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9 秋葉原で十二時
オレたちはその日のうちに富山を離れた。
疲れていたせいか、北陸新幹線の車内で熟睡してしまった。オレは気づかなかったけど、名取の話を聞くと、名取と桜子はクイズざんまいだったらしい。なぜか須崎先生が加わって、名取の出題で桜子対須崎のクイズバトルが勃発した。結果は桜子が勝ったようだけど。
富栄ばあちゃんは一週間後、無事に退院した。それを見届けて、高岡は夏休み最後の八月三十一日に新幹線で東京へ戻ってきた。
九月の新学期、初登校の日。相変わらず残暑が続いていた。真夏の時期と変わらない強烈な太陽の光が降り注ぎ、校舎全体をオレンジに染めていた。
ホームルームが終わると、そのまま地理研の部室へ向かった。
部室のだいぶ手前の廊下から、名取の弾んだ声が聞こえてくる。
部室の扉を開けると、桜子、高岡、名取の三人が固まって話をしていた。クイズをしているわけでなさそう。
「おまえら、オレをさしおいて密談か?」
「ぼくのおばあちゃんがいよいよ、今週の土曜日に上京してくるんだ」
高岡がほほ笑みながらオレを見た。
「そうか。いよいよか!」
「お昼前に東京駅に着くから、地理研メンバー全員で東京駅に迎えに行こうって話をしていたの」
桜子がボンタンアメを食べながら言った。
「そんな大切なこと、部長のオレを抜きで話していたのか、おまえらは」
「ごめーん」
桜子が両手を合わせて謝るようなポーズをとる。
「そのあと、おばあちゃんを含めたメンバーで、お昼ごはんに富山ブラックを食べようって話してたんだ」
高岡は元気いっぱいだ。
「どこで?」
「アキバだよ」
「アキバ?」
「有名なチェーン店が、東京の秋葉原に店を出してる。おばあちゃんは、東京に来たら、その店で富山ブラックを食べたいって前から言ってたから、かなえてあげようと思って」
「富山県民は、本当に富山ブラックが好きだよな」
富山を離れる日、新幹線に乗る前に俺たちは富山ブラックを食った。しばらくは、もういいと思っていたけど、ばあちゃんが食べたいというのなら、つきあってあげよう。
「わかった。行こうぜ」
「やった!」
富山ブラックに目がない桜子から、ひときわ大きな声があがった。
土曜日の東京駅は、大きなカバンを持った観光客らしき人たちでごったがえしていた。
新幹線の自動改札口から出てきた富栄ばあちゃんは、ちょっと疲れ気味に見えたけど、笑顔で手を振っている。
白いブラウスに白いスカートが細身の体に似合っている。若々しくて、高校生の孫がいる女の人には見えない。
「おばあちゃん、よく来たね。疲れてない?」
高岡が、ばあちゃんを優しく抱きしめた。
「大丈夫だよ。それにしても東京駅は人が多いわね」
人波がとぎれることのない駅の通路を見て、ばあちゃんは目を丸くしていた。
三メートル離れたところからふたりの様子を見守っていたオレ、桜子、名取が、ばあちゃんの前に歩いていく。
「こんにちは。合宿のときはお世話になりました!」
事前に打ち合わせをしたとおり、三人で一緒に声を出し、同時に頭を深々と下げた。
「こちらこそ。今日は皆さんでお迎え、ありがとう」
オレたちは在来線ホームに移動し、山手線の電車に乗った。
東京駅から秋葉原駅までは二駅、たったの四分。山手線電車の車窓から見える風景は、どこも高層ビルばかりだ。
お昼の十二時ちょうどの秋葉原駅は東京駅よりも人の流れが激しかった。途切れずに続く人波をかきわけて改札口を出る。若い人の姿が多く、老若男女を問わずに人が集まる東京駅とは客の年齢層が異なる。
富山ブラックラーメンの店は、秋葉原駅前にそびえる二十階建てビルの五階にあった。
店の入口の上に『富山ブラック』と書かれた大きな看板を掲げてある。
みんな、店の前に立ち尽くして、中に入ろうとしない。
「おまえら、なんで入らないんだよ」
不思議に思って、桜子と高岡と名取の顔を交互に見回した。
こいつら、にやにや笑っている。あやしい。
「雄平。あんたがいちばん先に入って」
桜子が手を入口の方に向け、先に店に入るように促す。
「オレが?」
なにかたくらんでいるな、こいつら。
仕方がない。なにが飛びだしてくるかわからないけど、こいつらの思惑どおりに最初に入ってやろう!
