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第二十八話 長部への反撃③
長部は狂気じみた笑みを浮かべ、深雪へ突っ込んでくる。
「ククク、身の程知らずが! 己の力量を思い知れええぇぇ!!」
長部は柔道三段だと豪語していたが、頭に血が上って周りが見えていない。片や深雪はこの一か月、暇を見つけては陸軍特殊武装戦術群の剣崎玲緒と手合わせをしてきた。長部が柔道の有段者だと知ってからは、再戦に備えてその対処法にも力を入れてきた。
(剣崎にくらべれば長部の動きは単純で遅い。おまけに激昂して冷静さを失っている……これならアニムスを使わなくたって勝てる!)
深雪は頭の中で冷静に剣崎のアドバイスを反芻する。
『相手の動きをよく見て。肝心なのは初手と足の運び。真正面から抗うのではなく、相手の力を利用し、受け流す。焦らず、集中して……一瞬のチャンスを逃さないで』
深雪の体は嫌というほど叩き込んだ動きをなぞる。長部の袖を掴み、襟元を掴むと、膝を屈伸させて長部の体の下へ潜り込む。そして一瞬のタイミングで体の向きをくるりと変えると、膝を伸ばしつつ長部の体を投げ飛ばした。
「ぐぇあっ!!」
まさか投げ飛ばされるとは思いもしなかったのだろう。長部は呆気なくひっくり返って地面に背中を打ちつけた。何が起きた理解できず、仰向けに寝転がったまま目をぱちくりさせている。
それを見たストリート・ダストたちは一斉に失笑を漏らした。
「うわ、ダサ……」
「おい……長部って全然大したことねーじゃん。口先だけか!」
「自分より小さい相手に軽々と投げ飛ばされてよ。クソ弱ぇな」
「マネジメントとやらも満足にできねえし、無力で無能なのはどっちだよ」
「あんなのを信用して金を払ってたかと思うとガッカリだわ!」
投げ飛ばされた衝撃で冷静さが戻ったのか、長部は顔を真っ赤にする。ただ、その顔を赤く染め上げるのは怒りではなく羞恥だ。
「ぐっ……!! く、くそっ! ちくしょう!!」
慌てて半身を起こし深雪を睨みつける長部の前に、シロと神狼が立ちはだかる。
「まだやるつもり!?」
「言っておくガ、深雪と違っテ俺たちは手加減しないゾ!」
さらに背後からは別の声がする。
「よう、俺も混ぜてくれや。そいつにはストリートの仲間がさんざん世話になってるからな。たっぷり『お礼』をさせてもらおうじゃねーの。なあ……長部?」
ただでさえガタイのいい九鬼が、指の関節をバキボキ鳴らしながら詰め寄ってくるのだ。その迫力たるや凄まじいものがある。
「な……何だよ、てめえら! 揃いも揃って馬鹿じゃねーのか!? やってらんねーよ!! てめえら全員クソだクソ!! マジざけんなよ!!」
長部はとうとう悪態をつきながら逃げ出した。言葉こそ威勢がいいものの、内心では勝ち目がないと諦めたのだろう。《死刑執行人》やストリート・ダストに取り囲まれて己の悪行を糾弾されたばかりか、仲間にも裏切られたのだ。
おまけに心の底から見下していた深雪相手に醜態を晒しては、恥ずかしくて長居できないのだろう。
それを見たストリートダストたちはワッと歓声を上げる。
「ざまあみろ、卑怯者め!!」
「あ~、胸がスッとしたわ!」
「ははは、見ろよあいつの後ろ姿!」
「無様だな、まったくいい気味だ!!」
これで長部の悪行が無かったことになるわけではないが、彼らの顔には一矢報いてやったという達成感に満ち溢れていた。さんざん虐げられ、搾取されてきただけに、この『勝利』が誇らしいのだろう。
ストリート・ダストたちにとって、この勝利は大きな価値がある。ただ悪者を懲らしめただけではない。奪われた尊厳の回復を意味しているのだ。
