第三十二話 流星の決意③

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 一方、流星と別れた月城は《新八洲(しんやしま)特区》にある裏通りに姿を現した。  夜には酔っぱらった《アラハバキ》の構成員や風俗関係者、ストリート=ダストでごった返し、賑わいを見せる繁華街だが、まだ黄昏時(たそがれどき)ということもあってか人通りは少ない。  そんな中、建物の影から忽然(こつぜん)と浮かび上がった月城は、ある店舗の裏口へと足を踏み入れる。看板には《エスペランサ》とあり、ストリート=ダストに人気のカジノ店だ。  《エスペランサ》は若い層にターゲットを絞っているせいか、カジノ店というよりゲームセンターのような気安い雰囲気を漂わせている。SF作品に出てくる秘密基地を思わせる内装が若者に受けて、ずいぶん繁盛しているらしい。  ただ、奥に広がるビップルームは一転して高級志向で、一枚扉を隔てた先には大理石の床や品格の漂うゲーム台や椅子など豪奢(ごうしゃ)な空間が広がっている。  月城はピップルームへ続く廊下を横切ると、バックヤードにあるカジノオーナーの部屋に向かった。ドアは閉まっていたが、アニムスを使って影化すると、他の誰にも気づかれぬようドアの隙間からするりと中へ入る。  店長室に侵入して実体化したところで、声をかけられた。 「遅かったな、月城」 「京極……」  そこにいたのは京極鷹臣(きょうごくたかおみ)だった。  京極は《エスペランサ》の責任者(カジノ・マネージャー)で、老若男女に好感を持たれそうな端正な顔立ちをしており、その身を包む張りのあるスーツも、これ以上ないくらい似合っている。だが、その瞳はぞっとするほど冷え冷えとしていた。  この男と知り合って何年になるだろう。これまで幾度も手を組み、目的を遂行してきたが、月城は今でも時おり、得体の知れなさを感じることがある。ただ、京極とは目的や利害の一致によるビジネスライクな協力関係にある。そういった意味では、つき合いやすい相手ではあった。  その京極は部屋の中央を占めている値の張りそうな高級ソファに足を組んで腰かけ、口元に葉巻を運んでいた。突然、姿を現した月城に驚きもせず、見透かしていたように柔和な笑みを向けてくる。 「この街に戻って早々に『古い友人に会いに行く』と言うから驚いたが……再会は楽しめたか?」 「ああ、向こうも俺を覚えていた。元は警官だったが、今は《死刑執行人(リーパー)》になっていた。少し……雰囲気が変わっていたな。もっとも、俺の記憶はあまり当てにならないが」 「赤神流星(あかがみりゅうせい)だろう? 《進化兵》との戦闘で死んだかと思ったが存外、しぶとく生き延びたな。運の強い男だ。おおかた《進化兵》の詰めが甘かったのだろうが……」 「仕方があるまい。彼らもこの時期は動き辛いだろう。中国も日本側の過度な反発は望んでいないし、日本側も中国との対立は避けたいと考えている。ただし……日本の場合は事を構える体力が無いだけだが。そういった意味では今後、国内の軋轢(あつれき)は激しさを増してくるだろうな」  月城が指摘すると、京極は紫煙をくゆらせつつ、その整った唇の端を「にい」と吊り上げる。 「そこに我々の付け入る隙も生まれる……というわけだ」  この《監獄都市》には《アラハバキ》や《レッド=ドラゴン》、《収管庁》の他にも、さまざまな勢力が暗躍している。どんな勢力がどのような思惑を抱え、どのように動こうとも、月城たちの目的を果たすために利用するだけだ。  月城はさっそく抑揚(よくよう)のない声音で尋ねる。 「さて、俺は何をしたらいい? 『彼』は何と?」  すると京極はかすかに苦笑を漏らす。 「そう慌てるな。計画はすでに実行段階へ移行しつつある。すぐに目が回るほど忙しくなるさ」 「……」 「俺たちが動けば、必ず東雲探偵事務所の《死刑執行人(リーパー)》も出てくる。これからいくらでも『旧友』に会えるぞ。何せ東雲の《死刑執行人(リーパー)》は、俺たちにとって最大の敵になると言っても過言じゃないからな」  京極の声はいつになく弾んでいるような気がした。月城とはまた違った意味で、京極が本心を表に出すことはない。誰もが(とりこ)になるほど魅力的で人懐こい微笑を浮かべながら、腹の底では常に策謀(さくぼう)を巡らせているのだ。  だが、今回に限っては京極が高揚しているのが月城にも分かった。東雲探偵事務所の《死刑執行人(リーパー)》と剣を交えることを誰より喜んでいるのは、京極自身だろう。 「そうか……ともかく順調なら何よりだ」  月城が淡々と答えると、京極は洒落た灰皿に葉巻の灰を落としつつ、不意にこちらへ視線を向けた。 「……赤神流星の件は聞いている。お前が陸軍を抜ける際に大量の警官を殺した、その濡れ衣を着せられたんだろう? 月城、お前は何故、奴を殺さなかった。純粋な疑問なんだが、生かしておく利点(メリット)は何ひとつ無いだろう?」   月城は改めて記憶を辿ってみるものの、やはり答えらしい答えは導き出せなかった。 「赤神にも同じことを尋ねられたよ。だが、その記憶はもう俺の中に残っていないんだ。