第三十四話 真夜中の訪問者②

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 ところが《知識(ダアト)》は赤眼を瞬かせて「我々に近づくな!」と鋭く叫ぶ。 (……!? か……体が動かない……!)   《知識(ダアト)がアニムスを使ったのか、首はおろか、指先ひとつ動かすことができない。とっさに《ランドマイン》を使おうと試みるも、手足が動かせないのでそれもできない。  深雪を襲った異変はそれだけではなかった。突如、全身にドンと弾かれたような衝撃が走り、深雪の体は後方へと大きく吹っ飛んでしまう。そのまま屋上の柵にぶつかる寸前で急ブレーキをしたかと思うと、今度は上下左右に体が激しく振り回される。 「うわああぁぁぁぁぁあああああああ!!」  事務所を遥か下方に見下ろすほどの高所に引っ張られたかと思えば、地上すれすれまで急降下し、再び事務所の屋上へと戻ってくる。フワッとした浮遊感のあとに、ズンとした重力が圧し掛かってきて、内臓がひっくり返りそうだ。見えない力にもみくちゃにされるも、為す術もなく翻弄(ほんろう)されるしかない。  さんざん乱高下に振り回された後、深雪は首元をギュッと掴まれ、《知識(ダアト)》の真上で宙吊りにされてしまった。全身が金縛りにあったかのように動かず、手も足も出ない。 (これも全部アニムスか……! この少年はいくつアニムスがあるんだ!?)  《知識(ダアト)》は指一本たりとも動かさず、その瞳に赤い閃光を放つだけで、まるで息をするようにアニムスを駆使する。深雪をオモチャのように振り回して、動きを完全に封じてしまうが、それらはあくまで片鱗(へんりん)に過ぎない。  先ほどから奇妙に感じていた。夜中に屋上でこれだけ騒いでいるのだ。誰かが気づいてやって来そうなものだが、東雲探偵事務所の《死刑執行人(リーパー)》はおろか、陸軍特殊武装戦術群の面々までも、誰ひとり姿を現さない。普通ならあり得ないことだ。  だが、すべてこの少年のアニムスだと考えると納得がいく。  誰にも気取られず、屋上に姿を現したこと。宇宙空間のようなフィールドを展開する能力。そして『この世界を統べる最高位のシステム』を自認していることを(かんが)みても、深雪に見せていないアニムスをまだまだ隠し持っている可能性は高い。  彼がどれだけのアニムスを持っているのか、想像すらできない。 (く、苦しい……! 何とかこの状況を脱しないと……!)  辛うじて口は動くようだ。深雪は体を捻って息を吸うと、《知識(ダアト)》に問いかけた。 「き……君は、俺を殺したいのか……?」  「……」 「違うだろ? だって……君がその気なら、とっくに手を下しているはずだ。実際、君にはその力がある。最初に《知恵(コクマー)》と名乗った時の君は、『《知識(ダアト)》は僕たちにとっての神だ』と言っていた。神様なら何だってできて当たり前だ」  《知識(ダアト)》はさんざん深雪を弄んだものの、命に関わるほどのダメージは与えなかった。たとえ致死性のアニムスを使わなくとも、深雪を地面に叩きつけるだけで目的は達成される。《知識(ダアト)》は赤子の手を捻るより簡単に、深雪の息の根を止めることができたのだ。  それなのに少年は実行しなかった。おそらく、深雪を殺すことが《知識(ダアト)》の目的ではないのだろう。  すると《知識(ダアト)》は若干、強張った声音で答える。 「その認識は正しいが正確ではない。我々は『最高位』ではあっても、全知全能の神ではない。何故なら我々にも未知は存在するからだ」  ―――未知。それを聞いた深雪はふと思った。 (ひょっとして……彼は俺と《レナトゥス》を恐れているのか……?)  誰だって未知のものは怖い。深雪も最初はジョシュア=シェパードという少年に強い警戒感を覚えた。いや、ジョシュアだけではない。どんなアニムスがあるか分からないゴーストは、正直に言って今でも怖い。  《知識(ダアト)》にとっても、それは同じなのかもしれない。 (でも……怖いだけじゃないはずだ。彼は俺のことを知りたがっているし、きっと自分のことも知って欲しいと思ってる。だからこそ、こんなにも雄弁に語っているんだ。残念なことに、俺にはその半分も理解できないけれど……)  それに気づくと、深雪も《知識(ダアト)》に興味が湧いてきた。  はっきり言って不気味な少年で、無表情な顔と抑揚のない喋り方のせいで機械(アンドロイド)みたいだと思ったけれど、時おり見せる感情の揺らぎが、どうしようもなく人間臭く感じられる。  