1,ピアノソナタ第3番

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高校は普通の学校に進学したが、その間もピアノへの熱意は冷めることなく鈴音を奮い立たせ、音大合格目指して邁進する日々を送った。 その結果、1浪はしたものの念願の音大に入学することができ、鈴音はピアノ修行に専念することを心に誓った。 大学まで自宅から1時間ほどかかるので、通学の時間を削るため寮に入った。 寮は4人部屋で窮屈だったが、練習室を使うことができ、鈴音は遊びもせず寸暇を惜しんで練習に励んだ。 寮で2年過ごした後、大学近くのピアノ可のアパートに入居し、それまでと変わりなくピアノ三昧の日々を過ごした。 その成果として、ショパンのピアノソナタ第3番を一通り弾けるようになった。 が、鈴音は不満だった。 音大を卒業し音楽関係の出版社に就職して、現在は自宅から通勤している。もともとピアニストになるつもりはなく、それほどの才能に恵まれていないことも、自分で承知していた。 ただ、不断の努力の積み重ねで憧れの曲をどうにか弾けるようにはなった。 プロ、アマの区別などどうでもよかった。ピアニストKの超越的な境地に到達したい一念だった。 技術の研鑽だけではそこに辿り着けないことを、果てしない練習量の末に鈴音は思い知った。 鈴音は現在27歳。4年後のショパン国際コンクールには、年齢制限で引っかかる。そんな世界最高峰のコンクールなど夢のまた夢だが、国内のあまり名の知られていないコンクールには、いくつか出場した。 本選まではいくものの、これまですべて落選で、さすがに鈴音はめげていた。 こんなに頑張ったのに、骨身を削って練習に打ち込んだのに、大きなミスもなかったのに、入選した人よりうまく弾けたと思ったのに。 なぜ、なぜ!? 自分の青春期を賭けたピアノの演奏が評価されないことで、彼女の自信とプライドはどこまでも落ちていく。自分の演奏がうまいと思ったのは、自己保身からくる言い訳でしかないことを、鈴音はうすうす勘付いていた。 ショパンやKの達した雲の上の世界と彼女とのあいだには、高い壁が立ちはだかっていた。 何とか壁を乗り越えたい。飛躍するための翼が欲しい。 彼女は心底願った。 時刻は夜の10時を回っていた。 ミスタッチによる演奏の中断からまた落ちていく悪夢がよみがえり、鈴音の意識はもくもくと湧く疲労の中へ逃れた。 脱力感が全身を駆け巡り、眠気を催した。 彼女はヘッドホンを外すと、脇のベッドの上にちょこんと座っているぬいぐるみのウサギに目をやった。 「ウサちゃん、今日は疲れてこれ以上弾けないよ。明日は仕事だし、もう寝るね」 鈴音が最後の挑戦と決めたピアノコンクールは2週間後に迫っていたが、今はコンクールのことは極力隅に追いやって休息を貪るべく、彼女は眠りの中へダイブした。
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