……お前はどう思う、京極? お前が俺と同じ状況に置かれたとして、どんな理由があれば相手を生かすことにする?」  それは月城の「純粋な疑問」だった。自分以外の人間であれば、同じ状況でどんな判断を下すのだろうと。質問を向けられた京極は、うっすらと目を細めた。 「そうだな……面白くなりそうな時、だな」  「面白い……?」 「こいつを生かしておいたら後々、面白いことになる。俺を退屈させることなく、さぞ楽しませてくれるだろう――とな。そんな未来が視える時だな。直感のようなものだが、つまらない奴に俺の勘は働かない」 「今まで……お前が『面白そうだ』と思えた奴には巡り合えたのか?」 「二人いる。そのうち一人は《レナトゥス》の保持者となり、残る一人は《中立地帯の死神》になっている」 「ほう?」  自分以外はどうでもいい京極が関心を寄せる相手。月城は少しだけ興味をそそられる。 「《死神》は今も昔もそれほど興味はないが……斑鳩(いかるが)の暗黒期を生き延びたんだ。俺が思うよりは見どころのある奴だったんだろう」  月城は目を見開く。感情が乏しいながらも、さすがに驚きを禁じ得ない。 「それはすごいな。第七陸軍防衛技術研究所に組み込まれるまでの数年間、あの研究所は倫理的に問題のある研究を多数、強行していたからな。それを言うなら、俺たちも斑鳩の暗黒期を生き延びたわけだが……」 「だから俺は《死神》が斑鳩科学研究センターへ送り込まれるよう仕向けてやったんだ。その場で殺すこともできたが……地獄を味あわせるために、わざと生かしたのさ」  そう言うと京極は喉の奥で「くく」と笑った。まるで楽しくて仕方がないというように。 「(むご)いことをする」  月城が思わずつぶやくと、京極は紫煙の向こうで、そのガラス玉を思わせる瞳に、人とは思えないほど冷やりとした光を放つのだった。 「そこは主観の違いというやつだ。自分が与えられた幸せの上に、どれだけ胡坐(あぐら)をかいてきたか……それを知らずに生きるほうが、よほど(むご)いと思うがな」 「……」  それから京極は柔和な微笑を口元に浮かべつつ、月城に告げる。 「話を戻すが……《レナトゥス》の保持者と《中立地帯の死神》は俺たちが戦っていく相手だ。それぞれ真反対の性格で、まさに水と油のようだが、俺を打倒するために手を組むことにしたらしい。『敵の敵は味方』というやつだな。健気な話じゃないか。どうだ……少しは『面白い』だろう?」 「……。その感覚は俺には分からないが、理解できるよう努力しよう」  素直に感想を述べると、京極はおかしそうに声を上げて笑った。 「お前のその真面目なのか天然ボケなのか分からないところは、相変わらずだな」  葉巻の火を灰皿で揉み消しつつ、京極は続ける。 「もうじき《アラハバキ》御三家の一角、上松組・組長の上松将悟(うえまつしょうご)がこの世を去る。その時が開戦の合図だ。最初に仕掛けるのはこのチーム……《グラン・シャリオ》だ」  京極が腕輪型端末を操作すると、宙に《グラン・シャリオ》の勢力図と主なメンバーの個人情報、そしてチーム紋章(エンブレム)が浮かび上がる。 「《グラン・シャリオ》……確かフランス語で北斗七星か。洒落た名前だな」 「そうだろう? 『北斗』という意味のチーム名から標的(ターゲット)にしようと決めた。《中立地帯の死神》となった北斗政宗と《レナトゥス》の保持者、雨宮深雪―――あいつらへの宣戦布告にはぴったりだ。……気を引き締めておけよ、月城。きっとすぐに『面白く』なる」  京極は口元に微笑を湛えているが、その笑みは狩りに挑まんとする獣のように獰猛な気配を帯びていた。待ち詫びていた時が来たことが、よほど嬉しいのだろう。どこか満ち足りた顔にも見える。  月城にはその感覚がよく分からない。自分が赤神流星に抱いている執着と似たようなものだろうかと想像してみるが、もっと歪んでいる気もする。  だが、感情が欠落した自分が言えた義理ではないと黙っていた。京極が何を考えていようと、ビジネスパートナーとして目的が果たされるならば、あれこれ口出しするつもりは無い。  その時、マネージャー室の扉がノックされる。 「京極さん、店の経営のことで相談しておきたいことがあるのですが……」  京極は月城に小さく片手をあげる。身を潜めていろという合図だ。そこで月城は影となり、マネージャー室の物陰に身を沈めた。  店長(マネージャー)室を訪ねたのはカジノ店のゲーム・マネージャーだ。年若いものの仕事は確かで、京極は彼を重用していた。  ゲーム・マネージャーが京極と打ち合わせをする声を聞くともなしに聞きながら、月城は考えた。  最近は人の姿を保つより、影でいるほうが楽になってきた。自我を保っていられるうちに、赤神との決着をつけられるだろうか。  自分が何故、赤神流星と決着をつけたがっているか、その理由は定かではない。ただ彼と決着をつけなければならないと、使命感にも似た想いが(いわお)のごとく居座っている。  理屈など、どうでもいい。動機すらも、とうの昔に失われてしまった。それでも自分は何があっても赤神流星と戦わねばならないのだ。  その執着だけが、月城を人間(ヒト)たらしめていた。
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