第四話 紅家の苦難

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 深雪も最近、知ったのだが、《監獄都市》で流通している食料や資材、生活用品にはあらかじめ制限が設けられている。ゴーストは建前(たてまえ)上、『囚人』という扱いで《監獄都市》に収監されるから、というのがその理由らしい。  それらを管理する権限を持つのが《関東収容区管理庁》―――いわゆる《収管庁》だ。  だが、《監獄都市》に送られてくるゴーストの数は年々増え続けているのに、《収管庁》の定めた物資の流通量はほとんど変わりがなく、それだけでは《監獄都市》で暮らすゴーストの生活を(まかな)うことなどできない。  その需要過多な状況を利用して《仲介屋》―――手数料を取って客に依頼された品物を《壁》の外から運び入れる仕事―――もあるにはあるが、違法すれすれの品物を取り扱うことも多いため、小規模でひっそりと行われているケースがほとんどだ。  《監獄都市》における需要と供給のバランスが(いびつ)なのに変わりはない。  そこで《アラハバキ》と《レッド=ドラゴン》には《休戦協定》で定められた規定に沿う範囲で、独自に外部との取り引きを行うことが許されている。取り引き可能な品目が限定されており、その取り引き内容をすべて《収管庁》に報告する義務などが課せられているものの、《中立地帯》のゴーストよりはよほど物資の融通が利く。  もっとも両組織がどこまでルールを遵守(じゅんしゅ)しているか、どこまで透明な取り引きを行っているか、怪しいところではあるが。  ともかく《監獄都市》の流通網に影響力を持つのは《収管庁》と《アラハバキ》、そして《レッド=ドラゴン》の三者になる。  必然的に《監獄都市》で生きていくには、いずれかの勢力の影響を受けることになる。深雪たち《中立地帯》のゴーストであれば《収管庁》の影響を受けるし、紅家であれば《レッド=ドラゴン》だ。  だが、今の紅家は《レッド=ドラゴン》を追い出され、組織的な繋がりが途切れてしまった。かと言って、これまで対立していた《収管庁》や仇敵とも言える《アラハバキ》にやすやすと助けを請うわけにもいかない。  《監獄都市》のいずれの勢力も頼りにすることができず、孤立しているが故に、足りない物資を補う手段がないのだ。  (《仲介屋》なら金と交渉次第では外の物資を《監獄都市》に運んでくれるかもしれないけど……違法同然の手段を講じて物品を運ぶからすごく時間がかかるし、彼らは個人事業か小規模経営だから大量の物資は扱えない。頼んだとしても冬までには絶対に間に合わない。《監獄都市》の冬は過酷だ。このままじゃ死者が出てもおかしくはないぞ……!)  もちろん規制の抜け道はいくらでもある。現に《中立地帯》には不正ルートで流れてきた銃器やミリタリーナイフ、爆弾が溢れているし、あちこちに武器屋もある。その数があまりにも多すぎて、警察も取り締まることができないほどだ。《監獄都市》で生きるアニムスを持たない普通の人々にも身を守る術は必要だという判断から、あえて放置しているのだと聞く。  たとえ『非合法』の流通網―――不正ルートを頼っても二千人近くもの人々の生活を支えることはできない。紅家の人々には不正ルートに接触する伝手(つて)も無いし、そもそも彼らに必要なのは食料や生活必需品であって、武器ではないのだ。  個人の力ではどうしようもないとなれば、『大きな組織』に頼るしかない。 (つまり……あとは《収管庁》に『直訴』する以外にないか)  深雪は小さくため息をついた。《収管庁》には幾度か足を運んだことはあるが、職員はアニムスを持たない普通の人々であるせいか、ゴーストに非常に冷淡な対応をする。そのため深雪は《収管庁》に苦手意識を持っていた。  しかし、紅家の人々の事情を考えると悠長(ゆうちょう)なことは言ってはいられない。深雪はさっそく天若(ティエンルオ)へ説明する。 「……お話はよく分かりました。ただ、俺たち東雲探偵事務所にも、さすがにこれだけの規模の人々の生活を支えられる力はありません。おそらく《監獄都市》の物流を管理している《収管庁》に訴えるしかないと思います」 「まあ……そうですか。けれど困りましたわね……」  天若と雨杏はたちまち不安そうに顔を曇らせたものの、深雪が懸念してたような《収管庁》に頼ることへの抵抗感は無いようだ。