小説泥棒が現れた!

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「ママ、盗まれた、盗まれた!」  娘が大騒ぎして台所に入ってきたので、母の甘露(かんろ)は栗の甘露(き+1、を-1、わ+1)煮を作る手を止めた。 「騒々しいわねえ、何が盗まれたのよ?」 「小説よ、私が書き上げてネットに投稿した小説が!」  娘の趣味が小説を書くことだと、甘露は知っている。どんな内容なのか、詳しくは知らない。 「投稿した作品を誰かに盗作されたってことなの?」 「違うって、私は性的倒錯の作品なんて書いていない!」  微妙に嚙み合わない会話だったが、性的倒錯を主題にした小説を書いていないという娘の主張を信じてあげようと甘露は思った――が、内心では分かったものではないと感じている。 「ママ、私は性的倒錯とかエッチな話なんて書いて――」  甘露は娘を制した。 「それは分かった。盗まれたって何なの? それを説明して」  娘の話によると……とある小説投稿サイトに送信した小説がロックされ、編集不能になってしまった、とのこと。 「何か調子が悪いだけでしょ」 「違うってママ、こんな表示が出たの」  娘が示す先を見る。スマホの画面には【強制非公開】の文字が躍っていた。 「何これ?」 「だから、盗まれたのよ」 「何を?」 「んだから、私の書いた小説」 「強制非公開って、盗まれたってことなの?」 「そう! 誰の仕業か分からないけど、きっと、そう!」  力強く娘は頷いた。母の甘露は首を傾げた。 「盗まれたとしたら、アカウント乗っ取りとか、そういうのなのかしら? でも、ねえ……」  アカウントを乗っ取るような犯人が、娘の書いたバカみたいな小説を盗むものだろうか、と口には出さないが母は思う。 「編集が出来なくなったの。身代金が要求されるかもしれない」 「身代金」 「ニュースでよくやってるじゃない。企業のデータがハッカーに暗号化されて読み取れなくなって、元に戻して欲しければ金を払え! とかって」  企業のデータを暗号化するハッカーが、娘の書いたバカみたいな(以下同上)。 「でもね、ママ、安心して」  身代金は自腹を切るというのかと甘露は予想したが、違った。 「小説は別に保存してあったの。これを編集すれば大丈夫!」 「そう、じゃあ、良かったわね」  甘露は栗の甘露(こ+4、あ+1,ら-4)煮作りを再開した。その後に(む+5、た-5)の甘露煮を作るつもりだった。娘の大袈裟な話に付き合っている暇はない。 「ねえ、ママ」  娘がスマホを操作しながら言った。 「私の書いた小説、読んでみる?」  いいえ結構です。そう言いたい甘露だったが、娘が目をキラキラ輝かせてスマホを差し出しているので、断るに断れない。 「それじゃ、ちょっとだけ」  興味の無い小説を読まされるほどの苦痛は数少ない。それに比べたら小説の暗号化は楽だろう……と甘露は、娘の小説にハッキングした暇人を羨んだ。 「えっと、これね。本文から始まっているから」 「待って、題名は何なの」 「あ、それはファイル名だから、ここには書いてない」  母が娘に注意する。 「国語の時間で習うでしょ。題名は一番右側、その次に名前を書いて、それから話を書き始めるの」  娘は母を蔑みの目で見た。 「昭和世代と今は、違うから」  娘の小説を完全に消去してやったら、どれほど気分がスッキリするか! と思ったが、やったら大騒ぎになるのは必至なので、甘露は耐えた。 「とにかく、題名は教えて」  いたずらっぽく笑って娘が題名を読み上げる。 「えっとね、ふふ、タイトルは『僕らは、せーの、たをほ(-1、-1、-5)強盗団』です」  甘露は額の真ん中に人差し指を当てた。 「清音以外が出てくると面倒になるわね」 「ママ何言ってんの?」 