第二話 深雪とロボ②

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 深雪は北斗政宗(ほくとかさむね)としっかり話がしたいと思いつつも結局、その機会を持つことができなかった。  ただ一度だけ、深雪は彼に―――ロボに声をかけたことがある。  あれはゴーストに対する世間の嫌悪や憎悪が極限にまで膨らんで、その影響を受けてか《ウロボロス》の雰囲気もますます険悪になりはじめ、他チームとの対立や抗争も激しくなっていた頃のことだ。毎日が肌を刺すような緊張感に満ちていて、一瞬の判断ミスが大きな事故に繋がりかねない。そんな危うい時期だった。  十二月に入ったばかりのその日、深雪はカラオケ店・《ピアパルク》の外を歩いていた。街頭の大型ビジョンは連日のように、昼のワイドショーが取り上げるゴーストの特集を映し出している。中でもゴーストがアニムスを使って起こした暴力沙汰を槍玉(やりだま)にあげ、糾弾の声を上げていた。 『みなさんご存知だと思いますが、ゴーストにはアニムスがあります! 中には当然、平気で社会に害を成す者もいる! 一説にはゴーストの犯罪指数は一般人のおよそ五倍になるそうじゃないですか! 政府は何故、これを放置しているんでしょうね? あまりにも情けないですよ、国民の命を守る気があるんでしょうかね!?』  中でも特に過激な発言をして衆目を集めているのが、ちょうど画面に映し出されている『神楽坂(かぐらざか)ゆうと』というコメンテーターだ。小柄で人当たりが良さそうな、いかにも上品な雰囲気の中年男性だが、見かけに反して舌鋒(ぜっぽう)鋭い批判をする。そのギャップが世間やマスコミにウケているらしい。今やありとあらゆる番組で引っ張りだこだ。 『……今はまだいいですよ。ゴースト犯罪は単独犯が圧倒的に多いですからね。でも、これからも安心とは限りません! ゴーストが徒党を組み、束になって牙を剥けば、我われ一般人は太刀打ちできませんよ! それどころか警察組織でさえ抑え込めるかどうか……現に東京の一部では半グレと化したゴーストの若者があちこちで問題を起こしています! 恐ろしくて街を出歩けませんよ! このままでは社会が分断され、どんどん尊い命が失われてしまう!! 大問題です!!』  神楽坂ゆうとの煽り立てるかのような主張に反し、東京の街はいつも通り穏やかなものだった。ただ、大型ビジョンを見ていた観光客と思しき中高年の女性グループが、「東京って怖いわねえ」、「世の中、物騒になったものね」、「私たちの老後は大丈夫かしら」などとのん気な会話を交わしている。  いろいろとうんざりした深雪は人通りの少ない裏道を選んで歩くことにした。  その先で深雪は偶然、ロボを見つけた。いつものように耳に大型のイヤーマフをしているので、すぐに気づいたのだ。ロボは深雪に背を向け、デニムのポケットに両手を突っ込み、猫背のまま足早に歩いていく。その様子から察するに、京極から何か用事でも言いつけられたのだろうか。こちらにはまったく気づいていない。  深雪は何とかして険悪になるばかりの《ウロボロス》の状況を改善したいと思っていた。少しでも解決の糸口を掴みたかったし、実際、できることは何でもしていた。その大半は空振りに終わっていたが、それでも「まだできることはあるはずだ」と諦めていなかった。  焦りや危機感が日を追うごとに大きくなり、このままでは何か良くないことが起こってしまうのではないか。そんな不吉な予感があった。  幸いロボは一人で歩いていて、近くに京極の姿はない。二人で話をするには絶好の機会だ。深雪はさっそく北斗政宗を追いかけ、後ろから声をかけた。 「ロボ!」 「……! 雨宮さん……」  大きなイヤーマフをしていても深雪の声はしっかり届いたらしい。北斗は少し驚いた様子で足を止め、こちらを振り返った。 「偶然だな。《ピアパルク》の外で会うのは初めてだっけ。こんなところで何しているんだ?」 「いえ……別に……」 「ひょっとして……京極に何か命令されたのか?」  「……」 「無理してあいつに従わなくてもいいんだぞ。あいつは……京極は、お前のことを使い勝手のいい駒くらいにしか思っていない。利用するだけ利用して、用が済んだら捨て去る……それが京極の本性なんだ! 忠誠を誓ったところで、いつかは裏切られる。だから手遅れになる前に……」  すると北斗政宗は、感情の宿っていない無機質な目を深雪へ向ける。  何を考えているのか分からない、虚ろな瞳。