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そんな流星も、東雲探偵事務所で人間関係を築く中で、戸惑いを覚えるようになっていた。
(復讐のために俺自身が犠牲になるのは構わない。なんだったら命すら捧げてみせる……! だが……俺の復讐のために何の関係も無いシロや深雪、神狼やマリアを巻き込んでいいのか? オリヴィエや奈落に負担をかけて、それでいいのか……!?)
私情を優先し、無責任で身勝手な振舞いをするなど、指揮官にはあるまじき行為だ。現場の指揮を任されている身として、流星はそんな自分を許すことができない。
《進化兵》と交戦した際に犯した『判断ミス』の原因も、突き詰めればそこにあると思っている。
あの時、真っ先に深雪を助けに行くと言い出したのは奈落だ。流星たちはそれに引き摺られる形で賛同し、後に続いた。いわばその場の空気に流されたともいえる。
深雪の救出そのものは、所長である六道の強い意向もあったし、過ちだとは思っていない。だが、指揮官としてあの場の主導権を握ることができなかったのは、致命的な失敗だ。
その判断ミスの根底には、流星の抱き続けている迷いがあった。
そんな流星の迷いを見越してか、所長である│東雲六道はある提案をしてきた。流星を西京新都の警視庁本部に新設されるゴースト部隊に推薦するというものだ。
ちょうど深雪が次期所長になるという話が浮上したタイミングで持ちかけられたため、最初は体のいい厄介払いかと思ったが、すぐにそうではないと判明する。
深雪がこの街に来る前から、六道はその話を用意していたのだとマリアが教えてくれたからだ。
おそらく六道は深雪とは関係なしに、その推薦話を流星に持ちかけるつもりだったのだろう。流星の性格には《死刑執行人》より、そちらが向いていると判断して。
(所長の心遣いは有り難いと思う。この街を離れ、新しい生活を始めれば、いずれ恨みも復習も忘れ去って、心穏やかに過ごせる日が来るのかもしれない。そんな人生も悪くはないのだろう……)
だだ今の中途半端な状態で、逃げるように西京新都へ向かうことに流星は納得できない。そんな事をしてしまえば、ずっと心残りや後悔を引きずって生きることになる。
(……俺は逃げた。復讐にも、月城にも、自分自身にも。ただ目を背けて逃げ出すことしかできなかった……と。そんな無力感と虚無感に苛まれながら、その後の人生を送るなんて、それはそれで生き地獄じゃねえか……)
流星は大きく溜め息をつく。ここでも迷いが邪魔をして、自分が進むべき道を決められないでいる。生きる目標や信念を喪失してしまったら、何を拠り所にすればいいのか。体は順調に回復しているものの、心は何かが壊れてしまったまま、立て直すことができずにいる。
こんな状態では月城に再会したとして、復讐を果たせるのだろうか。そもそも月城と再会する日など来るのだろうか。考えれば考えるほど憂鬱になってくる。
ぼんやり考えこんでいると、背後でドサッと荷物の落ちる音が聞こえてきた。
右の手元を見下ろすと、提げていたはずのビニール袋がなくなって、数歩後ろに落ちている。右手の感覚が戻らず、落としたことにも気づかなかったのだ。流星は再び溜め息を吐く。
(感覚が鈍いな……痛みもまだ残っているし、細かい動作が難しい)
《進化兵》に攻撃を受けた右手は骨や筋肉、神経にいたるまで破壊され、回復に時間がかかるという。現代医療では筋肉や骨のみならず、神経すらも再生可能なため、流星の腕は元通りになるとの見込みだ。それでも傷が十分に回復しない中で新たに負傷すれば、元に戻らない可能性もあるという。
(当分は大人しくしてろってことか。もし銃も扱えなくなるなら、最悪の場合、《死刑執行人》も続けられねえかもしれねえな……)
ともかく落とした荷物を回収しようと、ビニール袋に手を伸ばしたところ、誰かが横から手を出し、先にその袋を拾って流星へと手渡してきた。
「ああ、どうも……」
ビニール袋に気を取られ、相手の顔を見ていなかった。普段であれば、気配を感じさせず接近してきた相手に強い警戒心を抱いただろう。だが、この時は判断力が鈍っていたとしか思えない。
「赤神か。久しぶりだな……生きていたか」
聞き覚えのある、低く通る声。恐ろしいほどの抑揚のない、独特の喋り方。流星は弾かれたように顔を上げ、袋を手渡す男の顔を凝視した。
「つ……月城……?」
薄い唇に細い鼻梁。目もすっと細く、鋭利な印象を与える顔立ち。無表情であるせいか、何を考えているか分からない不気味さがある。身の丈は流星と同じほどで、細身ではあるものの引き締まった体躯をしている。
これといった特徴のない容姿だが、それ故に間違えることもない。人はみな何かしらの特徴を持つのに、ここまで無個性な人間もそうはいない。
「俺を覚えていたか。まあ、外見的な変化はほとんど無いからな。……お前は少しやつれたな、赤神。《死刑執行人》になったんだろう? お前の性格にはあまり向いてないんじゃないか?」
まるで古い顔馴染みに挨拶するかのような口振り。流星の仲間を数分にも満たない間に皆殺しにした、凶悪な殺人鬼とは思えない。少なくとも、本人からその自覚は微塵も感じられない。
ただ、その声と姿はまごうことなき月城響矢だ。国立競技場跡地で出会った月城ではない。警視庁ゴースト対策部の機動装甲隊の第一班で共に勤務した、流星のもっともよく知る月城響矢。
流星は震える声で問いを口にした。
「月……城……? お前本当に月城なのか……?」
「当たり前だろう、他の何に見える? お前、本当に大丈夫か、赤神?」
「……!!」
こいつは俺の探していた本物の月城響矢だ―――そう判断した瞬間、流星は脇のホルスターに差したハンドガンに手を伸ばし、瞳に赤い光を灯していた。安定するまでアニムスを使うな―――そんな医師の忠告など吹き飛んでいた。月城をこの手で殺す。その事しか考えられなかった。
ところが流星がハンドガンの銃把を握った瞬間、月城は懐に踏み込んできた。迷うことなく手を伸ばし、ハンドガンを握った流星の手首を掴む。
わずか一瞬の出来事だ。月城は驚くほどするりと間合いを詰め、最低限の動作で流星の動きを封じてしまった。
流星は月城の手を振り払おうとするものの、びくともしない。流星の体力が落ちていることもあるが、月城の腕力のほうが強いのだろう。あげく、自由が効く左手も抑えられてしまった。
「くっ……!?」
「やめておけ。右手はまだ完治していないんだろう? おまけに今のお前は頭に血が上っている。そんな状態で銃を扱うなと警察学校で教わらなかったか? アニムスにしても、使えばダメージを被るのはお前の方だぞ。冷静な自己分析もできないのか?」
「だ、黙れ!! 警察学校だと……!? どの口がそれを言うんだ!!」
「だから落ち着けと言っているだろう。俺も、今日はお前とやり合うつもりは無い」
「なに……!?」
「だが、治り切っていない右手で背後から撃たれては堪らないからな。これは一応、預かっておく」
そう言うと、月城は流星の手からあっさりとハンドガンをもぎ取ってしまう。
簡単に武器を奪われた流星は、苦虫を噛み潰したような思いだ。アニムスも使えず、体も回復してない状態で反撃しても、おそらく競り負ける。これでは復讐を果たすどころではない。
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