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ところがその時、《関東大外殻》から地響きのような重低音が聞こえてきた。《関東大外殻》から離れているにもかかわらず、振動が全身に伝わってくる。
深雪はびくりと体を震わせる。屋外で聞くと一層、その『声』には迫力があった。
その声に耳を傾けながら少年はつぶやいた。
「……悲しい声だ」
「……! 君にもあれが『声』に聞こえるのか?」
意外に思って尋ねると、少年――ジョシュアは頷いた。
「あの声を耳にするたび、どうにかしてやりたいと思うが……あれはもう、僕たちでさえどうすることもできないんだ」
超然とした少年の顔に、わずかに苦悶の影が射す。その表情がひどく「人間臭く」感じられて、深雪の心は大きく揺れ動いた。
このジョシュアという少年は《関東大外殻》に哀れみの感情を抱いている。彼は他者の悲しみや苦しみに共感できる存在なのだ。ただ者でないのは確かだが、害意があると決めつけるのは時期尚早なのかもしれない。
深雪は警戒を解きつつ、慎重に尋ねる。
「……。俺に何の用?」
するとジョシュアは元の泰然とした表情に戻ってしまう。
「そうだね、さっそく本題に入ることとしよう。ただ、残念なことに面会できる時間はあまり残されていないんだ。今はまだ我々の動きを《王国》のジョシュアに悟られるわけにはいかないからね」
(『マルクト』……って何だ?)
知らない単語だが、今はそれより確認しておかねばならない事がある。深雪はさらに質問を重ねた。
「……君の目的は俺の《レナトゥス》か?」
深雪が最も気になるのは、その点だ。これまで深雪に接触してきた相手の多くは《レナトゥス》を目的としていたからだ。
「答えはYesであり、Noでもある。確かに君に接触した目的は《レナトゥス》だが、それを望んだのは僕ではない。《知識》のジョシュアだ」
「《ダアト》……?」
「システムである僕たちにとっての『神』だよ」
「……? 俺には何のことだかさっぱり……」
戸惑うばかりの深雪だが、ジョシュアは構わず歩み寄ってくる。今や彼我の差は一メートルほどだ。
「《知識》の審判は僕たちにとって絶対だ。《知識》は無数の可能性の中から常に最適解を算出する。僕たち十柱のジョシュアはそれに基づいて、人類にとって有益な未来を選択し、行動する。僕たちはこの世界を統べる最高位のシステムであり、人類をより高次の存在へと導いていく使命と義務を課せられているんだ。君に会いに来たのもその一環だよ。君はただ……ありのまま『彼』に接すればいい。あとのことは全て《知識》が判断してくれる。分かったね?」
ジョシュアはほとんど一方的に告げると、突如として灰青色の瞳に赤い光をほとばしらせる。
「!! ゴースト……!?」
深雪は迂闊だったと内心で舌打ちをする。思えば事務所は隅々までマリアが監視カメラで見張っているし、陸軍特殊武装戦術群の雨宮マコトたちも警護に当たっている。彼らの目をかいくぐって屋上に現れるなど、よほど高位のゴーストでもなければ不可能だ。
ジョシュアを目にした瞬間、ゴーストだと想定すべきだったのだ。
だが、気づいた時にはもう遅い。少年の瞳に赤光が閃き、場の空気が一変した。それまで頬を撫でていた夜風がぴたりと止まり、《関東大外殻》の啼く声も聞こえなくなると、まるで防音室に入ったかのような無音の暗闇に包まれる。
そこへ上空から幾筋もの星の光が、流星群のように尾を引いて降り注いできた。星々は深雪の体や建物にぶつかっても透過して、地面の下へと吸い込まれるように落下してゆく。その光景はただ美しく、まるで雄大な星の流れに身を委ねているかのような心地だ。
あまりにも荘厳な光景に、宇宙空間に放り出されたような感覚になる。
(これはいったい……?)
