砂漠のアルファ王の溺愛オメガ

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アラビア半島の高地に位置するキナーウ王国は大陸国土の大部分が砂漠に覆われた温暖な国だ。石油やレアメタルなどの天然資源が豊富で、経済成長が期待されている国だ。 気候は一年を通して暖かいのだが、朝と夜の気温差は激しい。日が落ちると一気に気温が下がるため、観光客の中には寒暖差に体がついていかず体調を崩す者が多かった。 キナーウ王国の首都。サマー。王族たちが住む宮殿が見える街角のホステル、サルーラで僕はヒマールという顔だけではなく背中まで隠れる衣装に身を包み、男性であることを隠し住み込みで働いていた。サルーラはバックパッカーや長期旅行者向けのゲストハウスだ。 この世界には男女の性以外にアルファ、ベータ、オメガという三つの性がある。 王族や貴族、政治家や聖職者などの支配階級に属しているのはアルファといい、人口の一割ほどしかいない。人口の九割はベータが占めている。ごく稀にオメガという性の者が生まれる。オメガの男性は、アルファの男性と性的な関係を持つと女性のように妊娠と出産が出来てしまう。らしい。だけど本当なのか嘘なのか分からない。 中東の小国の第六王子として、オメガとして生まれた僕は、八年前、十歳のときに十五歳年上のキナーウ王国の王太子であるサイード殿下と結婚。第三夫人として王宮で暮らしていた。 結婚したときには殿下にはすでに二人の夫人がいた。由緒正しい名家の出身の第一夫人のマリカ妃と、軍人を父に持つ民間出身の第二夫人ガミラ妃だ。αであるマリカ妃はプライドが高く、何かと僕を目の敵にし辛く当たった。βであるガミラ妃は自分に火の粉がかからないように、マリカ妃のご機嫌ばかり取っていた。実家だけでなく、王宮でも居場所がない僕に殿下はとても優しく接してくれた。殿下の優しさに支えられどんなに辛くても、苦しくても、歯を食いしばってここでの日々を過ごしていた。 きみの番が迎えに来るまで、きみを守るのが俺の役目。 サハル、形だけの夫婦だったけれど、きみと夫婦になれて良かった。 砂漠のマスシド(寺院)で番を待て。殿下に突然言われ、八年間過ごした王宮をひそかに出て砂漠の寺院に向かった。着いたその日の夜、盗賊に襲われ、命からがら逃げ出した僕を、たまたま通り掛かったサルーラのオーナー、ムハンマドさんが助けてくれて。そのままサルーラで働くことになった。 王宮では喋ることを禁止された。男子禁制の後宮で男であることがバレたら大騒ぎになるからだ。喋れるのは殿下と二人きりのときだけ。ヒマールを外せるのも殿下と二人きりの時だけ。 アラーの神様が選んでくれた番。どんな人なのだろう。殿下みたいに優しい人がいいな。他愛もないことを話せて、にこにこと笑ってくれる人。 いつか会える。番にあったらまだ一度も来たことがない発情期が来るってムハンマドさんが話してくれた。 ムハンマドさんにスーク(市場)に連れて行ってもらった。お目当てはバクラワと呼ばれるナッツ入りの焼き菓子だ。 「どけ、邪魔だ」 ガラの悪そうな男たちがナイフを振り回しながらこっちに向かって走ってきた。すぐ逃げれば良かったけど、小さい男の子が石に躓き転んでしまい見捨てる訳にもいかず男の子に駆け寄った。 「ほぉ、なかなかの上玉じゃないか」 気付けば男たちに取り囲まれていた。にたにたと薄気味悪い笑みを浮かべ、舌を舐め回しながら値踏みするように全身くまなくじろじろと見られた。マスシドで全身黒ずくめの男たちに襲われた時のことがフラッシュバックして、怖くて動けずにいたら、 「伏せろ」 すぐ後ろから飛んできた声に反射的に男の子の身体を抱き締め身を屈めた。 僕の頭上を長い足が掠めていく。呻き声がして、男たちが手に握っていたナイフが飛んでいくのが見えた。男たちと戦っている男性の顔は逆光でよく見えなかったけどあっという間にリーダー格の男を取り押さえ、地面に顔を押し付けた。 わっと周囲から歓声が上がった。いつの間にか周囲には大勢の人たちが集まっていた。 「ママ」 母親の姿を見つけた男の子が泣きながら母親のもとに走っていった。 「助けていただきありがとうございます」 母親は泣きながら何度も頭を下げていた。 「まずい。衛兵だ。大事になる前に逃げるぞ」 男の人に腕を掴まれ近くの建物の影に慌てて逃げ込んだ。シャツにジーンズという珍しい服装で、癖のある黒髪にはムスリムらしくターバン風に布が巻かれてあった。 吸い込まれるような美しい群青色の瞳を見て、僕ははっとし息を飲んだ。 「目を見ただけでサハルだと分かったよ。それに匂いで」 「どうして僕の名前を?それに臭いですか?お風呂は毎日……」 「違うよ」 苦笑いされた。 「番でしか分からない匂いだよ」 「番って。もしかしてあなたが?」 「あぁ、そうだ。半年前にきみを迎えに行こうとしたら想定外のことが起きた。良かった無事で」 男性がほっとして胸を撫でおろした。 「きみは数えるくらいしか俺に会っていないからきっと忘れていると思うが、俺はサハルが生まれた時から知っている。何度も会っている」 思い出してほしい。