを知らないし、火矛威が火澄の育ての親であることも知らない。火矛威もあえて明かす必要は無いと判断し、黙っているのだろう。 「……練馬(ねりま)の新居、手放したんだってな?」  深雪が尋ねると火矛威は力なく笑った。 「ああ。もともと俺たちの身の丈に合った物件じゃなかったし、真澄が死んでしまった以上、維持できる保証もない。幸い、立地が良いからすぐに買い手がついたよ」 「それが良いかもしれないな……」  深雪は頷きつつも、内心ではそれだけが理由ではないと思った。あの家は大事な娘を誘拐した黒家に住所が割れているから、いつまた命を狙われてもおかしくない。それにあの家は紅神獄(真澄)の支援があって購入したようなものだから、どうしても紅神獄(真澄)のことを思い出してしまうのだろう。 「ところで火澄ちゃんは元気にしてる? 最近、あまり話ができてなくてさ」 「火澄は元気だよ。俺の前ではそう振舞っているだけかもしれないが……」 「俺の前でもそうだよ。真澄のことも冷静に受け止めているし、俺たちを心配させないよう気を遣って……思っているよりずっと大人だよな」 「不甲斐(ふがい)ないのはむしろ俺の方だ。真澄の死が受け入れられなくて、未だに立ち直れないでいる。何だか信じられないんだ。真澄が……あいつが死んでしまったなんて。今もどこかで生きているような気がして……!」  火矛威はそう言うと、うつむいて声を詰まらせた。深雪も胸の奥がきりきりと締めつけられ、鼻の奥にツンと鈍い痛みが走る。紅龍芸術劇院が火の海と化す中、息絶えた黄鋼炎(ホワン・ガイエン)とともに舞台に残る決断した真澄の姿が、まざまざと脳裏に甦ってくる。  火矛威は真澄の最期に立ち会うことができなかった。だから余計に実感が沸かず、苦しんでいるのだろう。 「そんなことはない! 火矛威は火澄ちゃんを助けるため、真澄を救い出すため、戦場と化した《東京中華街》に乗り込んだんだ。なかなか立ち直れないのは俺も同じだ……」  夜、薄暗い部屋に一人でいると、つい考えてしまう。あの時の決断は間違ってなかったのだろうか。ほかにもっと良い選択肢はなかったのだろうかと。答えの出ない問いばかりが、幾度となく頭の中をぐるぐると駆け巡るのだ。 「あの時……紅龍芸術劇院に残るという真澄の意志を本当に尊重して良かったのか。第三ホールに置き去りにせず、無理矢理にでも連れ出せば良かったって。だって俺も……本当は真澄に生きていて欲しかったから!」 「深雪……」 「今はさ、忙しくしている方が楽なんだ。あれこれ考えなくて済むから。現実逃避かもしれないけど……」  廃墟のビルの向こうに日が隠れ、あたりが夕闇に沈み込むにつれ、紅家の新しい集落の家々にぽつりぽつりとささやかな火が灯ってゆく。  その灯火のひとつひとつに、誰かの家族があり、誰かの暮らしがあり、誰かの人生があるのだ。そのあたたかな光景を見ていると、深雪は何だか泣きたいような気持になるのだった。  《ウロボロス》時代の仲間だった真澄の死を、深雪も火矛威も一生忘れることはないだろう。しかし、どれだけ絶望に打ちひしがれ、悲嘆に暮れようとも、残された人間は生きていかねばならない。  それは紅家も同じだ。当主を失い、家人の三分の二を失いながらも苦汁の道を歩いて行かねばならないのだ。  深雪が紅家のために動き回っているのは、六道に命じられたからでもなく、紅家の悲惨な境遇に同情したからでもない。真澄という共通する大切な人を失った悲しみや苦しみ―――そこに彼らとの繋がりを感じたからだ。  真澄が残そうとしたものを、彼女と共に歩んできた人を、真澄を意志を受け継いでくれる人々を守りたい。真澄が生きていればしていたであろうことを、せめて深雪も引き継ぎたかった。  それを聞いて火矛威も頷いた。 「俺もだよ。家に一人でいたら気が塞ぐばかりだけど、少しでも役割が与えられて、誰かに必要とされると、俺も頑張らなきゃっていう気持ちが湧いてくる。……声をかけてくれてありがとな、深雪」 「俺も……火矛威がいてくれて良かったよ」  深雪と火矛威は顔を見合わせ、少しだけ笑った。  真澄のことを覚えている者がいて良かった―――深雪は心からそう思った。『紅神獄』を覚えている者は大勢いるけれど、『式部真澄』のことを覚えている者はごくわずかだ。『紅神獄』はあれほど《監獄都市》中に名を馳せたというのに、『式部真澄』のことは誰も知らない。  それが真澄の選んだ人生とはいえ、残された者としてはやはり複雑だ。こんな寂しいことがあって良いのだろうかと。  だからこそ、火矛威がいてくれて良かったと深雪は思う。一緒に彼女の死を(いた)み、思いを馳せる者がいる。それだけで、この胸に穴が空いたような虚しさが少しだけ(なぐ)められるような気がした。真澄を失った痛みを分かち合えるのは、もう火矛威だけなのだ。  真澄を失った喪失感は、そう簡単に癒えることはないだろう。それでも互いに辛い心の内を打ち明けることで、少しでも立ち直るきっかけになればいい。  だって真澄が欠けてしまった今も、深雪たち三人は大切な仲間なのだから。  
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