選り好みしてはいられないという切実な事情もあるのかもしれない。ただ、二人は《収管庁》に何の伝手(つて)も無いから、どうして良いか分からず、戸惑っているのだろう。  ただでさえ彼女たちは《東京中華街》で暮らしてきたから、《中立地帯》のことをほとんど知らない。こういった場合、どう対応したらいいのか分からないのだろう。 「この件は俺に任せてください。事務所と相談して、こちらから《収管庁》に働きかけようと思います。その方がいろいろとスムーズに事が運ぶでしょうから」  深雪が提案すると、天若と雨杏は心からほっとした表情をする。 「まあ、恩に着ますわ、雨宮さん。私たちにはこの街のことは、よく分からないことも多いものですから、そう言っていただけると助かります。本当に……あなた達だけが頼りだわ。何卒(なにとぞ)、よろしくお願いしますね」 「医療物資の件も、どうかお願いします!」  二人とも深々と深雪に頭を下げつつ、熱心に頼み込んでくる。深雪はこれまで何度か紅家の新しい拠点に足を運んでいるが、そのたびに手厚いもてなしを受けてきた。  もちろん深雪が所長の代理だということもあるが、それだけが理由とは思えない。彼女たちにとって深雪は唯一の命綱であり、それだけ切羽詰まっていることの裏返しでもあるのだ。 (紅家の人たちは俺が思っている以上に追い詰められている。一刻も早く手を打たないと大変なことになるぞ……!!)  深雪は天若や雨杏と別れて紅家の拠点から離れると、さっそく腕輪型端末を介して事の次第を所長である六道に報告することにした。  ちなみに神狼は、もう少し紅家の人々の生活を見て回りたいというので別行動を取っている。  厳しくなる寒さのせいか、六道は体調の思わしくない日々が続いていたが、不調を感じさせないほど口調はしっかりしていた。深雪の報告を聞き終えた六道はすぐに口を開く。 「……確かに早急に手を打つ必要があるな。《監獄都市》の冬は厳しい。このままでは間違いなく、紅家の家人から死者が出る。万が一のことがあれば、ただでさえ多くを失い、失意のどん底にある彼らの怒り、不安や不満は容易く《中立地帯》へ向くことになるだろう」 「それは……事と次第によっては紅家が《中立地帯》に危害を加えるかもしれないということですか?」 「可能性は捨てきれない。人は感情の生き物だからな」 「……」  深雪もまったくあり得ない話でもないと思う。神狼に対する紅家の家人の怒りや憎しみは少々、常軌を逸していた。彼らが絶望に陥った時、あの怒りや憎しみが今度は《死刑執行人(リーパー)》や《中立地帯》のゴーストに向くことにでもなれば、新たに深刻な火種を抱えることになる。六道は続ける。 「そうでなくとも、我々と彼らはこれから同じ街で、隣人として生きていくことになるのだ。そうした観点からも、無為無策(むいむさく)のままでいるのは賢明ではない。そんな事をすれば、必ず何らかの形で跳ね返ってくるだろう。対応は早ければ早いほどいい」 「紅家の人々は物資不足に(あえ)いでいます。ただ、千人近くの人々に必要な物資を調達するとなると、《中立地帯》で流通しているものだけでは足りません」 「私が《収管庁》に話を通そう。ただ、この街の物流量については国から厳しく制限がされ、変更は容易ではないはずだ。よって雨宮。お前が《収管庁》へ行き、九曜長官に面会して紅家の窮状(きゅうじょう)を詳しく説明してくれ。この事態に直接、干渉し、状況を改善させる力を持つのは《収管庁》長官の任に就いている九曜計都(くようけいと)……彼女だけだ」  やはり、それしかないのか。深雪は内心で小さくため息をつく。  こういった場合、今までは六道が積極的に動き、《収管庁》に働きかけてきた。だが、六道は寝込む日もあるほど体調が回復しきっておらず、おまけに六道の右腕である赤神流星も療養中で、現場復帰を果たせていない。そのため、紅家の生活再建に関する相談や支援は深雪に一任されてきた。  紅家の窮状(きゅうじょう)を九曜計都に説明するなら、彼らの暮らしぶりをよく知る深雪が適任だ。こうなったら好き嫌いは言っていられない。深雪はそう腹を括ると六道に返事をする。 「……分かりました。これからすぐに《収管庁》へ向かいます」
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