目がそう訴えていた。 「もしかしてユーセフお兄ちゃん?十人兄妹の中で群青色の瞳をしているのは僕とユーセフお兄ちゃんだけだもの。それに、お兄ちゃんって呼んでもいいって言ってくれたのはユーセフお兄ちゃんだけだもの。お前みたいな下賤。兄弟でも、王子でもないって言われて……お、お兄ちゃん!」 気付けば逞しい腕に抱き締められていた。懐かしい温もりに胸がじんと熱くなった。 「八年ぶりの兄弟の再会の邪魔をして悪いが、親衛隊がうろついている。ここでは人目につく。サルーラに戻ろう」 ムハンマドさんに声を掛けられぎくりとした。 「ムハンマド殿」 「ユーセフ殿下、堅苦しい挨拶は不要です。それにもう王族ではありません」 二人はどうやら顔見知りのようだった。 サルーラに戻るまでお兄ちゃんはずっと手を握ってくれた。おひさまみたくぽかぽかと温かく、大きな手で包み込んでくれて。心臓がどきどきした。 「サハルを襲うように仕向けたのは嫉妬に狂った第一夫人のマリカだ。親衛隊の幹部がマスシドにいたのが何よりの証拠だ。隊長はマリカの実の兄のハサン高級将校だ」 ムハンマドさんが料理を運んできてくれた。 「ご馳走を準備してサハルの門出を祝うはずがとんだ邪魔が入った。ありあわせのものですまない」 「そんなことありません」 お兄ちゃんが笑顔で首を横に振った。 「サハル、驚かないで聞いてほしい。ムハンマド殿はサイードの叔父だ」 「へ?」 声がひっくり返った。 「サハルと同じで母親は正式な妻でない。だからその存在をひた隠しにされ王宮の外で育てられた」 「ま、そういうことだ」 ムハンマドさんは飄々としていた。 「八年前、サハルと市場で初めて出会ったとき、運命の番だと確信した。母親はちがえど実の兄弟。両親は神に背く行為と激怒し、サハルをある王族と婚姻させようとした」 「四十二歳の子どもにしか興味がない変態野郎だ。そんな男に可愛い弟を嫁がせる訳にはいかない。だからユーセフ殿下は俺とサイードに助けを求めた」 外にちらっと目を向けるムハンマドさん。しつこい連中だ。独り言を呟いた。 「サイードは十年待つと言ってくれた。それまで王になれと。俺は第二王子。天と地がひっくり返らない限りとうてい無理だ。三年が過ぎ、五年が過ぎ、半ば諦めかけていた時にまさかの事態が起きた。父と兄が相次いで亡くなり、俺が即位することになった。サハル、国に帰ったらすぐに結婚しよう。王はこの俺だ。誰も文句は言わせない」 お兄ちゃんに見つめられ体が火照ったようにかっと熱くなった。 「サイード殿下の第三夫人、ハゥルアは、マスシドで焼け死んだことになっている。サハル、きみはユーセフ殿下の妻となり幸せになれ。サイード殿下もそれを望んでいる」 「はい。やだ、なんで……」 頷くと同時に堰を切ったかのように涙が次から次に零れ落ちた。 「おい、開けろ!」 どんどんと扉を強く叩く音に底知れぬ恐怖を感じた。 「サハル、ユーセフ殿下を連れて行け。急げ!」 ムハンマドさんに急かされ一番奥の、普段は物置として使っている部屋にお兄ちゃんを案内した。 「何かあった時は地下室に隠れる。そこから外に逃げる。ムハンマドさんに教えてもらったの」 絨毯を捲ると隠し扉が姿を現した。 「階段が狭くて急だから気を付けて」 「分かった」 お兄ちゃんが携帯のライトで足元を照らしてくれた。 「兄の母である第一夫人のハルバは俺と兄の妻を結婚させようとした。サハルよりいい女だ。サハルのことは諦めろと脅してきた。だから言い返してやった。一生サハルだけを愛し、後継者もサハルとの間で作る。后妃は取らない。だから、今後俺に女をあてがおうとしないで頂きだい。俺の妻はサハル一人で十分です。王である俺に意見する権限は貴方にはない。第一夫人は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。サハルに見せてあげたかった。どうした?顔が赤いような……気のせいか?」 「き、気のせいです」 「本当にそうか?手がすごく熱い。それにさっきより甘い匂いが強くなっているような気がする」 「そういうお兄ちゃんの手だって熱い癖に」 「だって夢にまで見た、大好きなサハルが側にいる。これほど嬉しいことはないだろう」 十分ほど走ると薄暗い地下道の奥に光が見えた。 「市場にあるマスシドの裏庭に通じているの」 「そうか、なるほど」 お兄ちゃんが急に立ち止まった。 「アリー、聞こえていたか?そうだ、すぐに迎えに来い」 どうやら通話中だったみたいで、三分とかからずトーブを着た長身の男性が姿を現した。 「衛兵がうようよしていますが、いかがしますか?」 「強行突破するしかないだろう」 「そう仰ると思いました」 薄暗くて表情までは分からなかっけど、男性がにやりと笑ったようなそんな気がした。 「サハル、何があってもこの手を離さないこと。いいね?」 「はい!」大きく頷くと、お兄ちゃんが笑顔で僕の手をぎゅっ、と握ってくれた。 お兄ちゃんが側にいてくる。 だから不思議と怖くはなかった。
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