38人が本棚に入れています
本棚に追加
/8ページ
「理美と別れてほしい。手切れ金は渡す。私は愛だの恋だの誠意だのに絆されたりしない。互いの利をもって円満に終わらせよう。二千万でどうだろうか」
理美が、わっと声を上げて泣き出した。俺は彼女のためにも折れない。いいえ、と首を振る。
「その程度の金で理美さんへの気持ちが薄れるわけがないでしょう」
すると彼は、
「では、四千万ではどうかな」
と訊いてきた。俺は再び、いいえと首を振った。
「先ほどのお話と整合性が取れません。あのお話が単なる自慢話になってしまいます」
理一郎氏が怪訝そうに眉根を寄せた。
「君は何が言いたいのかね。四千万なら、十分すぎる額だろう」
年収五百万にも届かない俺にとって、確かにそれは巨大な金額だ。しかし、だからと言って、簡単には引き下がれない。
「互いに利を追求するならば、貴方が痛いと思う額でなければ話になりません。貴方は出せる金額を言っている。おそらく五千万が限度と高を括っておられたのでしょう。とすると、こちらが涙を呑んで理美さんと別れるのに必要なのはその三倍。一億五千万が、互いに譲歩する最低ラインだと思います。誠意を金で表すのでしたら、これぐらいは見せていただかないと、僕は絶対に納得しません」
しばらく睨み合いのような状態が続いた。俺は決して目を逸らさない。睨み殺すつもりで彼の瞳を見つめた。理美はずっと泣いている。その内界を察すればこそ、易々たる譲歩はできやしない。
やがて理一郎氏が、一唸りし、呟くように「分かった」と言った。
「娘の幸せを、その額で買おう。但し、二度と理美に近づくな。もしもこの約束を守らなければ、私は君に然るべき痛棒を食らわす。五体満足で生きていけると思うなよ」
そして、彼は小切手に「金壱億伍仟萬圓也」と書き込んだ。苦々しく小切手帳からそれを切り離し、俺に手渡してくる。
「……本当に悔しいのは僕ですよ。でも、貴方の誠は見せていただきました」
俺はそう言って、彼に一言断り、泣き続ける理美の前に膝をついて彼女の手を取った。
「守り切れなくてごめん。……どうか幸せに。それだけを願ってる」
言ったところで理一郎氏が勢いよく立ち上がり、強引に理美の腕を掴んで部屋から出て行った。彼女の最後の言葉さえ聞けなかった。俺は荷物でも置くようにその場に座り込み、何とも言えぬ感情で少しだけ泣いた。
最初のコメントを投稿しよう!