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浅香は己の両手を固く組み合わせて、絶え間なく襲い来る震えを押し殺そうとしていた。
陽はすでに傾き始めている。天幕にかかる光は刻一刻と弱まっていった。儀式の始まる月の出までにはもう時がない。
この身はもうすぐ水神に捧げられる。
浅香はそれが何を意味するのかよく理解していた。
だからこそ、恐ろしくてたまらなくなった。
どうしてあのようなことを言ってしまったのか。後悔ばかりが押し寄せてきては彼女を苛んだ。
整えられえた白粉が崩れほどけゆく。目尻より溢れ出た涙は頬を伝って静かに流れた。
「――なぜ? ……なぜ私なの?」
浅香は口を覆って誰にともなく問いかけた。
簡単だ。なぜなら、選んだのは他でもない自分だったのだから。
だけれども、どうせ結ばれないのなら。それならばよいと思っていたのだ。
だが、浅香は死を前にして己の浅はかな決心を呪った。豪奢に飾り立てられた着物の重みに、彼女は膝を折る。
「浅香様」
倒れそうになった浅香を抱きとめたのは、彼女の支度を手伝っていた下女であった。
黒い双眸と目がかち合い、浅香は「玉響」と下女の腕に泣きすがる。
口がどうしようもなくわなないた。かつて見たことのある光景を思い出して、彼女はぞっと背筋を凍らせる。
とりみだした彼女たちがどういった結末を辿るのか――知っていながら、浅香は最早己を抑えることができなかった。
「どうしよう、玉響。恐い、恐いわ」
「――浅香様」
「い、いやっ! 助けて、嫌だ、庫侘っ!」
「浅香様!」
玉響は浅香の肩を揺すった。我を取り戻したものの、浅香の体は未だひどく震えていた。
「浅香様」
玉響は、浅香とは対照的にひどく落ち着いた声音で、主人の黒い双眸を正面から覗きこんだ。
肩で短く切りそろえられた髪がさらりと揺れたのを浅香はあの時と同じ、歪んだ視界の中で捉えたのだ。
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浅香が玉響を見つけたのは偶然であった。その時にはもうすでに、玉響の髪は短かった。
短い髪は、この地域一帯に共通する罪びとの証。何かしらの罪を犯した者は、髪を切られ何びとも奴婢の位に落とされる。
だから浅香は、彼女がそうなのだろうと一目で理解してしまったのだ。
己と変わらぬ年端の少女は、鏡池につながる道の近くにいた。
うっそうと木々が生い茂る森の中、彼女はうずくまっていた。なぜか全身ずぶぬれの彼女は、まるでぬれ鼠のようだった。
ほたり、ほたり、と彼女の切られて短くなった髪の先から落ちた滴が、周りにある腐葉土を次々と黒く染めあげていく。
揃えられてもいない毛先が、痛々しくて浅香は思わず少女の元へ駆け寄っていた。
「大丈夫?」
少女の横にかがみこんで、浅香は問いかけた。
はっと、彼女が顔を上げる。初めてかいま見た少女の瞼は赤く腫れあがり、双眸は昏く落ちくぼんでいた。
浅香は彼女の様相に言葉を失くした。
同じ年頃の少女。
しかし、自身とは掛け離れた彼女の姿に驚いて、何と声を掛ければよいのか分からなくなってしまった。
だから、浅香は彼女の背をさすってやることにした。何度も何度も背をさすり続けた。
少女はすがるように浅香を見上げ、ほとほとと涙を零した。ひっくひっくと嗚咽を伴う声は、時折喉に引っかかりながらも絶え間なく続いた。
少女の十指が柔らかな土をえぐる。浅香は自身の手を添え、それを制した。
「ねぇ、あなた。私の下女にならない? ね、そうしたら――」
浅香が言葉を重ねる前に、目の前の少女はこくこくと頷いた。
添えられた浅香の手を、土で汚れた手で握り返す。
浅香は、己と変わらぬ大きさの少女の掌を包み込んで、そっと微笑んだ。
「あなたは、だあれ? ねぇ、あなたの名は?」
「――た、……っゆ……」
「え?」
浅香が聞き返したことで、少女は「あっ」と息をのんだ。
よほど泣いたのだろう。声が枯れてしまって、ほとんどかすれていた。
「いいの。いいのよ、ゆっくりで。大丈夫だから。ごめんなさいね、私も今度はもっと注意して聞くわ」
ね、と浅香は彼女に促す。少女はこくりと唾をのみ下して、乾いて張り付いた喉を溶かした。
「……た、……ま、ゅ……ら」
「たまゆら?」
浅香が尋ねると、彼女は「はい」とかすかに喉を震わせた。
「そう、玉響ね」
浅香はにっこりと微笑む。
「ならば、玉響。私と一緒に屋敷へ帰りましょう」
浅香は崩れそうな少女の背に腕を回し、肩に手を添えて支え起こした。
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