空の箱

2/5
3人が本棚に入れています
本棚に追加
/5ページ
友人は、すぐに返事をせず考え込んでいた私の様子がどうも不思議に見えたようで、気が付くとこちらをじっと見つめていた。 彼女の視線を感じて少し慌てた私は、とりあえず思い出した場面を伝えることにした。 「その頃は資格の授業とか研修旅行にも行って忙しかったような気がする。 あとはあまり印象に残ってないのかな、なんだか今はすぐには出てこないみたい」と答えると、 彼女は「そっか。忙しかったからかもね」と軽く返事をした。 普段から明るい彼女は、特にそれ以上聞いてくることはなく、あまり深く考えないでいてくれたらしい。 そうだよね。多分当時は忙しすぎたから記憶が飛んでる所があるのかも。 きっとそうなんだろうなとその考えをなるべく違和感なく自分の体に馴染ませるようにしながら、帰り道に自転車で畑の横の坂道を下っていたけれど、頭で考えたその答えと心が感じている感覚が一致していない気がして、おかしな感覚に包まれているような不思議な感覚が残っていた。 家に帰って食事を済ませた後、自分の部屋でぼーっとしていると、またさっきのことがぼんやりと気になってきた。 やっぱりもう一度ちゃんと思い出してみよう。 色々なことがあったはずなんだから、もっとその時の細かいエピソードだとか、感じた気持ちだってその時ちゃんと感じているはずだから、じっくりやれば思い出せるよね。 リラックスしたらきっと思い出せるんじゃないかな。 ベッドの上で、ごろんと寝転がって深く息を吐いて全身の力を抜いてから、ゆっくり当時の事を思い出そうとしてみる。 目をつぶって一生懸命に頭の中を探ってみる・・・。 私は大抵何かを思い出したり考える時は画像や動画の様にイメージが出てくるタイプなんだけど、新しい画像やイメージは何も出てこなかった。 とりあえずさっき思い出したことを反芻しようとしても、一つの場面のような画像は出てくるようだけど、まるで他人事のように空々しい感覚で、冷たい感じしか感じられない。 そのイメージは一枚ずつの静止画や、グレーがかったような古くて色合いがない写真の様に感じられるのだ。 なんなんだろ、この感じは。 記憶のイメージを見ても心もあまり動かないみたい。 そしてさっき思い出した以上に何も思い出せることが無かった。 いつもなら他の人が忘れてしまうような、たわいないことも覚えていたりして、びっくりされることだってあるのに。 私の記憶力は興味のないことには全く発揮されないけれど、印象に残ったことや興味のあることについては、普通は忘れてしまう様なことでも覚えていたりする方なのだ。 この記憶を思い出そうとすると感じる空虚な感覚は、 自分の大事な物を集めてしまってあった誰にも教えていない秘密の箱を開けてみたら、いっぱい入っているはずの中身が全部なくなっていて、空っぽだったみたいな感じだった。 例えるならばそんな感覚な気がする。 こんなことがあるのだろうか。 たくさんあるはずの記憶や感情があやふやで思い出せないなんて。 大事な記憶が気が付かないうちに、泥棒されたみたいに分からなくなってしまうなんて。 他でもない自分自身の大事な記憶のはずなのに・・・。
/5ページ

最初のコメントを投稿しよう!