シロは長部が完全に見えなくなったのを確認してから、《狗狼丸》を鞘へ収めつつ深雪の元へ駆け寄ってくる。
「ユキ、すごい! カッコよかったよ!」
そう声をはずませながら、我が事のように喜んでくれる。
「まあ、少しは剣崎に投げられ続けた甲斐があったかな」
長部に負ける気はなかったが、あれほどきれいに背負い投げが決まるとは思わなかった。剣崎玲緒は強く、彼女を相手にしている時には実感できなかったが、着実に実力がついているのだろう。
一方で《百花繚乱,S》の最上は緊張の糸が切れたのか、長い溜め息を吐く。
「はあぁぁぁ……! どうなる事かと思った……!!」
「最上もお疲れ。よく頑張ったよ。協力してくれて……俺たちを信用してくれてありがとな」
「いえ……お礼を言うのは僕たちほうです。もし雨宮さんに声をかけてもらわなかったら、延々と長部に強請られるところだった」
神狼は納得がいかないのか、長部が逃げ去った方角を睨みながら毒づく。
「フン……あんなまどろっこしい事せずニ、アニムスでぶっ倒してやれバよかったんダ!」
「もしアニムスを使えば、長部は『やっぱり《死刑執行人》は恐ろしい連中だ』って喧伝しただろう。それが分かっていながら《ランドマイン》を使うのも馬鹿らしいなって。でも……そのせいで神狼には嫌な役をさせてしまって悪かった」
いくら演技とはいえ、長部のような奴に脅され、頭を執拗に小突かれたのだ。いい気分はしなかっただろう。
「それハ構わないガ……よく分からない事ニこだわるんだナ。まア、お前らしいと言えバお前らしいガ」
そう言って神狼は呆れながらも表情を緩める。そこに今度は九鬼が近づいてきた。深雪たちの会話を聞いていたらしく、肩を竦めて言う。
「やれやれ、噂に聞く東雲探偵事務所の《死刑執行人》とは思えねえほど、のん気なやり取りだな」
「九鬼も協力してくれてありがとう」
「ま、ちょっとした暇つぶしみてえなもんだ。大したことじゃねえ」
深雪はマリアや神狼の力を借りつつ長部の被害者を探し出し、彼らから丁寧に事情を聴いて情報を集めていったのだが、中でも九鬼は大きな助けとなった。
ストリートの事情はストリートで生きる者が一番詳しい。また《死刑執行人》を信用しないストリート・ダストも、九鬼には心を開くケースは多かった。九鬼の協力なくして、今回の作戦は成功し得なかっただろう。
九鬼はサングラスを外しながら言う。
「でもな、あんたのやり方はぬる過ぎる。長部みたいな奴は、ほとぼりが冷めた頃を見計らって悪さを繰り返す。その度に対処していたんじゃキリがねえ。赤神なら、もっと徹底的に締めつけただろうな」
確かに、これで長部が大人しくなるとは限らない。深雪の邪魔をすることは減るかもしれないが、人目につかない場所で巧妙な手口を使い、ストリー・ダストから金銭をむしり取ろうとするだろう。
「九鬼の言う問題点は分かってる。それでも俺は、長部に奪われた金を取り返すことを優先したかったんだ。この街に来たばかりの若者が働いて稼ぐことがどんなに大変か、俺も分かっているつもりだからさ」
深雪は《死刑執行人》としてのプライドよりも、《百花繚乱,S》を始めとする長部から被害を受けたチームの救済を優先したかったのだ。それを聞いた九鬼は驚いたように目を見開く。
「つくづく変わり者だな……。あんた、《死刑執行人》に向いてないんじゃねえのか?」
「あはは、よく言われるよ」
深雪は笑いながら答えると、九鬼もつられたように白い歯を見せる。ストリートダストたちも、どこか晴れ晴れとした表情をしていた。
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