何より《知識(ダアト)》は迷っているような気がした。顔に感情が表れないので推測でしかないが、深雪を危険視する一方で、敵対したいわけでもないのだろう。《知識(ダアト)》にとって深雪は未知であり、恐怖と興味をかき立てられる対象なのだ。  そうであるなら、まず彼と対話してみたかった。 「言いたいことはいろいろあるけど……とりあえずアニムスを解いて、屋上に降ろしてくれないかな」  宙ぶらりんの状態では落ち着いて話もできない。深雪はそう頼んでみるが、《知識(ダアト)》はその意を図りかねているのか、無反応だ。 「俺も君と話をしてみたい。君もそのためにわざわざここまで来たんだろ?」 「……」  《知識(ダアト)》の赤い光を放つ双眸が、じっと深雪へ向けられる。深雪を観察しているのか、それとも試しているのか。あるいは―――深雪の言うことを信じるべきか否か悩んでいるのか。   しばらくすると深雪の体は降下をはじめ、屋上の床に足の裏がつくと同時に、全身の拘束が解除される。そのはずみでバランスを崩しそうになった深雪は、両足に力を入れてどうにか踏み止まった。  《知識(ダアト)》の真意は、その表情からは窺い知ることができない。けれど拘束を解いたということは、彼にも深雪と対話する意思が少なからずあるのだろう。  深雪はようやく人心地がつくと《知識(ダアト)》に向かって語りかけた。  「せっかく話してもらって申し訳ないんだけど……俺、君の話を半分も理解できていないんだ。《アペイロン》とか宇宙性ウイルス粒子とか、存在すら知らなかったし。君の言う『互恵関係』も理解できなくはないけど……実感はない。そもそも君が何者なのか、俺にはまだ分からないんだ」  ジョシュアの表情からは、その内心を窺い知ることはできない。それでも深雪は言葉を続ける。 「でも、それは君も同じだと思う。俺は君たちに危害を加えるつもりなんて無し、《レナトゥス》を悪用するつもりもない。でも、俺に《レナトゥス》が宿っている以上、それをどう使うかは俺の意思次第ってことになる。少なくとも君たちにはそう見えているんだろう。だから、俺のことをすぐに信じてもらうのは難しいのかもしれない」 「……」 「だからさ、また会おうよ。これで終わりにするんじゃなく、互いが納得するまで何度も会おう! 君は俺のことを知りたいと思っているんだろ? 俺も君のことが知りたいんだ。だから……俺たち友達になろう!」  そう言って深雪は右手を差し出した。《知識(ダアト)》は驚いたのか、深雪の右手を凝視している。 「俺たちは友達になる時、まずは握手するんだ」 「……知っている」 「ほら、大丈夫! もし俺がアニムスを使ったら、ぶっ飛ばしていいから!」  《知識(ダアト)》は深雪の顔と右手を交互に見つめた。赤光の灯った双眼からは何の感情も読み取ることはできないが、深雪の手と顔を見比べる動作からは、彼が躊躇(ちゅうちょ)しているように感じられてならなかった。  数秒ほど硬直していた《知識ダアト》だが、やがて右手を伸ばし、慎重に深雪の右手に重ねる。握手に慣れていないのか、その動作はとてもぎこちない。  その時、深雪は初めて気づく。彼の手がびっくりするくらい冷たいことに。考えてみたらコートやマフラーで防寒している深雪にくらべて、《知識(ダアト)》はあまりにも薄着だ。 「手が冷たくなってるね。風邪を引いたら大変だ。良かったらこれを使って」  そう言って深雪は萌葱色のマフラーを外し、《知識(ダアト)》に首にかける。深雪の行動が想定外だったのか、《知識(ダアト)》はされるがままだ。 「これで少し暖かくなるといいんだけど」 「……」  《知識(ダアト)》は変わらず無表情だが、戸惑いのあまり放心しているようにも見える。何と反応したものか、困っているのかもしれない。  彼はただ用心深そうな動きで、萌葱色のマフラーにゆっくりと触れる。その仕草はどことなく、ふんふんと匂いを嗅ぐ子犬や、前足でつつく子猫を思い起こさせた。いすれも未知に直面し、何なのか確かめようとしている時の反応だ。  指先でつまんでみて、しげしげと検証し、ようやくただのマフラーだと納得したらしい。《知識(ダアト)》は小さくつぶやく。 「……我々はこれまで多くの人類(ヒト)と接触し、対話を重ねてきたが、友達になろうと言ったのは、あなたが始めてだ」 「じゃあ俺が友達第一号だ」  深雪はそう答えて破願した。《知識(ダアト)》は何かを言おうと唇を動かす。
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