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7 桜子の大冒険
越中舟橋駅に電車が着き、夕日が照らすホームに降りた。
ホームの端に見たことのある男が立っていると思ったら、名取だった。
「おーい、名取!」
オレはホームの真ん中から大声を出した。
「あ、町田先輩」
名取がこっちに走ってくる。
「なにやっているんだ、おまえ」
両手にカメラを持っていた。
「もうすぐ富山地鉄の特急が通るので、撮影しようと思って」
「須崎と桜子は?」
「高岡家に先に戻りました」
「おまえだけ寄り道か。まあいい。わかった」
名取をホームに置き去りにして、オレと高岡は越中舟橋駅を出た。
叔父さんの行動がずっと気になっていた。あの慌てぶり。実家に顔を出しているとしたら。
「高岡、急ごう」
「うん」
ふたりで、駅前の道路を速足で進んだ。
途中、スピードを出して走り去る車とすれ違った。
「叔父さんの車だ!」
高岡が叫んだ。
「えっ」
なんであんなに飛ばすんだ。悪さをして逃げるみたいだ。もしや高岡の家でなにかを。オレの不安はますます強くなる。
「走るぞ」
今度は全速力で走った。体の大きい高岡もオレについてくる。
高岡の実家の前に着き、門をくぐると、玄関扉が空いていた。
「あっ!」
玄関を入ったとき、広い土間の上に人がふたり、倒れているのが見えた。
駆け寄ると、倒れていたのは須崎先生と富栄ばあちゃんだった。
高岡の顔が青ざめる。
「おばあちゃん、ど、どうしたの!」
高岡が、倒れたばあちゃんを抱きかかえる。頭から顔にかけて、血で汚れていた。
オレは、倒れた須崎先生に駆け寄った。
「先生、大丈夫か! 先生!」
横向きに倒れていた須崎先生の肩をゆさぶった。
先生は目を覚ますと、ゆっくりと上半身を起こした。
「あ、あたしは大丈夫」
須崎先生の頭や顔を見まわした。けがを負っている様子はない。
「おばあちゃん、おばあちゃん!」
高岡が、ばあちゃんの体を持ちあげて軽くゆさぶった。
「誰にやられたの?」
高岡が問いかける。ばあちゃんは答えるどころか、まったく体を動かさない。
「落ち着け! 救急車を呼ぶから!」
居間の台の上に電話機があったのを思い出したオレは、居間へと走った。
受話器を取り、119番に電話をかけた。
「人が倒れてけがをしています! 至急、救急車をお願いします!」
相手が、住所と現場の状況を聞いてきた。話が終わると、玄関先に戻った。
ばあちゃんは意識を失ったまま。高岡は涙を流すだけだ。
「おばあちゃんが死んじゃうよ!」
「落ち着け!」
オレがいくらなだめても「おばあちゃんが死んじゃう!」と泣き叫ぶだけ。気持ちはわかるけど今は救急車を待つしかないんだ。
須崎先生は頭を振りながら、ゆっくりと立ち上がった。
「先生。いったい、なにがあったんだよ!」
オレは先生に聞いた。
「取材から帰って阿久根さんとあたしが玄関に入ったとき、おばあさんが、土間の上で男の人と口ケンカをしていたの」
「男とケンカ?」
「ええ。男の人が声を張りあげていて近づけない雰囲気があったので、あたしと阿久根さんは玄関の外で待ってたの。そしたら、男の人がいきなりおばあさんをなぐって」
「なんだって!」
「人を呼ぼうと、あたしと阿久根さんは大声を上げたわ。そしたら、男があたしに向かってきて、いきなり体当たりされたの。衝撃であたし、意識を失ってしまって」
「桜子はどこへ行ったんだ?」
オレはキョロキョロとあたりを見回した。
「気を失ってたから、そのあとのことは知らないの」
桜子の姿が見あたらない。
ふと、土間の横にある靴箱の前に、花柄のポケットポーチが落ちているのを見つけた。
オレはポケットポーチを拾いあげた。
「桜子が持ってたポーチじゃないか?」
桜子がボンタンアメを携帯するのに使うヤツだ。ポーチを開けると、思ったとおりスマホとボンタンアメが入っている。あいつが、こんな大切なものをほったらかしにするわけはない。
もしかして……。
「桜子は、義行さんに連れ去られたんだ!」
「え!」
高岡は、おばあちゃんを抱きかかえながら目を丸くした。。
須崎先生は、オレの顔を見て青ざめていた。
どうすればいいんだ。考えがまとまらない。
――そうだ、まずオレがやるべきことといえば。
「今から、あの男が住んでいるプレハブ小屋に行く!」
オレは高岡に向かって叫んだ。
「え?」
「あの男は、桜子をプレハブ小屋にかくまうつもりなんだ!」
「なんで叔父さんの行先が離れだとわかるの?」
「何年も部屋にひきこもっている人が、自室以外にアジトを持っているとは考えにくい。かくまってもらう友達がいると思えない。桜子を連れて行く場所は限られると思うんだ」
