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川端の本棚
川端は売れない作家だった。
昔は。
無理して長いファンタジーを書こうとして、ネットで叩かれたり、誤字脱字の問題でニュースになったりとにかく売れなかったのだ。
川端は椅子に腰を掛けると、自分の本で溢れた本棚を見つめた。
売れなかった時代の本もある。それらの本棚の前には1枚の写真。
田村らいてう、と写真にボールペンで書かれている。
川端の唯一の恋人の写真だ。
カウンセラーをしていた。
川端は席をゆっくりと立つと写真へ近づく。
キラキラと輝いた目。落ち着いた顔。いつも売れない川端を支えてくれた存在だ。
川端は芥川が休みなのをいいことに写真に軽く口づけをした。ホコリが少し口にはいる。
だが構わない。もう会えない人なんだからこれくらいさせてくれ。
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田村は3年前、がんで他界した。田村はカウンセラーとしていつも川端の話を聞いてくれていた。死ぬ直前まで。
その頃川端は夢中で文章を書きまくっていた。
内容に困ったときは、田村のもとに来た依頼人の話を元にして書いていた。
売れた話は大体依頼人のことをもじって書いた話だった。
初めて川端の本が文庫になったとき田村は泣いて喜んだ。
その頃の田村はあまり顔色も良くなく、今にも倒れそうだった。
だが川端がそれに気付けなかったのは、田村の喜びようがそれを上回ったものだったからだ。
だから最期まで田村が病気だということにきづかなかったのだ。
田村は川端とは違い、自分の死期が近いことに感づいていた。
田村の顔色がだんだんと悪くなっていったある日、川端の目が覚めると隣には、田村が横たわっていた。
川端は慌てて手を触る。ひんやりと嫌な感触が伝わってきた。
脈がなくなっている。
川端が握った手には一枚の手紙。反対側の手にはボールペンが握られている。
川端は涙で目が見えなくなるほど泣いた。
どうして気付けなかったのだろう、どうして言ってくれなかったのだろうと泣いた。
田村の手を離すと、そのまま手紙を広げる。涙でボールペンの文字が紙に溶けた。
「いつまでもあなたの隣りにいたかった。今執筆中の話は、私のことを書いてるんでしょ?だったら最後まで…あなたの隣にいられなかった分まで話を…結婚するまで話を…………」
手紙はそこで終わっていた。「を」の線が布団まで伸びている。
だが続きを書かなくても川端にはその続きがなんとなくわかった。
川端はその日のうちに震える手で田村の握っていたボールペンを回収する。
そして残っている田村の写真に片っ端からボールペンで彼女の名前を書き始めた。
「絶対……忘れないから…な…。」
そう泣きながら。
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「あぁ…久しぶりに泣いたな。」
川端は泣き笑いのような表情になると写真を慌てて本棚の前に戻す。
そしてその代わりに芥川にバレないところに隠してある古びた原稿用紙を取り出した。
今も執筆中の話だ。
ヒロインは田村。
川端は原稿用紙をくしゃくしゃになるほど握るとふるふると震えた。
「続きなんて……かけるわけないだろ……。」
涙が原稿用紙にポタポタと落ちた。まるであのときの手紙のように。
川端はその場に座り込むと、執筆途中の話とともにうずくまった。
次の日、掃除をしていた芥川が、部屋の中にできた水溜りを雨漏りと勘違いしながらバケツを置いた。
川端は何事もなかったかのように無表情で新しいショートショートを書く。
その様子を田村の写真は悲しそうに見ていた。
完
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