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第三十三話 真夜中の訪問者①
長部の一件を片付けてから一週間後。
深雪は紅家の集落へ足を運んだり、抗争の鎮圧に向かったりと、相変わらず忙しい日々を過ごしていた。もう少しで大晦日、それから正月がやって来る。
《監獄都市》で祝い事は十分にできないものの、それでも年中行事は大切にされており、街はすっかり年末の空気だ。荒廃しきった《監獄都市》で暮らさざるを得ない人々も、そういった行事を通して少しでも季節感を味わいたいのだろう。
深雪も日常業務の合間にしめ飾りや鏡餅、門松など手配してシロや海らとともに飾りつけをしたり、事務所の大掃除をしたりした。
その日も慌ただしい一日だった。午前中は紅家の集落へ足を運び、午後からは長部から被害を受けたチームの頭――《百花繚乱,S》の最上たちと九鬼の会合があったので深雪も参加した。あれから最上たちは大きなトラブルに巻き込まれることもなく、何とかチーム運営を続けているという。特に九鬼のアドバイスは参考になると喜んでいた。
その後、新たに抗争を起こしたチームの様子を見に行き、報告書にまとめる。ようやくひと息つけたのは、夜になってからだった。
シャワーを浴びるや否やどっと疲れを覚え、早く寝ようと自室に戻ったところで、例の地鳴りのような低音が響いてきたのだった。
《―――オオオン、オオオオオン》
強風が吹きすさぶ音にも似ているが、それとは少し音質が違う。
「……まただ。また《関東大外殻》が啼いている……」
この慟哭にも似た音は日を追うごとに頻度を増し、激しくなる一方だ。最初はただ気味が悪いだけだったが、最近は耳を傾けていると、胸を締めつけるような物悲しさを感じるようになった。
おそらく、深雪は知ってしまったからだろう。《関東大外殻》も自分たちと同じゴーストだと。
(エニグマは言っていた。《関東大外殻》はゴーストだと。それってどういう意味なんだ……? どう見ても《関東大外殻》は人とは思えないけど、それでもゴーストと言えるのか?)
深雪は《監獄都市》が《死刑執行人》のいない街になるべきだと思っているが、それには凶悪犯ゴーストを抑止する手法が確立されることが最低条件だ。何ら抑止策がないまま《死刑執行人》だけ廃止にしてしまえば、この《監獄都市》は凶悪なゴーストが跋扈する無秩序な街に成り果ててしまう。
下手をすると《死刑執行人》がいた時と比べ物にならないほど治安が悪化するだろう。それこそ六道たちが体験したような阿鼻叫喚の地獄が復活してしまう。だから《死刑執行人》を無くすためには、犯罪者ゴーストが法で裁かれることが大前提だ。
それも一個人が苦渋の策として編み出した非公式の法ではなく、立法府に制定され、明文化された法によって。
そのためには《ゴースト関連法案》を廃止し、ゴーストも人であると公に認められる必要がある。同時にゴーストが《関東大外殻》に閉じ込められ、外界から隔離されている状況も変えなければならない。
だから、深雪は《関東大外殻》を無くすべきだと考えてきた。たとえ問題があったとしてもゴーストと人が共存する――そんな世界を目指すために。
だが『《関東大外殻》もゴーストである』というエニグマの言葉が正しいなら、事はそう単純ではない。
(……そもそもゴーストって何なんだ? 何故、俺たちにアニムスがある……? これまでゴーストが誕生する理由は謎とされてきたし、アニムスは『ゴーストの魂の具現化』だなんて言われてきたけど、それは違う。どちらも科学的根拠があるはずなんだ)
そうでなければ《進化兵》や《雨宮=シリーズ》のように、バイオ技術で複数のアニムスを宿すゴーストを生み出せるはずがない。ゴーストもアニムスも、生物学や生物工学、遺伝子工学といった科学で解明できるのだ。
(それなら、どうして『魂の具現化』なんて説がまかり通っているんだ? まるで本当の情報が隠されているみたいだ……)
情報ネットワークが高度に発達したこの時代、ゴーストやアニムスに科学的根拠があるなら、何らかの手段で知ることができるはずだ。
