狐が愛した初猫は

2/8
38人が本棚に入れています
本棚に追加
/8ページ
 スマホを取り上げられたのか、以降、理美からメッセージは届かなかった。その(かん)に、俺は髪を整え、歯を磨き、クリーニングから戻ってきたばかりのスーツを着た。客用のカップはなかったが、棚にあるソーサー付きのカップを出して洗った。コーヒーの支度をする。少なくとも気の利いた男であるように、慌てず、落ち着いて、この先の会話をすべて想定範囲内に収めるためのシナリオを作る。  おそらく理美は、本人の知らぬところで婚約させられているのだろう。恋愛結婚が主流の現代でも、親の都合や見合いで結婚するケースはままある。特に上流階級に属する坂井家ならば、その程度は強要してくるはずだ。彼女から聞いた話では、父親は上昇志向が強いようで、商売も強引なやり方が多かったらしい。会社を大きくするために娘を使う。理美も俺も、そうなりかねない未来は想像していた。  年収を訊かれたら、現在一流の人間でないことはすぐに見透かされてしまう。俺の可能性すら鼻で笑われるに違いない。だからと言って、媚びを売っても無意味だ。演じるではなく誠実に、理美への一途な想いを伝えることが勝利をもぎ取る方法だろう。  外の雨が、さらに強さを増してきた。室内に雨音が響き渡り、それが静寂を鼓張して膨らんでいく。父親の趣味が分からぬ状況では、音楽を流す行為は不作法だ。一方的に絆を切ろうとする言葉の欠片を聞き逃すわけにもいかない。俺は雨音に耳を傾けながら、天上の雷雲が騒がないようにと祈った。
/8ページ

最初のコメントを投稿しよう!