「そうだね。きみの言うとおりかもしれない」
高岡が首を縦にふった。
「町田くん。あの男性はなぜ、阿久根さんをさらっていくの? どんな理由があるっていうの?」
焦っていたオレは先生をにらみつけてしまった。
「オレが知るわけがないだろ!」
オレは、桜子のポケットポーチを自分のバッグに突っこんだ。
「高岡。おまえは、ばあちゃんにずっとついていろ。なにかあったらオレのスマホに連絡をくれ!」
「わかった」
「先生はここに残って、高岡を助けてやってくれ!」
「警察に連絡したほうがいいわよ」
須崎先生の助言を聞きいれるつもりはなかった。
「待っていられない。桜子はオレの手で助ける!」
もし、桜子が義行さんの手で連れ去られたのなら、あいつは身の危険にさらされているということ。一秒でも早く助けに行かなければ。
オレは玄関を飛びだした。
「待って、町田くん! あなたひとりでなにができるの!」
「名取を連れていく!」
オレは先生に告げて、二車線の県道を越中舟橋駅の方へ走りだした。
スマホを取り、走りながら名取に電話した。名取とすぐにつながった。
「オレの話を聞け!」
「どうしたんですか、そんなに慌てて」
「上市方面の次の電車、何時何分に発車するか確かめてくれ」
「ちょっと待ってくださいね」
電車の走行音がスマホを通じて聞こえてきた。富山駅行きの電車であることを願ったけど――。
「今、電鉄黒部行きの電車がホームに入ってきました。次は三十分後です」
オレが乗ろうとしていた電車は出てしまった。三十分は待てない。鉄道で行くのはあきらめるしかないな。
「おまえ、すぐに駅を出て、駅前でタクシーを一台拾え!」
「えっ、なぜですか? ボク、撮影中なんですけど」
「うるさい! 理由はあとで話す。時間がないんだ。早くしてくれ!」
「でも……」
「オレのいうとおりにしなければ、おまえとは絶交だ」
「わかりましたけど……。ボク、先輩のこと理解できません」
泣きそうな声を残して電話が切れた。
電車よりもタクシーの方が早いと思った。非常事態だから、お金の心配はしていられない。
オレは全速力で走った。
駅前ロータリーに停まっていた緑色のタクシーの前に、名取が立っていた。
首をひねる名取と一緒に、オレはタクシーに乗りこんだ。
「運転士さん。上市町の〇〇〇まで、急いでください!」
義行さんの住むプレハブの住所は昨日、スマホに登録しておいた。
運転士は、無言でタクシーを発進させた。
「先輩。いったい、どうしたんですか?」
戸惑い気味の名取に、さっきのできごとを説明した。
「本当ですか?」
名取は目を見開いた。信じられないというような表情だ。
「オレが慌てる理由がわかっただろ?」
「一大事です!」
「運転士さん。あとどのくらいで着きますか?」
オレが、六十歳くらいの白髪交じりの運転士に聞いた。
「急いでも十五分はかかるね」
「とにかく急いでください!」
幸い、道路はすいていた。運転手は、県道を高速で突っ走った。スピードメーターは七十キロをさしていた。道路の広さからして制限速度オーバーだろう。万一、警察に捕まったら、友達が誘拐された可能性があることを正直に話すつもりだ。
距離にして六キロメートルほど。時間が長く感じる。
道路の沿線に「上市町」と書かれた青い看板があった。上市町に突入した。
桜子、無事でいてくれ。
スマホに高岡からLINEが届いた。
『おばあちゃん、意識を取り戻したよ。今、救急車で富山市内に向かってる。受け入れ先は富山東病院に決まった。電鉄富山駅から徒歩十分』
よかった。大ごとにならないで。
プレハブ小屋の前にタクシーが着いた。オレは急いで料金を支払い、タクシーから降りた。
庭に義行さんの白い車が停まっていた。やっぱり、ここに帰っていたんだ。
名取は緊張しているのか、顔がこわばっている。
「先輩。ボ、ボク、どうすればいいんですか?」
「ひきこもりとはいえ、相手は大人だ。オレひとりの力で足りないときに力を貸してほしい。それと――」
「それと?」
「いざというときに、おまえの知恵も借りたい」
「わかりました。知恵は先輩よりも、ボクの方が上ですから」
オレは苦笑いしながら、名取の頭を右手でポカッと軽くたたいた。
「ボクの方が先輩よりも勉強ができるのに、なぐるなんて。ひどいです」
涙目でシュンとなっていた。
おまえがこんなときにイヤミを言うからだろ。まあ、くだらないやりとりのおかげで、緊張が少しゆるんだぞっ。
スマホが振動したと思ったら、再び高岡からのLINEだった。
『須崎先生が警察に事情を話したよ。義行さんの離れに刑事さんがふたり、向かうって』
安心だけど、その前にオレたちが桜子を助ける!