だが、未だにゴーストは謎の存在のままだ。何故、ある日突然、人間がゴーストになるのか。すでに科学的根拠が解明されているにもかかわらず、その原因は何ひとつ明かされてはいない。おそらく意図的に隠されているのだ。
深雪には、それが人とゴーストの間に大きな摩擦を生んでいる一因に思えてならない。誰だって、どんな危険を孕んでいるかも分からない正体不明の存在と、共生などしたくない。
全ての元凶は、必要な情報が全ての人に明かされていないせいではないか。
深雪が物思いに耽る間も、《関東大外殻》の慟哭は繰り返し聞こえてくる。まるで何かを呼んでいるかのように。
(……。少し外に出てみようか)
《監獄都市》の夜は体の芯が凍えるほど冷え込む。深雪は厚手のコートを上から羽織り、マフラーを首に巻いた。たまたま通りすがったアパレルショップで見つけたもので、目の覚めるような鮮やかな萌葱色が気に入って購入したのだ。
階段を上がって事務所の屋上に出ると、吐いた息が途端に真っ白になる。吹きつける風がとても冷たい。ふと見上げると、雲ひとつない夜空には満天の星が輝いていた。空気が澄んでいるせいか、一つ一つの星がくっきりと見える。
まるで頭上から降り注ぐかのような、圧倒的な星々の煌めき。
「うわあ、すごいな……」
深雪は思わず声に出してつぶやいていた。すると屋上の暗がりから不意に声をかけられる。
「こんばんは。良い夜だね」
「……!」
まさか誰かがいるとは思わなかった深雪はとっさに振り返り、暗がりにじっと目を凝らす。
やけに小柄な人影が、ゆっくりとした足取りで近づいてくると、屋上のライトにその姿が照らし出される。
十歳くらいの少年だろうか。金髪に灰色がかった青い瞳。陶器のような白い肌。黒いスーツの下には黒いタートルネックを上品に着こなしている。
ただ、妙に落ち着いた物腰のせいか、幼いという印象は受けない。着こなしも妙に洗練されており、どこか作り物めいてすら見える。明らかに薄着なのに、平然としているのも違和感がある。
彼はいったい何者なのだろう。《監獄都市》の子どもにしては、らしくないが。
少年は深雪から三メートルほど離れたところで足を止めた。
「ええと……君は? ひょっとしてオリヴィエの知り合いかな?」
少年の容姿から孤児院の子どもかと思ったが、まったくの見当違いだったらしい。少年は鷹揚な仕草で両手を後ろ手に組み、静かに首を横に振る。
「僕の名はジョシュア。ジョシュア=コクマー=シェパードというんだ。コクマーとは知恵を指す。つまり僕の名は、《知恵》を司る者という意味を持つ」
「そ……そうなんだ」
少年の口調は堂々として淀みがない。まるで長い時を生きてきた賢者のような風格すら漂っていて、どう見ても普通の子どもとは思えない。
深雪が面食らっていると、ジョシュアと名乗った少年はいきなり問いかけてきた。
「君は雨宮深雪だね?」
「……そうだけど」
「正確にはオリジナルから数えて六番目の『アマミヤ・ミユキ』――《雨宮=シリーズ》の№6だ」
「……! どうしてそれを……君は何者だ!?」
総毛だって身構え、後ずさりする深雪を、少年は片手をあげて制す。
「警戒しなくていい。僕は君の敵ではない。もっとも……今のところは、だがね」
「《雨宮=シリーズ》のことを知っているなんて、明らかに普通じゃないだろ!」
これまで深雪の素性を知る者はいたが、第七陸軍防衛技術研究所に縁のある者や、《進化兵》のような特殊な立場の者。いずれも非常に強い力を持つゴーストばかりだ。
だが、少年は相も変わらず静穏さを湛えて告げる。
「普通じゃない……か。確かにその点は正しい。だからと言って、僕が君に害を成すと決めつけるのは、正しい判断とは言えないのでは?」
理屈の上ではそうだとしても、彼が怪しいことに変わりはない。警戒を募らせた深雪は反射的にコートのポケットへ手を突っ込んだ。しかし、そこにビー玉はない。屋上へ出るだけだからと手ぶらで来たのだ。
―――これは不味い。冷え冷えとした外気にさらされているのに、緊張から冷や汗が頬を伝っていく。
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