「JISコードにするべきだったのかしら……でも、何もそこまでしなくても」 「ママ、いちみ(+1、+1、+1)大丈夫」  甘露は頭を掻きむしった。 「もう! ややこしいんだから、余計な変換させないでよッ! ただでさえデリケートなことに神経使ってンだからっ!」  小池一夫や梶原一騎も、こういう気苦労をしていたのだろうか……それはさておき娘が話を再開する。 「<ひとこと紹介文>は『思春期直前の少年から、ほんの数日だけ漂い何の痕跡も残さず消える甘い香りを嗅いだことがある? と三歳の娘が寝言で言います』」  甘露は腕を組んで考えた――これはオーケー。きっと大丈夫。  娘が意地悪く笑った。 「お母様、イヒヒ、いよいよ本文ですわよ」  お前は私の実の子供ではないよ、と真実を告げたら娘はどんな顔をするだろう、と甘露は思った。 「分かったわ、始めて」 § § § § § § § § § § § § § § § § § § § § § § §  思春期直前の少年から、ほんの数日だけ漂い何の痕跡も残さず消える甘い香りを、ママは嗅いだことがある? と三歳の娘が寝言で言うのを聞いて甘露(かんろ)(仮名)は戦慄した。幼児の寝言ではない――大人でも言わないだろうが――から、だけではない。かつて彼女も、娘と同じような台詞を母に言ったからだ。  話は、甘露が幼子だった頃へ戻る。そのとき彼女は、現在の娘と同じ、三歳だった。甘露も「思春期直前の少年から、ほんの数日だけ漂い何の痕跡も残さず消える甘い香りを、ママは嗅いだことがある?」と突然言って、その場にいた母を驚かせた。  娘の甘露が漏らした変態チックな発言を聞いて甘露の母は「そういうことは言っちゃいけません」と(たしな)めた。 「どうして?」 「どうしても!」  不服そうな幼女の甘露に母が怖い顔で聞く。 「そんな話、誰から聞いたの?」 「おともだち」  体が弱く幼稚園に通っていない甘露に友人はいない。彼女の<おともだち>は絵本と映像媒体そして、ぬいぐるみ、これぐらいだ。  当惑を押し殺して母が尋ねる。 「おともだちって、どんな子?」 「知らない」 「嘘おっしゃい、ちゃんと言いなさい!」 「言うなって、言われてるんだもん!」 「だから、誰に?」 「知らないってば!」  それだけ言って甘露は母の傍を離れ、ぬいぐるみたちとおままごとを始めた。その種の発言をすることは、それから二度と無かったので、酷く気にしていた母も、やがて忘れた。その母が幼き頃の甘露の不思議な言葉を思い出したのは、甘露の娘つまり自分の孫が生まれて一才になった頃だ。孫の顔が幼児だった頃の愛娘と似ていると笑っていたとき、ふと笑顔が固まり「そういえば、昔……」と上記の発言に関する記憶が蘇ったのである。  娘の甘露には何の記憶もなかったので「何じゃそれ」としか思えなかったが、実際その場面に遭遇すると背筋が震えた。意識せずに呟く。 「今、どんな夢を見ているの?」  寝言に返事をしてはいけないというが、質問してもいけないのだろうか? と娘に語り掛けてから甘露は悩んだ。そのときである。 「たをほ(-1、-1、-5)を泥棒する夢」  寝ている娘は確かに、そう言った。甘露は固まった。その耳元で、誰かが囁く。 「違うでしょ、せーの」  誰の声なのか? 彼女は怯えて周囲を見た。寝室にいるのは自分と娘だけだ。また声が聞こえてくる。 「ちゃんと合わせようよ、いくよ」  そして複数の子供の声が、同時に鼓膜を震わせた。 「僕らは、せーの、たをほ(-1、-1、-5)強盗団」  その中に甘露は、幼い頃の自分の声を聴いた。そして思い出す。あの頃、自分は確かに、強盗団の一員としてたをほ(-1、-1、-5)を泥棒しまくっていた。それには理由がある。思春期直前の少年から、ほんの数日だけ漂い何の痕跡も残さず消える甘い香りを求めて、その匂いの元と思われたサヤエンドウを収穫していたのだ。  甘露は幼少時の記憶を辿った。