まるで何百年も放置されてきた真っ暗な井戸の底を不用意に覗き込んでしまったようで、深雪は思わずぎょっとしてしまう。  北斗はそんな深雪の胸中を見透かしたかのようにポツリと口にした。 「……知ってますよ」 「え……?」 「京極さんにとって俺は手下ですらない、便利な駒の一つでしかないことも。ただ利用されているだけで、用済みになったら呆気なく始末されることも。全部分かってます」 「だ……だったら何で!」 「俺は別に優しくされたくてこのチームにいるんじゃないんで。そういうの、最初から期待してないんで」  何かを突き放すような、あるいは拒絶するような―――静かだがきっぱりとした口調だった。 「チームとか仲間とか……別にどうでもいいです。そんなもの、安心を得たいがための意味のない空手形(からてがた)にすぎない。それに俺はあなたと違って《ウロボロス》がそれほど良いチームだと思っていないし、特別な思い入れもありません。……興味が無いし、期待もしない。他人に過剰な願望を抱くなんて愚か者のすることだ。ただ京極さんは何かと分かりやすく指示を出すから、従っているだけです」  深雪は混乱した。北斗政宗の主張だと、彼は《ウロボロス》に嫌々いて、信頼しているわけでもない京極の命令に従っていることになる。何故、そんな選択に行きついてしまうのか。北斗の考えがまったく理解できない深雪は、つい疑問を口にしてしまう。 「それなら何故、《ウロボロス》に……? 他にもチームはたくさんあるし、ロボに合うチームだってあるんじゃないか?」 「《ウロボロス》に入ったのはたまたまです。比較的、入りやすいと聞いたので……それだけですよ。他に理由はありません。俺が邪魔ならいつでも出て行きますけど」 「ち……違う、そうじゃない! そういう事が言いたいんじゃないんだ! ただ俺はちゃんと君と話がしたくて……!!」  ところが深雪が歩み寄ろうとすればするほど、北斗政宗の瞳は冷ややかになっていく。理解できない相手なら、どうにか理解できるようになりたい。そんな情熱を抱いている深雪に対し、北斗政宗は明らかにコミュニケーションを拒んでいた。  近づこうとすればするほど遠のいていく。一体、どうすればいいのか。深雪が困惑している間も、氷のように冷たく暗い彼の眼差しは、ますます不信感を募らせていく。 「……。俺は別にあなたと話をしたいと思ったことはありません。それで何かが変わるとも思えないし、変えたいとも思わない。何をしたって、どうせ何ひとつ変わりはしないんだ。人と人は永久に理解し合えない……だったら極力、無駄なことはしない。それが賢明ってものでしょ」 「ロボ……」 「もういいですか。俺、まだ用事があるんで。失礼します」  ロボはそう言うと(きびす)を返し、一度も振り返ることなく立ち去っていった。深雪は呆気にとられ、その後ろ姿をただ見送るしかなかった。  北斗政宗との会話はそれがすべてだった。  北斗が本音を口にしていたかどうかは分からない。彼がどういう人物で、何を考えていたのか、深雪は最後まで掴めずじまいだった。北斗政宗は深雪との間に見えない壁を築いて、それを一歩も越えさせてはくれなかった。  ただ一つだけはっきりと伝わったのは、彼がこの世のありとあらゆるものに失望していて、た自暴自棄(じぼうじき)になっているようにも見えた。  北斗は何故そこまで深雪を拒絶するのだろうか。自分の何が原因で、彼を頑なにさせてしまったのだろう。そもそもの話として、互いに嫌うほど深雪は北斗を知っているわけではないし、北斗も同じだったはずだ。だからこそ余計にわけが分からない。  何より何故、北斗政宗はあんなにも鬱屈(うっくつ)して、厭世的(えんせてき)なのだろう。自分はそんな彼にどう接すれば良かったのか。そんな疑問と後悔ばかりが深雪の胸に渦巻いている。  北斗政宗の態度は《ウロボロス》のメンバーに対しても一貫していた。ほとんど喋らず、無表情で無反応。当然、他のチームメンバーとも疎遠で、彼はいつも一人だった。京極の命令には大人しく従っていたが、かと言って京極が北斗に特別に目をかけていた節は無い。京極にとって北斗はあくまで何人もいる手下の一人に過ぎなかった。  北斗政宗にとって、《ウロボロス》とは何だったのだろうか。彼にとって深雪はどういう存在だったのか。固い殻の中に心を閉ざした北斗は、本当は何を思っていたのだろう。  北斗政宗が東雲六道と名を変え、深雪の前に再び現れた今も謎のままだ。
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