2ニョロ

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2ニョロ

 手早く身支度を済ませて、家を出る。  外気温はまだ二十度を下回らないが、肌を撫でる風に秋の色が濃い。今年もそろそろ本格的に冬対策を検討しなくてはならない。  夏頃、成長著しい子達をより大きなケージへ移した。それに適合するサイズの底面パネルヒーターは調達済みなので、ケージ下部の保温は問題ない。むしろ去年から試行錯誤しているのは、ケージ上部の保温だった。内部空間を保温しつつ、湿度を落とさない工夫が求められる。G社の新製品を試験導入して、それでも期待した効果が望めない場合は加湿器を追加投入すべきか。あるいは……  悩ましくも心躍る思考に没頭する内に、気が付くと近所の川沿いの道に出ていた。  ここはお気に入りの散歩道。運が良ければ、気持ち良さそうに日光を浴するアオダイショウやシマヘビを観察できる。川岸を視線で舐め回すが如く走査しながら、最寄りのショッピングモールへ足を向ける。  広大な敷地に並ぶ煌びやかなテナント群を尻目に、一路目指すは総合ペットショップ。犬猫、アクアリウム、鳥類の賑やかなコーナーを足早に抜けると、ガラス扉で隔てられたこぢんまりとした区画が見えてきた。一年を通して変わらぬ生暖かさと湿った静けさ、心安らぐ癒しの爬虫類・両生類コーナー。  生体達の世話をしている馴染みの店員を捕捉して、背後から声を掛ける。 「こんにちは…… いつもの(、、、、)、頼めますか」 「うわ、びっくりした。気配殺して近付くの、やめてくださいよ」 「SとMをそれぞれ20、それからLを30で」  私が持参したクーラーボックスを渋面で受け取った彼は、バックヤードへ消えていった。  各種の保温ライトや紫外線ライトが醸す人工的な暖かさの中に残された私は、何をするでもなく壁面に並ぶケージを見遣る。爬虫類・両生類を扱っているとはいえ、ここはあくまで大型ショッピングモールの一隅をテナント借りする総合ペットショップ。目に入る生体はカメ、カエル、ヤモリ達のメジャー種が主で、これまでに蛇の姿を見かける機会は数える程しかなかった。客層を考えれば、致し方ない。  だが、私は蛇にしか興味がない(、、、、、、、、、)のだ。  蛇の姿は、地中棲トカゲの仲間がその生活様式に適応進化した結果だとする説がある。外耳のない円錐形の頭部、四肢を廃したしなやかな長躯、全身をびっしりと覆う鱗。これらの外見的特徴は、地中生活にいかにも相応しい。  蛇が醸す独特の印象に幼少期の自分が魅せられたのは間違いないし、それは数十匹の蛇達と暮らす現在でも変わらない。「洗練」という言葉がこれ程までに馴染む生物を私は他に知らないし、それは蛇の外観だけでなく生態全般にも及ぶ。  食性一つとっても、蛇のそれはあっけないくらいにシンプルだ。野生の個体は脊椎動物全般を捕食するが、飼育下における主食は鼠。魚類や両生類を好む一部の種を除いて、大半の蛇は鼠を丸飲みに補食することで、生存に必要な全ての栄養素を摂取できると言われている。 「蛇飼さん、お待たせしました」  馴染みの店員から受け取ったクーラーボックスのベルトが、肩の肉に食い込む。会計を済ませて店内を歩いていると、小型哺乳類コーナーが視界に入った。ケージ内をチマチマと動き回るハムスターやモルモット、ウサギ達の愛らしい姿に、休日の家族連れが足を止めている。  そう。これらの命は愛らしさの毛皮をいかにも無遠慮に、生得的に纏う。  私は蛇を殊更に好むが、だからと言って他の生物の魅力を否定する気は毛頭ない。子供の頃には様々な小動物を飼っていた。命の火が消えた亡骸を前に、涙を落とした記憶もある。  だが、実家を離れて以降は、蛇しか飼ったことがない。いや、一人暮らしを始めてようやく蛇を飼えるようになった、とも言える。冷凍庫の一隅に齧歯類を置きたいという私の言葉に、信じられない物を見たと言わんばかりに身を震わせる母。その氷点下の空間には切り刻まれた牛や豚の骸が所狭しと先住しているという事実は、彼女の拒絶に一切の影響を及ぼさないらしい。  店員がケージからピンポン球サイズのハムスターを取り出して、小学生くらいの女の子の手のひらに乗せてやっている。彼女の喉から溢れる嬌声は、私が肩から提げているクーラーボックスの中身を目にした途端に悲鳴へと変じることだろう。  嫌悪と愛好は、その起源を理性に拠らない点で双児性を孕む。  あのハムスターがバックヤードの冷凍庫に眠れる硬い骸となっていないのは、餌よりも愛玩用途で販売する方が大きな利益を生むという単純なロジックに負うところが大きい。  彼女は鼠を養い、私は鼠を殺す。  これらの対照的な出力の根幹にあるのは、純粋な愛好と食物連鎖の掟だけだ。  フードコートで買い求めたコーヒーを片手に、テラスへ出た。  スマホで自宅の各所に設置した温湿度計を確認していたら、チャットアプリの通知が届く。職場の後輩からだ。メッセージに目を通して、空をそっと仰ぐ。  さて、どうしようか。  溜息混じりの吐息が、初秋の白さで天高く溶けていった。
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