この状況をつくり出したのは間違いなくジョシュアだ。彼はいったい何をしたのか。何をしようとしているのか。
見るとジョシュアの金髪の髪は逆立ち、風も無いのにゆらゆらと揺らめき、大きく見開かれた瞳はチカチカと高速で赤い光を灯している。そして両手を体の脇にだらんと垂らしたまま、身動ぎもせず、表情すら動かさない。
先ほどの人間味は完全に失われ、まるで自我を持たない精巧な人形のように、ただ深雪を凝視していた。
深雪は何か言い知れぬ感覚が全身を走り抜けるのを感じた。恐怖、戦慄、動揺。それらを煮詰めたような感覚に我知らず、指先がカタカタと震えはじめる。今まで何人ものゴーストと対峙してきたし、想像を絶するような力を秘めたゴーストもいたが、目の前の少年はいずれとも違う。
他の追随を許さないほどの、圧倒的な存在感。
「き……君は……?」
ジョシュアのまとう雰囲気は一変している。姿形は変わらぬまま、全くの別人になったように感じるのは、決して深雪の思い違いではない。ジョシュアは先ほどまでのジョシュアではない。それでは彼は一体何者なのか。慎重に尋ねると、怖ろしいほど抑揚のない返答が戻ってきた。
「我々はあなた達である。あなた達もまた我々である」
深雪は面食らう。まるで禅問答のようだ。何が何だか、わけが分からない。ただ一つ分かるのは、《知恵》と名乗ったジョシュアとは人格が違うことだけだ。
「もう少し俺にも分かるように説明して欲しいんだけど……君はいったい何者なんだ?」
深雪が問いかけると、やはり機械音声のような声音で少年は告げる。
「我々の名はジョシュア=ダアト=シェパード。だが、その名は一般的ではない。あなたたち人類は我々を《アペイロン》と呼んでいる」
「《アペイロン》……?」
「限りなき者、無限定なる者という意味だ」
これも深雪の聞いたことの無い言葉だ。《知恵》、《知識》、そして《アペイロン》。それらにどういった繋がりがあるのか。どれが本当の『彼』なのか。
深雪が首を捻っていると、《知識》は無機質な声音で語り始める。
「我々は遠い世界から来た。あなた達の単位で表すと、12万光年離れた時空の彼方だ。そして長き旅の果てに、我々はあなた達と奇跡の邂逅を果たした」
「12万光年……? って……まさか地球外!? 宇宙の果てから来たってことか!?」
深雪の記憶では、銀河系の直径がおよそ10光年だったはずだ。《知識》の言うことが本当なら、彼らは銀河系の外からはるばるやって来たことになる。あまりにもスケールが大きすぎて、実感が沸かない。
ところが深雪の当惑など気にも留めず、《知識》は淡々と話し続ける。
「我々にはあなた達が必要だった。何故なら、我々は単独では自己を複製できないからだ。我々には代謝機能が備わっておらず、他生物の細胞に代謝を依存せざるを得ない。さらに我々が遺伝子を増殖するためには、他生物の細胞を介する必要がある。そのためにも、あなた達という『器』が必要だった」
「まず我々は、あなた達と相互に利益を得られる関係の構築を目指した。我々はあなた達を介して自らの増殖と進化を加速させる代わりに、あなた達に身体機能を拡張させる力を与えた。地球上の生命の進化では決して手に入れることのできない、超越的な力を。あなた達はその力を《アニムス》と呼ぶようになった」
「……!! 何だって……!?」
突然、馴染みのある単語が出てきて深雪は瞠目する。深雪たちが宿しているアニムスと《知識》――いや、ジョシュアたちには深い繋がりがあるのだ。
にわかには信じられない。いや、それが本当だとしても、何故、深雪に教えるのか。
「その時点での我々はタンパク質と核酸で構成された極小の構造体にすぎず、自立思考が可能なほどの知能は獲得していなかった。ただ宿主であるあなた達の中で、『本能』に従って自己複製と自己増殖を繰り返すだけだった」
「つまり……俺たちにアニムスが宿るようになったのは君―――いや、君たちが原因なのか?」
「そうだ」
「君たちにとって人類は宿主……つまり、君たちは俺たちに寄生しているのか?」
「広義の意味では寄生も含むが、より的確な表現を用いるなら『感染』が妥当だろう」
「感染……!? 細菌やウイルスと同じ?」
「我々が人類に接触した初期には、宇宙性ウイルス粒子、もしくは地球外来病毒因子と呼ばれていたこともある」
「宇宙ウイルス……」
「その後、一部で《アペイロン》という名が定着した」
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