しかし思い出せたのは、そこまでだった。詳細が不鮮明だったし、強盗団の仲間は、誰だったのか……それらは思い出せないのだ、だけれども――その思い出が蘇ったとして、何になる? 何じゃそれ。結果は、きっと、そうなる。無意味なことに労力を費やすべきときではない、今は育児で疲れているのだから、変なことに頭を使わず休もう。娘と一緒に寝よう。  そして甘露は娘の隣に身を横たえた。まもなく彼女は寝息を立て始めた。たをほ(-1、-1、-5)を泥棒する夢を、大人になった彼女は見ているのだろうか? 見たとして、その夢判断は何を示すのか? それはそれとして、彼女の横で寝ていた娘が体をムクリと起こし、寝姿の母を見つめる。 「お兄ちゃんたちが、返せって言っているよ。凄く真っ赤な顔で怒って、ママのことを睨んでる。ずっと恨んでやるって言っているよ」  そう呟いて、やがて床にコテンと横たわり、二三回転がってから、母の隣で眠りに就いた。 § § § § § § § § § § § § § § § § § § § § § § §  読み終えた甘露は率直な感想を述べた。 「面白くない」  娘は意外と冷静に受け止めた。 「私もそう思う。それと、分かりにくかったところを書き直した」  書き直して、これか! と甘露は呆れた。現在、過去、現在と時系列が変わる構成は読者の混乱を招く。甘露と甘露の娘そして甘露の母、三人しか登場人物がいないのに時系列の乱れと人物の書き分け不足が災いして誰が誰だか分からなくなっている。これなら、そのまま【強制非公開】で良いのでは……というのが一読者としての甘露の感想だった。 「あ、本文の他に<作品説明・あらすじ>という項目もあるの」  まだあるのか……どうせ同じだから止めよって――とは思うものの、ここまで来たら最後まで付き合ったれ! と甘露は観念した。 「やりましょう、始めて」 「ここまでリライトして、また出そうかと思うんだ」と娘。甘露は頷く。 「協力するわ、私はあなたのママ、いつだって味方ですもの」 § § § § § § § § § § § § § § § § § § § § § § §  ノーベル文学賞の受賞者といえど、駄作や失敗作はある。書き始めの頃などは若気の至りでトンデモない小説を発表しては嘲笑される――の反復だった人もいるそうだ。この作品は、その一つに基づいて執筆された。そういった恥物語を、そのままの形で転載するのは道義に(もと)るし、黒歴史を消去したい作者の羞恥心に消えない爪痕を残しかねないのが何よりも悲しく、それを断じて避けたいので訳出するにあたり原作の野趣溢れる風味を残しつつ、令和時代に寄せた改変をさせていただいたのである。いわば二次創作なわけだが、これは単なる改悪に過ぎないというご意見は当然あると思う。その責任が原著者ではなく翻案者の私にあるのもまた、言うまでもないことだ。  変更を加えたものの第一は題名だ。原題を直訳すると年齢制限が掛かる。マイルドで可愛らしい響きのある表現に変更したが、これでもレーティング対象に相当するのかもしれない。  文体を変える。  それにつけても作品情報のページにはルビを振る機能が無いのですね。ダサ(嘲笑)。そんなことを書きましたけど、ルビの機能が何処にも無い小説投稿サイトに比べたら書き味は最高ですよ(ヨイショ!)。  作品説明・あらすじの項目にルビが入るのか確認するため書きかけを一瞬だけ公開し、すぐ非公開に切り替えたのですけど、表示は『公開中』になったままで何だか凄くキモいです。まさか執筆の途中経過がダダ洩れになってませんよね、恥ずかしくって死にそうですわ……と思いましたが、途中だろうが最終稿だろうが恥ずかしい作品であることに変わりないわけで、まあどうでもいいか、と開き直った私ピュアきゅん(何だそれ)。 § § § § § § § § § § § § § § § § § § § § § § §  娘は言った。 