《176》

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「黒疾風全員、馬を捨てて徒になりましょう。それで砦、いや、立花山城を攻めてやるのです」 忠が言った。どこか口調の中に投げ遣りなものが混じっていた。忠勝は声をあげて笑った。 「それはもう、完全に相手の術中だな。徒となった黒疾風など、猿の群れにも勝てぬよ」 「あのような男が本当に居るのですね」 忠が言葉に嘆息を交える。 「居そうもない男は常に、どこかに居る」 言って忠勝は忠の左腕に眼をやった。忠の骨はかなり複雑に折れていたようで、副え木無しでは二月経った今でもまともに動かせないのだ。  立花山城に陽光が当たる。一騎だけで城に入ってくる騎兵の姿が見えた。遠目でもわかった。立花宗茂だ。輪貫月を脇立てにした兜が見えている。宗茂の右手には白く輝く大槍があった。 「あの野郎、戦時に大将がただ一騎でうろつくなど、舐めやがって」 忠が言った。今にも逆落としで立花宗茂に襲いかかりそうな気配だ。 「やめておけよ、忠。次は右腕を折られるぞ」 忠勝は言った。けっ、と発して忠は横を向いた。  自分の20歳の時はどうだったか。忠勝はちょっと記憶を辿った。宗茂が再び城から出てきてどこかに駆け去っていく。果たして、この規格外の男のように完全無欠だっただろうか。いや、20歳の忠勝にはもっと隙が多かったように思う。立花宗茂は個の武だけではなく、将としての器もかなりのものだと忠勝は思った。城を奪還したその日に砦を二つ築くなどという発想は20歳の時の忠勝にはなかった。突進しか知らぬ猪だった。立花宗茂はすでに獅子だ。突っ込むだけでなく、戦いの押し引きをよく心得ている。これは天性なのか、はたまた高橋紹運、もしくは戸次道雪などの指導の賜物なのか。どちらにせよ、己は今、とてつもない男と戦っている。渡海してきてから8ヶ月、忠勝の肌に生じた粟は消える事がなかった。
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