オレたちは、プレハブの玄関の一メートル手前まで近づいた。
室内から桜子の話し声が聞こえる。あいつの声は大きいから、外まで響いてくるんだ。
いやに元気だな。誘拐された女の子の声に聞こえない。
「様子が変だぞ」
「そうですね。窓が開いているから、中をのぞいてみましょう」
プレハブ小屋の周囲は一メートルほどの高さの雑草で覆われている。オレと名取は草をかき分けて、建物の側面にある四角い窓の前に立った。
中をのぞくと、ごみの中で桜子と義行さんが床に座ったままで向きあい、楽しそうに談笑していた。
「どういうことだ?」
オレは当然、首をかしげる。
「誘拐された雰囲気ではありません」
名取は苦笑いしていた。
友達同士が楽しく会話をしているようにしか見えない。わけがわからなくなってきた。
「中に突入しにくくなりました」
「そんなこと、言ってられねえよ」
オレが玄関の方へ歩いていこうとしたとき――。
「せ、先輩。ちょっと待ってください」
「どうした?」
「今、ふたりが玄関の方へ一緒に向かっています」
部屋から出て来るのか。オレも玄関の方へ歩を進めた。名取もついてくる。
玄関の前に到達したとき、玄関扉が開き、ちょうど桜子が出てきた。
「桜子!」
声をかけると、桜子はびっくりしたように口をポカンと開けた。
「どうして雄平がいるの? 名取くんも」
「おまえがこいつに誘拐されたと思って、追いかけてきたんだ」
オレは、桜子のうしろに立っていた義行さんを指でさした。
「え、そうなの?」
桜子はキョトンとしていた。
「心配したんだぜ」
「ごめん。そう思われても仕方がないね。でも、実際は違うの」
「なにが違うんだ?」
「この人がおばあちゃんをなぐったところをわたしが見たために、わたしは、強引に車に乗せられた」
「それなら、れっきとした誘拐じゃないか」
「でもね、この人がわたしを連れ出したのは、わたしに、母親をなぐってしまった本当の理由を聞いてほしかったかららしいの」
「なんだって?」
本当の理由? どういうことなんだ。
「車に乗せられた直後にこの人から『ごめんな。すぐに家に帰すから俺に短時間だけつきあってほしい』って言われたの。わたしだって始めは怖かった。だけど話しぶりがすごく穏やかだったの。顔が怖いわりに、もしかして優しい人なのかなって。高岡くんの叔父さんと聞いて少し安心感もできたのかな。仕方ないから、つきあってあげることにした」
「おまえな――恋人同士のドライブじゃないんだぜ」
ますます状況が飲みこめなくなってきた。
「キミは俺の話を聞いてくれた。約束どおり俺の実家まで送っていくから。ハハハ」
義行さんの不真面目そうな態度が許せなかった。きっと罪の意識がないんだ。オレはマジギレ寸前だった。
「あんた、逃げるのか!」
オレは怒鳴りつけた。
「逃げる?」
義行さんがにらみ返してくる。
「きっとあんたは、富栄ばあちゃんから何かの事情でお金をもらえなくて腹を立てた。その勢いでばあちゃんをなぐった。それを見られた須崎先生に体当たりして、しまいには桜子を誘拐したのに罪から逃れようとしているんだ!」
オレは義行さんに飛びかかろうと、体を一歩前へ出した。
「先輩!」
名取がオレの腕をつかんで制止する。
オレは構わずしゃべり続けた。
「いい年してバカげたことをしたのに、自分勝手だよ!」
「雄平、違うよ」
桜子が反論する。
「なにが違うんだ」
「義行さんは、自分の罪を認めて、警察に自首しようとしているの」
「え?」
オレはあきれて義行さんを凝視した。
「彼女の言うとおり、俺は罪を逃れようとは思っていない」
「ホントかよ、あんた」
まったく信用ができなかった。
「車に乗せたとき、俺は、彼女を殺すとか傷つけるとかは考えていなかった。誰でもいいから俺の本心を聞いてほしかったんだ。この子を送り届けたら、警察に向かうつもりだ。俺の住み家まで強引に連れてきたのは事実だからな」
ずいぶんと往生際がいいな。
そのとき、正面の道路にパトカー二台と白色の車が一台、止まった。白い車から年配と若手の、年齢の離れたように見えるふたりの男性が降りてきた。オレたちの方へ歩いてくる。ふたりとも、暑いのにネクタイをしめて、スーツの上着を着ていた。
「上市警察署刑事の内藤です」
背の低い白髪まじりの男が前に立ち、オレに警察手帳を見せた。
