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彼の伏せた睫毛が、思いの外長い事に気付く。この距離を許されるのは私だけだと思うと、この胸が弾んだ。
「……ん、じゃあ。またね」
口角が持ち上がり、綺麗な弧を描く彼の唇。
少しだけ薄い、……だけど、形の良いそれは、今、正に私の目の前にある。
「おやすみ」
僅かに掛かる、彼の吐息。唇まで、あと数センチ──
最初に彼と出逢ったのは、煌びやかな照明と音楽のかかる、とある店。私の姿を見掛けるなり、運命の相手を見つけたと言わんばかりに彼の二つの瞳は私に釘付けられ、嬉しそうに微笑み掛けられる。
……まさか、その日の内にお持ち帰りされるとは思わなかったけど。でも、その後も私をとても大事にしてくれるから……出逢ったのが彼で良かったと、今でも思う。
それから毎日、彼は私を愛してくれた。
私の身体を包み込む、彼の温かな体温。掌。とても、心地良い。
──そして、彼の寝顔。
閉じた瞼の、彼の長い睫毛が少し上向き、そこから頬、鼻筋、唇までの、綺麗なライン。ふと目を覚ました私は、彼のそのラインをなぞる。
この無防備な姿を見せるのは、きっと私だけしかいないと思う。
しかし、そんな彼との生活に、ある日突然終止符が打たれた。
それは、いつもの様に彼とバスルームに入った時の事。
「………あ、」
彼の手から、滑り落ちる携帯。
そのまま浴槽の底に沈んでゆくそれを掴もうと、彼が手を伸ばす。
「やべ、水没したかも!」
拾い上げ、電源を入れた彼は、起動し明るくなった画面に安堵するものの……
私は既に、力尽きてしまった。
もう二度と、感じる事は出来ない──彼の温もりも、優し、い吐息も、……彼の思い、の外長い……睫毛も───
──。
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