「こっちもね、ちょっと手直ししたんだけどさ。もしかしたら、こっちの方が色々不味い感じする」  母の甘露が頷いた。 「そうかもね。無駄に敵を作っているなって気がするわ。でも、もうこのままで良いと思う。まあ良くはないけどさ、スピードも大事。巧遅は拙速に如かず(こうちはせっそくにしかず)とか兵は拙速を尊ぶ(へいはせっそくをたっとぶ)って言うじゃない。ところで」  甘露は娘に尋ねた。 「【強制非公開】になったの、いつ?」 「10/8」 「その日のうちに出したかったわね。だけど、逆に良かったかもしれないわ。夜討ち朝駆けってやつよ。こんな時間ですもの、相手だって油断しているわ」  まるで討ち入りでも決行するかのような口調だが、あくまでも小説の投稿である。母に指摘された箇所を直していた娘が「ここが最後の部分」と示したのが<作者コメント>だった。  そこには、こう書かれていた。 『執筆中に怖い事が起きました。もう寝ます。中途半端な終わり方になってしまい、申し訳ございません。』  母の甘露が言った。 「『執筆後に怖い事が起きました』に変えようか、どうしようかって悩むわね」  娘が鼻の頭を掻いた。 「ごめんなさい、もうしません、許して下さい、じゃないかな」  暗い表情で娘は、そう言った。母が明るく励ます。 「あなた、悪い事したわけじゃないんでしょ、読者に対して。それなら謝る必要なんてないと思う」  それでも娘の顔色は冴えない。甘露が尋ねた。 「【強制非公開】になったのはハッキングされたからって話、本当なの?」  娘は答えなかった。甘露は、読み終えた小説の内容を踏まえて、娘が語りたがらない状況を推察する。 「【強制非公開】になったのは、誰かにハッキングされたからじゃあなくって、読者が運営側に苦情を申し立てたからじゃないのかなあ」  娘は俯いた。そんな我が子を哀れに思うが、インターネットに作品を投稿する際のルールを娘が知らないのだとすれば、それを教えるのも親の務めだろう。 「読者から文句が来たら運営側は動くし、そうでなくても[コミュニティガイドライン][会員規約]に違反する内容だったら削除するわ。それは当然のこと。【強制非公開】になったとしても、恨むのは筋違いよ」  娘はポツリと呟いた。 「恨んでなんかない。私は、ただ、インパクトのある題名と内容で、注目を浴びたかっただけなの」  それで【強制非公開】になったら世話がないとは思えども、甘露は母として優しく慰める。 「可哀想だったけど、良い経験になったじゃない。これに懲りたら、もっとおとなしいタイトルにしときなさい」  唇をツンと尖らせて娘が言った。 「でも、でもね、こうでもしないと誰も私の小説なんて読まないと思ったの。誰にも読まれないまま、ネットの闇に消えていくんだなって考えたら、いてもたってもいられなくなって、それで」 「ネットに出てくる小説なんて、どれも皆そんなものよ」 「ねえ、ママ」 「ん?」 「私、小説をネットに上げるの、もう止めようかな」 「どうして?」 「だって、誰にも読まれないし」 「誰からも読まれないから書くのを止めるというのなら、そうしなさい。だけどね」  再投稿前に小説の誤字脱字最終チェックをしながら甘露は言った。 「あなたが次に書く小説は、凄い名作になるかもしれない。あなたが筆を折ったら、その傑作は永遠に生まれない。闇の中へ消えていくの」  そして彼女は娘にスマホを渡した。 「一応、推敲は済ませたわよ。送信するかどうかは、あなたが決めて」  手渡されたスマホを握り締めて、しばらく娘は考え込んだ。やがて彼女の指が画面を滑る。送信ボタンを押すか、あるいは全消去のキーに指を止めるか? 甘露は黙って娘を見守った。
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