オレは軽く会釈をした。
「君が町田くんですね」
「はい」
「高校生の女の子が誘拐された可能性がある、との通報を受けましたので」
いきなり名前を言われてなにかを話さなければいけないと思ったけど、オレの口は開かなかった。刑事さんが急に訪れて緊張したのもあるし、なにを説明すればいいのかわからなかったから。
「刑事さん。俺が、自分の母親をなぐったあと、この女の子をここまで連れだしました」
義行さんが、刑事さんと桜子を交互に見た。
「あなたが?」
「そうです」
内藤刑事が、義行さんを厳しい表情でにらみつけた。
「わかりました。詳しい事情は署で聞くこととしましょう」
義行さんは、背の高い若い刑事に肩を押されてパトカーに乗った。
内藤刑事が今度は桜子の正面に立った。
「あなたが阿久根さんですね。高岡くんから連絡を受けています。警察として事情をききたいことがあるので、こちらまでいいですか?」
ずいぶんと言葉遣いの丁寧な刑事さんだ。桜子は、内藤刑事に連れられてパトカーの方へ歩いていった。
内藤刑事が制服の警官を呼び、桜子を入れて三人で話をしている。しばらくして、三人はプレハブ小屋の中に入っていった。なにかを調べるのかもしれない。
オレのスマホが振動した。画面を見ると、高岡からの通話だった。
「そっちが心配だったから、電話してみた。どういう状況?」
「義行さんは上市署で取り調べを受けるようだ。桜子は今、刑事から事情を聞かれてる」
「終わるまで時間がかかりそうだね」
「ばあちゃんの状態はどうだ?」
「今、検査を受けてる。普通に話ができるようになったから、大丈夫だと思うよ」
電話の向こうの高岡の声は弾んでいた。
「良かったな」
ばあちゃんのケガの状態によって、義行さんの罪の重さが変わってくるのではないか。そんなことを考えてしまった。
「終わり次第、オレたちは病院に向かうから」
「――それとね、ぼくのお父さんに今回の事件のことを連絡したら、これから富山に来るって。もう新幹線に乗ってこちらに向かっている頃だと思う」
「わかった」
オレは電話を切った。
桜子とは別に、オレも事情を聞かれた。高岡家の玄関でばあちゃんを発見したときのこと、プレハブ小屋に着いたときのこと、義行さんとの会話の内容など。複数の警官が同じことを何度も聞いてくる。それが警察のやり方なのかもしれないけど。
聞き取りが終わったのは、空が暗くなり始めた七時過ぎだった。
内藤刑事が、覆面パトカーだという車で上市駅まで送ってくれた。警察の車に乗ったのは初めてだ。名取も初めてらしく、おもちゃを買ってもらって喜ぶ幼稚園児のようにはしゃいでいた。
上市駅前は人の通りがなく静かだった。夜遅くまで人の流れが絶えない東京都内の駅とは勝手が違う。地元・調布駅前の騒がしさが懐かしく感じる。
警察の車が見えなくなると、オレ、桜子、名取の三人だけが残された。オレたちを守ってくれた大人たちがいなくなって、急に心細くなった。
電車の時間までまだ二十分ある。電車が到着しない時間帯の駅構内は人影がなくさびしいけど、天井の古めかしい蛍光灯が煌々と輝いているので安心感があった。改札口前に置かれた長い木製ベンチに三人で並んで座る。
桜子が「ふう」と大きくため息をついた。
「おまえ、あの男とどんな話をしたんだよ」
桜子があいつとプレハブ小屋で楽しそうに話をしていたシーンを思い出した。
「最初はひきこもりの話かな。彼はひきこもるのが本意ではないらしくて、『俺は二年間、ひきこもっているけど、仕事をする気持ちはある』っていうの」
「オレたちが聞いた話と全然違うじゃないか」
その前はオレと高岡に「一生おふくろのスネをかじって生きてやるんだ」とほざいていたくせに。
「部屋の中に、富山ブラックのラーメン店のレシートが落ちてたの。義行さんに尋ねたら、毎週一回は富山ブラックをひとりで食べにいくんだって」
本当にひきこもりか? ただの「無職」「親のスネかじり」だと勘繰りたくなる。
「あいつ、けっこう外出してるじゃないか」
「だったらラーメン店で働けばいいんじゃないって、わたしがアドバイスした。そしたら義行さん、本気になってきたみたいで、じゃあ働こうかなって言ってた」
三十五歳の大人が高校生に説得されて、そんな簡単に本気になるか? おかしいだろ! あの男は優柔不断なのか?