入口の前に進み自動ドアが開く。ラーメン屋に入るだけなのにドキドキした。
「いらっしゃい!」
聞き覚えのある声だった。
会計レジに立つ店員と目が合う。
「え、なんで?」
オレは筋肉がこわばったように、一瞬だけ体を動かせなくなった。
声を上げた店員は、八月まで富山でひきこもっていた高岡の叔父、義行さんだった。
オレは、青色のはっぴを着て頭に黒いはちまきを巻いた義行さんの顔をまじまじと見てしまった。
「なんで義行さんが東京にいるんだよ!」
高岡をにらんだ。こいつ、ただ笑っているだけだ。
「おまえら、だましたな!」
「町田くん。くわしいことは席に着いてから話すよ」
こいつら、さっきから行動が不自然だから、おかしいと思っていたんだよ。
六人掛けのテーブル席に五人で座った。
「さあ、高岡。説明してもらおうか」
富山ブラックを注文し終わったあとも、オレの怒りはおさまらなかった。
「義行さんが東京に行く、この店で働くという情報を本人から聞いたのは、ぼくが富山から帰ってくる八月三十一日だった。地理研のみんなに知らせようと思ってLINEでグループを新しく作ったけど、町田くんの名前を入れるの、忘れちゃった」
「なんだって」
「LINEは、阿久根さんと名取くんと須崎先生だけに知らせるかたちになってしまったんだ」
なんというミスだ。オレだけが仲間はずれになっていたのか。
「だったらおまえ、九月一日に部室で、オレに口で直接知らせてくれればよかったじゃないか」
「ぼくはきみに素直に知らせようと思った。だけど阿久根さんが……」
もしや桜子が――。
「おまえ、悪知恵を働かせただろ?」
「えへへ、バレた?」
桜子は恥ずかしそうに頭をかく。
「バレた、じゃねえよ!」
「確かにわたしは、義行さんがこの店で働いていることを高岡くんからのLINE情報で事前に知っていたの。新学期が始まったあの日、三人で集まったときに、雄平を驚かしてやろうと提案したのはわたし。普段からわたしたちに威張り散らしてばかりいる雄平の鼻を明かしてやろうと思っただけだよ」
「こいつ! ふざけやがって!」
オレは素早く立ちあがり、テーブルの上に置いてあったソースの瓶を右手でつかんた。
「先輩、すみません。ボクがいけないんです。ボクが賛同したばかりに」
名取が立ち上がり、オレの腕を押さえて真顔で謝ってくる。
「おまえは黙ってろ! オレが許せないのはこいつだ!」
オレはソースの瓶をテーブルに戻すと、ピストルを向けるように桜子を指でさした。
「おまちどおさま!」
義行さんがラーメンを運んできた。テーブルにラーメンの丼とライスの皿をポンポンと置いていく。
しょうゆの香りがオレたちを包んだ。
怒りやすくなるのは腹が減っているからだ。オレは、義行さんが最初に置いたラーメンとライスを奪うように取ると、全員に配り終わらないうちに、ズーズーと思いっきり音をたてて食った。
「町田さんは、怒りん坊さんのようね」
顔を上げると、向かいに座る富栄ばあちゃんがニコッと笑ってオレを見つめていた。桜子のせいで変に誤解されちまったじゃないか。恥ずかしいから、食うことに専念する。
久々の富山ブラックは抜群にうまかった。気のせいか、富山市内で食べたそれよりも、しょうゆ味がわずかに薄まっているような気がした。もしかして、東京人に合わせた味付けなのかもしれない。
食っているうちに、桜子への怒りがだんだんと消えていく。オレは実に単細胞な人間だ。
「義行さん、質問!」
義行さんが全員分の丼を置き終わるのと同時に、桜子が言った。
「どうして東京に出てきたのですか? わたしは富山の店で働いていると思っていたのに」
桜子の質問に、義行さんが店員らしく満面の笑みで答えた。
「ラーメン店の採用面接に行ったとき、たまたま俺の将来の話になった。東京にある大学の薬学部に入りたい夢があると面接官に告げたら、『だったら、秋葉原にあるウチの支店で働いたらどう? アパートも用意するから。あなたにとって、いい条件だと思うよ』と言われてね。その気になっちゃったのさ」
夢の実現へ少しずつ近づいている。人間はちょっとしたきっかけで百八十度変わるんだ。人生って、こういうものなんだな。まだ十七年しか生きていないオレは、人生を語れるほど偉くはないけど。
「舟橋村の大きな家。誰もいなくなってこれからどうするんですか?」
名取が興味ありげに聞く。オレも気になったところだ。
「オレか兄貴かおふくろが舟橋に戻るまで、管理を地元の不動産業者に任せた。しばらく空き家にするだけで壊すわけではないよ」
「良かった」
桜子が安心したような表情を見せる。自分の家ではないのに。
「住まなくても、土地と建物を所有する限り、固定資産税はしっかり徴収されます。ちょっと理不尽ですね」
名取のヤツ、また税金の話をしている。おまえが博識なのはわかったから、人前で披露するのだけはやめてくれ。
「あらかじめみんなに言っておく。ラーメン代は、叔父さんのおごりだからね」
高岡の宣言に、みんなが大喜びだ。
「助かるぜ!」
俺がガッツポーズした。
「ラッキー!」
桜子が大きな声をあげて勢いよく立ち上がる。
「義行さん、ありがとうございます!」
名取が大きなジェスチャーでバンザイした。
ラーメンを食べながら幸せな気分になる。もしかしてオレも、桜子に負けないくらいのラーメンファンなのかもしれないぜ。
「ふう。ラーメンは最高っ! 雄平、来年の合宿先は決まったね」
桜子がラーメンを食べ終わって、満足そうな顔で箸を丼の上に置いた。
「来年はどこに行こうとしてるんだよ」
「北海道!」
「このあいだ、次は福島県だって豪語していたじゃないか」
「福島県は喜多方ラーメンと白河ラーメンのふたつだけど、北海道には札幌ラーメン、函館ラーメン、旭川ラーメンがあるの。三種類も食べられるんだから」
「ボクと阿久根先輩のふたりで決めました」
名取が胸を張る。
「おまえも仲間だったのか!」
「悪いですか?」
クイズ屋がふたりでタッグを組むとは。こいつらが束になって向かってきたら、オレは太刀打ちができない。けど聞き流すことはできないぞ!
「部長のオレをさしおいて勝手なことばかりしやがって! こうなったら、オレがおまえらに命令する。今月中に新入部員をひとり、探してこい!」
「やーだよ」
桜子は椅子から立ち上がり、隣に座る名取の肩のあたりを二回たたいた。
「名取くん、さあ、逃げるよ。こんなヘンテコ部長は無視して」
「はい!」
ふたりして、店の外に走って逃げてしまった。
ヘンテコ部長だって? こいつら、絶対に許せない!
「待てっ! おまえらとは絶交だっ」
本当に逃げ足の速いヤツらだ。
(完)
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