「『あなたの顔は、ラーメン屋さんが似あってる』って言ってあげたら、すごく喜んでた。あまりにうれしがるから、わたしまで明るい気分になってきちゃってね」
バカバカしくなってきた。オレと高岡が話をしたときと対応がまったく違う。きっと、女の子に甘い性格なんだろう。母親をなぐってしまった本当の理由とやらを聞こうと思ったけど、もう、どうでもよくなってきた。
「でもね――わたし、雄平の前でも警察の前でも強がっていたけど、義行さんに連れて行かれたとき、これでわたしの一生が終わるのかと思っちゃった」
「そりゃ、そうだよ。かよわい女の子がいきなり大の男に連れ去られたんだぜ」
当然だ。かよわいは、よけいだったかな。桜子は強い女の子だから。
「車をすごく飛ばして。でもね、あの人、いい人だよ、きっと」
「おまえ、まだそんなこと言っているのか?」
誘拐犯をかばうのはやめてくれ。
「こんなこともあった。長くなるけど、聞いてくれる?」
オレはチェッと舌打ちをした。
「しょうがねえなあ。話してみろよ」
これ以上あの男の話をしたくなかったけど、桜子の頼みなので仕方なくOKした。
「あの人、運転が乱暴だったから、わたし、途中、車に酔っちゃって吐きそうになったの。それを告げたら、近くのコンビニの駐車場に車を停めて、休ませてくれた。コンビニのとなりにあったドラッグストアで酔い止め薬を買ってくれたの。悪い誘拐者だったら、ふつう、そんなことはしない」
「なんで、そのときに逃げなかったんだよ!」
「わたしがあそこで逃げたら、コンビニでお客や店員を監禁するとか、もっと悪いことをしそうな気がしたから。でもね、一緒にいて、きっとこの人は、話を聞いてあげたり、きちっと話してあげたりすれば、わかる人だと思った。それで、わたしの力でできるだけ温かく接してあげようと――」
「理解できない。優しすぎるよ、おまえは」
殺されるかもしれないんだぜ。だけど、桜子は無事に戻ってきた。終わりよければすべてよしだ。
「義行さんのこと、わたしは警察に悪いことは言わなかった。むしろ好意的なことばかりを話しておいた」
「おまえなら、そうするだろうな」
今日は、オレが今まで気づかなかった、桜子のすばらしい一面を発見した気がした。人間、長くつきあってみないと見えてこないことがある。
「おまえにプレゼントだ」
オレは自分のカバンからポケットポーチを取りだした。
「あっ、わたしのポーチ!」
手渡すと、桜子はうれしそうにポーチを胸に抱きしめた。
「ありがとう! ずーっと気になっていたんだよ。どこにあったの?」
「高岡家の玄関に落ちてたんだ。あいつに連れ去られるときに落としたんじゃないのか」
「そうだったんだ」
桜子はポーチからボンタンアメを一粒だけ取り出して、手のひらにのせた。
「おなかが減った。ひとつ、食べてもいい?」
「好きにしろよ。いつもは断りなく食ってるだろ」
ポイと口に投げ入れた。
「おいし」
いつもの笑顔が戻って、オレも安心した。毎日ケンカばかりして、なんだかんだと言い合っているけど、桜子はオレにとっても地理研にとっても欠かせない、大切な部員なんだよな。
オレたちは上市駅から電車に乗り、富山市内に向かった。
車内はすいていたので余裕で座れた。疲れていたのか、桜子と名取は座ったとたんに眠ってしまった。名取はよだれをたらしながら、桜子は口を大きく開けたまま……。
桜子にとって、今日は大冒険の一日だったのかもしれないな。
オレは眠らずに、ズボンのうしろポケットから地図を取りだして読み始めた。オレにはこれがいちばん似あっている。
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